昔、京都に住んでいた時、二条城のほと
りの予備校に通っていました。チャリン
コで。
堀川通りを南下するんですけど、堀川通
りと今出川通りの交差するあたりに、お
茶の千利休の住んでいた家の跡がありま
した。
その南側が、秀吉がつくった聚楽第。
もう影も形もありませんでしたけど。
利休が現れる前までは、書院の広間に
それこそ唐物の名物を飾り立てるような
豪壮華麗な茶会が行われていましたが、
利休が催したお茶会は全部土で塗り回さ
れた、今で言ったらコンクリートの打ち
っぱなしのような空間に、土の素材その
ものの茶碗を持ち込んで、ヒザとヒザを
突き合わせてお茶をする。
まぁ、薄暗い洞穴の中でドロの塊の茶碗
でお茶を飲んでいるような感じデス。
そうすると、目の前には相手しかいない
から、もう見えるものといったら、人の
心の動きとか、うそ偽りのない心。
まぁ、お茶の世界では直心(じきしん)
というのらしいのですが、そんな場なん
です。
うちの母さんが晩年、週に1回、お茶会
に行くのを楽しみにしていました。
今日はどんなオシャレしようか、何をお
土産に持って行こうか、どんな話が聞け
るかなって。
「お茶をする」ってよく言いますが、ま
ぁそれ、情報交換の場。
メールではわからないような話が、ヒザ
を突き合わせていると聞けます。
まさに千利休ワールド。
ワタクシ、千利休の「今日は茶があった
」という言い方が好きなんです。
で、これがまたいい一日なんですよ。
たぶんこれを目指すってのが、必ず死が
訪れるワタクシたちが深く生きるってこ
とじゃないかな。余命が少ししか残って
ないし。
だから、あんなに人を狂わせるんですよ
、お茶は。
きっと晩年の秀吉も狂わされたんでしょ
うね。
最近のコメント