西陣、室町って、そういうことだったのか

赤〇は西陣小、室町通

 

先日、BSスペシャルで「応仁の乱」を
専門家の皆さんが語っていました。

以前、「応仁の乱のブログ」を書いたこ
ともあって、ワタクシも興味シンシンで
見ました。

応仁の乱って、室町時代に京都を西と東
に分かれて守護大名たちが各々の思惑を
もって争った戦いです。

西側が山名宗全、東側が細川勝元を中心
とする陣営。

ワタクシも昔々、京都に住んでいたこと
があって、後で考えてみたら、応仁の乱
の主戦場をチャリンコでうろうろして
いました。

主戦場といっても、ネコの額みたいに狭
い所。

ここで10万人の兵が争ったと古文書には
書いてあるけど、ホントかなぁ。

京都に西陣織で有名な西陣という地名が
ありますが、アレ、どうやら西側の山名
宗全の屋敷と陣営があったからそう呼ぶ
らしい。

室町時代という名称も、足利将軍の住ん
でいた屋敷が西陣からそう遠くない室町
通りに面していたから、室町時代と呼ぶ
ようになったトカ。

専門家はそんなことを言っていた。

ワタクシも、京都時代、歴史のことに
全く関心がなかったものですから、そん
な素敵な場所に住んではいても「フ~ン
!」って感じでしたが、今住んでいたら
きっとハマルだろうな。

同じモノを見ても、その人がその時どん
な関心を持っているかで、見える世界が
変わりますもんね。

 

数学と物理と化学を命がけでやったのだ。間違いない。

ライト兄弟のヒコーキ

 

受験シーズンです。

新型コロナウイルスに負けずに、受験生
の皆さん、親ゴさん達、頑張って下さい。

ワタクシには旗を振ることしかできませ
ん。

先日、道新を見ていたら、今年の〇海道
大学の数学・物理・化学の問題が載って
いました。

問題のことは置いといて、それらを学問
としてとらえたら、数学ってのは実験室
の中で証明することはできないので、頭
ん中で証明する。

数学は確かに頭の中では成り立ちます。
でもそれが外の世界でどこまで成り立つ
か、確かめてみなければなりません。

そこで、物理や化学が登場する。

それらは、頭ん中で成り立つ規則が外の
世界でも成り立つかどうか、それを確か
めて実証する学問デス。

そしてめでたく頭ん中の規則と外の世界
の規則が一致する。

そこで皆さん、安心して飛行機に乗れる
わけデス。

でなけりゃあ、あんな重たくて大きいモ
ノ、どう考えたって落っこちるに決まっ
ているので、危なっかしくて乗る気にも
なりゃしない。

きっとアメリカのライト兄弟は、物理と
化学と数学を命がけでやったのだ。
間違いない。

ムシ歯菌と歯周病菌の勢力争い

人類の長い歴史の中ではムシ歯菌と歯周
病菌の勢力争いがあったようで、旧人類
の頃って、歯周病菌全盛だったんですよ。

まあ、あまり甘い物を食べないからだと
言われているんですけど、実は旧人類は
歯周病で悩んでいたんです。

5万年前頃から人類がムシバというものを
経験するようになります。で、その頃、
ムシバ菌が台頭して来て、ここからムシ
バ菌と歯周病菌の勢力争い、攻めぎ合い
が始まります。そして、1万年前、農耕が
始まって、穀物を搾取、糖類リッチな食
生活になったことで、どんどんムシバ菌
が台頭。

口腔細菌と人類史(オガワメモ)

18世紀後半、産業革命で砂糖の精製が可
能になりました。よりたくさん砂糖を食
べるようになって、ムシバ菌が大繁栄す
るようになった。もう、どうにも止まら
ない。人類の知恵によって、ムシバ菌を
繁殖させてしまった。

まあ、ムシバ菌を上手く使えば、人類を
むしろ守ってくれる。ムシバでは死にま
せんからね。でも、歯周病菌は死の引き
金になることがあるんですよ。
怖い怖い。

デトロイトと言ったら・・・・

ダイアナ・ロスとシュープリームス

アメリカのデトロイトと言ったら、我々
が中学生の頃、自動車産業の盛んな町だ
と教わりました。
若い人ならマンガでヒットした「デトロ
イト・メタル・シティ」でピンとくるか
もしれません。

この町、別名モーター・タウンとも呼ば
れてて、実はモータウン・サウンド発祥
の地としても有名なんデス。
一人の黒人青年がモータウン・レコード
を発足させて、60代、70代の人なら
ご存知だと思いますが、シュープリーム
ス、テンプテーションズ、ジャクソン5
スティービーワンダーなんかの偉大なア
ーティストを世に送り出して、黒人サウ
ンドを大ヒットさせました。

でも、自動車産業がおかしくなってから
人口は激減。町からはすっかり活気も消
えて、とうとう自治体財政破綻に・・。

まぁ、経済のセンターが場所を移動した
としても、文化はそこに溜まるもの。
京都みたいにね。モータウン・サウン
発祥の地というのは、歴史的には消えま
せんよ。

腐った根っこはスパッと切り捨てて、生
き残ってる根っこだけを育てれば、そこ
から再び復活することもあるんですよ。

金山・銀山で戦国の覇権がワカル(後半)

 

    【続きです】

一方、秀吉は大量の銀が採れる生野銀山
を領地にし、更に日本最大の石見銀山の
銀もそこの領主毛利氏に命じて上納させ
て圧倒的な経済力を持ちました。

ところが、朝鮮出兵に失敗して秀吉が亡
くなり、淀と秀頼(秀吉の子)の大坂城が
燃え、豊臣家が滅びると、天下を取った
のが家康。そして戦国の覇者になった。
そして、石見銀山、佐渡金山、生野銀山
などの鉱山を一挙に手に入れ、大金持ち
に。

戦国の覇者になった徳川家康

全国の金山・銀山・銅山を一挙に手に入れた

家康はこの金銀で貨幣を作り、徳川とい
う刻印をつけた。徳川の貨幣は全国を覆
った。西は銀、東は金という違いはあれ
ど全部、徳川の刻印が押してあるワケで
すよ。国内貨幣が保証する政府が一つと
いう状態になった。徳川の刻印が押して
あると、自分たちはこの国の人間なんだ
なあ、と皆国民は思うようになった。

徳川貨幣

でも、当時の徳川の全国支配というもの
を見てみると、旗本領とか親藩を入れた
り何だかんだしても、3分の1か、4分の1
しか徳川家は支配していないのに、全国
統治できちゃった。最初のうちは金持ち
だからできちゃった。そのあとは貨幣を
支配しているからできちゃった。
この金銀が出来た頃から、日本はフツー
の国じゃな無くなって行く。

赤色・黄色が徳川領

それにウチの国、お侍さんの国で150万
人もの地上軍がいた。これじゃあ西洋人
も、うかつにウチの国に手が出せない。
南米は地上軍がいないからアッサリ西洋
の植民地になった。

銀が代わりに西洋を吸い込むんですよ。
日本の国内に。鉄砲はやって来るわ、
キリスト教もやって来るわ、銃大国にな
るわ、天文学、数学が来るわ、銀が出た
から西洋が日本にバァーとやって来ちゃ
った。

銀が西洋の鉄砲・キリスト教・天文学・数学などをバァーと吸い込んだ

これがだいたい、高度成長期くらいまで
続くんですよ。銀の力ってスゴイね。

 

金山・銀山で戦国の覇権がワカル(前半)

島根県の石見銀山(実際はもっと西側)

先日、石見銀山の話をしたので、今日は
チョットだけ付けたし。
南蛮の資料を見ると家康って宣教師も驚
く大金持ちだったんです。これは家康が
生まれる直前、石見銀山をはじめ、各地
の銀山から大量の銀が採れたのが大きい
。戦国乱世が天下統一に向かっている時
に外国人が次々と日本にやって来る。
戦国以降の歴史の動きは金銀を見るとか
鉱山とかを見るとスゴクわかるんです。
歴史の裏にお金あり!

徳川家康(1542~1616)

三河(名古屋)の家康は甲斐(山梨)の武田
信玄と何度も戦いましたが、一度も勝て
ませんでした。信玄の無類の強さを支え
たのが金。まあ、甲州金。信玄が武功を
たてた家臣にホウビとして与えていたの
がこの金貨。

甲州金

甲斐の国に湯之奥金山、黒川金山など戦
国髄一の産出量を誇る金山があったんで
すよ。信玄はその軍資金に支えられて何
度も家康を打ち負かしました。

甲斐の国の豊かな金山を持つ武田信玄

甲斐の湯之奥金山・黒川金山(オガワ工房)

ところが、信長が南蛮貿易から調達した
鉄砲隊で甲斐の武田氏が滅亡。甲斐とそ
この金山は信長のものに。で、信長ウハ
ウハ。でも、そのわずか3か月後に明智
光秀が本能寺の変で信長を倒した。

やっと甲斐の国の金山を手に入れたのに!

本能寺の変で亡くなった織田信長

待ってましたとばかり領主となって、長
年の憧れであった甲斐の国を手に入れた
のが家康。

憧れの甲斐の国をやっと手に入れた徳川家康

ところが、明智光秀は豊臣秀吉に討たれ
、秀吉が天下を統一した。家康は秀吉と
今戦っても勝ち目はないので、取りあえ
ず秀吉が死ぬまでは辛抱しようと秀吉の
下についた。家康は秀吉に『小田原攻め
で小田原を取ったら、関東をお前にやる
。その代わり、お前の所領の三河国と甲
斐の国をオレによこせ。悪く思うなよ。
家康!』と言われ泣く泣く、金の出る所
領を手放した。

『家康よ、甲斐の金山をよこせ!』と言う秀吉

こうして、三河国と甲斐の国の金山は秀
吉のものに。家康の新たな領地、関東に
は目ぼしい金山がありませんでした。

関東に目ぼしい金山は無かった(オガワスケッチ)

『今に見ておれ!秀吉。』家康は指を握
りしめながら江戸へ赴任しました。

      【続く】

 

ムシ歯の正体

今日は、久しぶりムシ歯の話。口の中の
口腔常在菌って、見つかっているだけで
800種類。で、その99%は無害の常在菌
。で、残りの1%が悪玉菌。その悪玉菌の
代表がムシ歯菌と歯周病菌。

悪玉菌のムシ歯菌と歯周病菌が1%(オガワメモ)

ところで、口の中に頑丈な城を築くスゴ
イ菌がいるんですよ。それがムシ歯菌。
そのムシ歯菌、20世紀にミュータンス菌
と名ずけられた。実は、このミュータン
ス菌、口の中では変わり者。ほとんどの
菌は歯ぐき、舌などの粘膜を中心に潜ん
でいますが、このミュータンス菌だけは
ツルツルの硬い歯の表面に生息するとい
う、まあ極めて特殊な口腔細菌。
集団生活をしています。力を合わせて。

ツルツルな歯の表面

歯の表面はツルツルの大地。エナメル質
で出来ています。普通の細菌はココに定
着することも、繁殖することも出来ませ
ん。ところが、ミュータンス菌は違うや
り方を考えた。石垣を築き、その中に隠
れるという、とんでもないやり方を考え
たんです。

ミュータンス菌の出した代謝物のグルカ
ン、実は、コレ歯みがきをサボった時に
付くあの白いネバネバの歯垢なんですが
、これを使って石垣を作る。では、どう
やって石垣を作るのか?

石垣の上に城を築きミュータンス菌が酸を出す

ミュータンス菌は粘着性の優れたグルカ
ンを出して土台を作る。上積が出来ると
ミュータンス菌は自ら死んで、グルカン
と結合して強固な石垣を作ります。する
と、その上に巨大な住み家のお城築きま
す。そこを根城にして、ミュータンス菌
が増えていくのだ。グルカンの粘着性に
よって貼りつき、お城の中で誰にも邪魔
されずにミュータンス菌の出す酸で歯を
溶かしてしまうのだ。これがムシ歯の正
体。

石垣のあたりは残念ながら取れません

ちょとやそっと、歯ブラシで磨いたとこ
ろで、この天守閣のあたりまでは取れる
んですが、石垣のあたりは全然取れませ
ん。するとムシ歯がドンドン進行して行
く。もう削らないとダメ。

ミュータンス菌に10種類の糖類を与えて
、どれだけ石垣を作れるか研究した人が
いて、何と、ミュータンス菌は10種類中
、9種類の糖を利用して石垣を作ったん
です。他の口腔内細菌はせいぜい1~2種
類。だからムシ歯の元になっているミュ
ータンス菌は口の中に入って来たエサの
9割はムシ歯の材料に出来るんですよ。
ああ、怖い、怖い!

 

『塾トンボ』

今朝の新聞広告のチラシは、受験シーズ
ンのせいもあってか、塾、塾、塾、塾・
・・のチラシでいっぱいでした。
ワタクシ思うのですが、その塾が好きで
好きで塾に通うのが楽しくて仕方がない
というような塾が、その子どもに一番合
っている塾なのでは?もちろん実績も大
切ですが、「よぉし、おもしろいから勉
強するぞ~」と思って勉強するのは、嫌
々ながらやる勉強よりも、何倍も身につ
くハズ。

勉強が苦しいだけの子どもは、おもしろ
がって楽しんで勉強をしている子どもた
ちにはかないません。
「塾トンボ」と言って、あっちの塾へ行
ったりこっちの塾に行ったり、なかなか
一つの塾に腰を据えられない子がいます

できるだけ早く子どもが気に入って通え
る塾に出会い、そして子どもと相性のい
い先生にめぐり合えればイイと思う。

植物の味わいの個性を決めるのは、古くから下層にある土

古くから下層にある土が個性を決める

姫路のある酒造会社の先代の社長が同じ
酒米を使って同じ工程でお酒を造ってい
るはずなのに、味わいが違う。同じ産地
の酒米でもエリアとお酒の味が変化する
ことに気ずいた。
エリアが少し変わるだけで、お酒の味が
変わったのだ。

酒米

調べたら、『土の違い』だった。田んぼ
の土の成分を分析したところ、いろんな
特徴が現れた。その土地で採れた酒米を
材料にした酒で『スッキリ味』、『深み
のある味』、『濃い味わい』等々、味覚
の違いが出た。

調べてみたら、上の方にある土じゃなく
て、古くから下層にある土。古地図で昔
の地形を調べてみたら、元々は『川』
『沼』『陸』に分かれていたことが判明。

『スッキリ』『深み』『濃い』

それぞれ、『石が多い』、『粘土質』、
『硬めの土』と、土の質も違い、それが
『スッキリ』、『深い』、『濃い』と言
ういろんな味わいになった。

昔、川だった所は石が多い

昔、沼だった所は深みがでる

昔、硬い陸だった所は濃い味が出る

植物の味わいの個性を決めるのは土。
その土壌で出来たもので土の違いによっ
て、性格が全く異なって来るので、土壌
こそがお酒の味を決めるポイントなんだ
って。

アパートの裏の小径が石見(いわみ)銀山街道だった

石見銀山街道、馬がやっとすれ違えるほどの狭い小径です

ワタクシ、広島の実家を時々、ネットの
衛星画像で空から見ています。先日、1
つ驚いたことがありました。今は亡き父
(小川忠志)が実家の近くに小ぶりのアパ
ートを持っておりまして、ワタクシ、少
年オガワは小さい頃、お手伝いによく連れ
ていって貰いました。

で、久しぶりにそのアパートどこだっけ
なあ?と探していたら、ありました、あ
りました。よく見ると、アパートの裏の
ショボい道に『石見銀山街道』って書い
てあるじゃないですか。

『石見銀山街道』と書いてある

『えっ?あのショボい小径が石見銀山街
道の一部なの?・・・そうなの?』

『えっ?あのショボい小径が石見銀山街道?』

と、目が点になり、ホントかどうか、
石見まで続いているかどうか、念のため
衛星画像で追って行きました。すると、
確かに石見地方まで繋がっていた。

石見銀山街道(笠岡道)・実家、府中を通る

スゲー、南蛮貿易の頃、日本の歴史によ
く出てきた石見銀山じゃ!こんな小っち
ゃい事でも、高校生の頃から関心を持っ
ていたなら、もっともっと、日本の歴史
に興味を持っていたに違いない。時代小
説の水戸黄門にも登場する。

水戸黄門の石見銀山の話(第38部・第3話)

でも、よく考えてみたら、少年オガワは
オッサンみたいにそんな古臭いことに興
味を持つはずがない。もし持ってたら、
元歴史大好き少年、磯田道史氏に近ずけ
たかもしれない。彼はお隣の岡山県で少
時代を過ごした。

山の方に向かう石見銀山街道

ところで、石見銀山って何か?っていう
と昔、昔の16世紀、鉄砲がポルトガル人
によって、種子島に伝来されたと、歴史
の教科書に書いてあります。その時たま
たま、鉄砲が伝来したと思われています
が、実はそうじゃないんです。日本に偶
然持ち込まれたと思われてきた鉄砲は日
本の銀を手に入れる為の商品。その頃日
本で一番たくさん銀が発掘されたのが石
見銀山。

スペイン人ザビエルもポルトガルに遅れて来た

ポルトガルの商人達は火薬や弾の原料の
鉛や硝石を日本に持ち込み、代わりに日
本の銀を持ち帰ったんです。まあ、これ
が南蛮貿易の始まり。

これがポルトガル人によって日本に鉄砲
が伝来した本当の理由。

金山、銀山の奪い合いを中心に戦国時代
の覇権を考えると、実はわかりやすいん
ですよ。近いうちにブログに書いてみよ
うかな。

 

 

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