おさらい・何でイスラエル・イラン戦争が起こったの?

何でイスラエル・イラン戦争が起こった
のか、おさらいをしておこうと思う。
アメリカ・イスラエルのイラン攻撃をど
う捉えるかというと、イラン政府を乗っ
取ったイスラム革命防衛隊が、イスラエ
ルのガザ地区に潜むテロ組織ハマスとか
、レバノンの武装組織ヒズボラ、あるい
はイエメンの武装集団フーシ派などのい
ろんなテロ組織に軍事の装備品などを与
えて、彼らに代理戦争をさせました。

イスラム革命防衛隊

そのうちの1つが今回のイスラエルによ
るイラン攻撃。それが今回の戦争の発端
になった。2023年の10月、イスラエルの
中にあるガザ地区の武装集団ハマスがイ
スラエルを攻撃した。1200人が殺害され
、251人が誘拐されたんです。

イスラエルのガザ地区に潜む武装集団ハマス

このイスラム革命防衛隊に乗っ取られた
イラン政府が核を作ろうとしているのは
明らかで、核を持てばこのイランの核が
中東のテロリスト勢力に渡るというので
、アメリカとイスラエルは「こりゃ、大
変だ!」ということで、それを止めよう
という事になったんだけど、止められな
かった。ということでこの戦争が始まっ
たんですよ。

レバノンの武装組織ヒズボラ

イスラム革命防衛隊がいる限り、中東の
安定・平和というのは得られません。で
、イスラム革命防衛隊に乗っ取られたイ
ランはホルムズ海峡を封鎖するし、アメ
リカも逆封鎖するもんだから、世界中の
原油を積んだタンカーがホルムズ海峡か
ら外にでられなくなり、まあ、袋のネズ
ミです。それで世界中のみんながトバッ
チリにあっちゃった。

高市総理、93%中東頼みだった原油確保
のシステムを変え、新たにUAE、サウジ
アラビア、メキシコ、アメリカ、アイゼ
ルバイジャン産に手を伸ばして確保。
日本をはじめ、アジア諸国にまで原油が
行き渡るネットワークを作っちゃった。

高市総理

高市さん、ワタクシと同世代だけど、
この人本当にスゴイなあと思う。

イスラム革命防衛隊は「冬虫夏草」のようなもの

「冬虫夏草」

高市さんの外交政策、いいですね。彼女
がやろうとしているのは、産油国との共
同備蓄をアジア諸国とともに保って行こ
うという仕組み。備蓄は今まで日本だけ
でやっていた。それをアジアの国々も一
緒にやろうよ!ということ。

ホルムズ封鎖に至ったコトの始まりは
イラン・イスラエル戦争。イスラム革命
防衛隊は世界が認めるテロリストのソシ
キでイラン政府を乗っ取った。まあ
「冬虫夏草」、つまり乗っ取り屋だ。

ヤンマタケというのがあって、トンボが
真菌に乗っ取られた姿だ。オニヤンマに
寄生しているヤンマタケの仲間がキノコ
を作るんです。トンボの体内はヤンマタ
ケという真菌で満たされ、真菌が完全に
トンボを食い尽くし、その後キノコを作
った。そしてトンボを乗っ取った。

オニヤンマ

ヤンマタケというイスラム革命防衛隊が
オニヤンマというイラン政府を乗っ取っ
たワケだ。

オニヤンマ(イラン政府)がヤンマタケという真菌(イスラム革命防衛隊)に乗っ取られた

大型動物は、食べられなくなって死ぬ

大型動物は食べることが出来なくなって死んだ

ブドウの表面とかリンゴの表面に小さな
生き物がいるんです。コレ、だいたい寿
命があって、約2日の命。その変異株、
つまり寿命が長くなって3日生きるヤツ
がいたり、あるいは短くなって1日で死
ぬヤツがいるんです。

ブドウの表面に小さな生き物がいる

小林武彦さんという「老い」を研究し
ている人がいて、「死なせる遺伝子」と
いうのを見つけた。要するに、死なせ
る遺伝子が壊れてる方が長生きなんで
すよ。

小林武彦さんは「死なせる遺伝子」を見つけた

酵母菌って約6000個の遺伝子を持ってい
て、そのうち200個余りを壊すと長生き
になっちゃう。

酵母菌は200個あまりの「死なせる遺伝子」を壊すと、長生きになる。

ネズミは食べられて死にます。野生のネ
ズミは1年も生きていない。ネズミもケ
ガしたり、ネズミ猫に追いかけられて食
べられたり、カラスに食べられたりして
死にます。

野ネズミは食べられて死ぬ

魚なんかもっと極端で、マグロは5000
万個の卵を産み、そのうちマグロになる
のは、数十匹。その数十匹もヒトに食べ
られて死ぬ。だからほとんど食べられる
為に生まれて来たような感じ。

生き残ったマグロも結局は人に食べられて死ぬ

大型の動物は食べられるんじゃなくて、
自分が食べることができなくなって死ん
じゃう。例えば、北極アザラシはエサが
獲れなくなると死んじゃう。まあ、老化
、ケガ、病気、そんなんで死んじゃう。
野生動物はケガはあるけど病気はあまり
多くない。生き物にはいろんな死に方が
ありますが、必ず死にます。

大型動物は食べられるんじゃなくて、自分が食べることが出来なくなって死ぬ。老化、ケガ、病気、そんなんで死ぬ。

毒を味わうヒトの進化

お茶っ葉、苦いんですけど。

植物は動物に食べられないように毒を作
ります。まあ、お茶っ葉がそう。アレ、
苦い。小型の霊長類はバッタ、昆虫な
どのタンパク質を摂って暮らしています
が、ゴリラやヒトのようなデカイからだ
の動物は小さなバッタを食べ続けて生命
を維持するのは大変。

小型動物はバッタ等をタンパク源として摂る

どうしたかと言うと、葉っぱを食べるよ
うになった。なので、体の大きな霊長類
が直面したのは、なるべく毒性の低い葉
っぱを選ぶということ。

デカイからだの動物は葉っぱを食べる

で、ワレワレは言葉を獲得して、火によ
る調理を獲得して、あと塩を使って保存
するという形で、あと、更にコレ食べて
いいよ、みたいな知識を伝えて行ってあ
まり、苦味感覚に依存しなくなった。
チンパンジーって、200種類以上の植物
を食べるのに、ホントに苦いのは1~2
種類。クスリに使うベルノニアみたいな
特別の植物だけ。チンパンジーはベルノ
ニアの茎の苦い汁を食べて寄生虫をやっ
つける。

ベルノニアの茎の苦い所は寄生虫対策になる

植物は動物に食べられたくないので、毒
を作る。すると動物は植物が作った毒を
避けるようになる。動物はやり方を変え
た。動物が次に何をしたかと言うと
『解毒』。まあ、肝臓を進化させて、毒
でも食べられるようにしたということで
す。

肝臓は毒を抜くように進化した

すると、次に葉っぱは何をするかと言う
と、別の毒を作る。まあ、そう言う『い
たちごっこ』をずっと長い進化の歴史の
中でやって来たという事です。ヒトはそ
の毒を味わうように進化してきました。

でも、それって、もしかして植物が生き
残る為の戦略かもしれません。だって、
ヒトは頼まなくたって勝手に、お茶の葉
っぱや葉物を増やしてくれますもの。

人を数える時、何で「一名、二名、・・・」なの?

日本語には独特な数え方があります。
ウシやブタは「一頭、二頭」。魚は
「一尾、二尾」。鳥は「一羽、二羽」。
実はこの数え方には明確的なルールが存
在します。それは「命が尽きた後、最後
に何が残るか?」というもの。

ウシやブタは命が終わった後に頭が残る
から「一頭」。魚はシッポが残るから
「一尾」。鳥は羽が残るから、「一羽」。
では、ワタクシたち人間が亡くなった時
に何が残るのか?名前が残るんですよ。

肉体は滅びても、名前は残ります。歴史
上の偉人たちを見ても明らかなとおり、
今は生きていない人達もその名前は永遠
に語り継がれています。

だから、人を数える時は、肉体が朽ち果
てても最後に残る「名」を使って数える
。それが「一名、二名、・・・」という
数え方に込められた先人たちの敬意なん
ですよ。

人は死んだら、人は名前と年月だけが残る

墓参りで感じるのは、「そこにあるのは
絶対的な平等」。ただそれだけ。生前ど
れだけ立派な肩書を持っていたとしても
、どれ程苦しい暮らしをしてたとしても
、死んでしまえば最後に残るのは一枚の
石に刻まれた名前と、いつ頃生きていた
かという年月だけなんですよ。

      おしまい

鉛筆の真実

レレレのおじさん

よお~し、今日は暇だし、円錐でも描い
て遊ぶか!円錐の体積って確か、

底面×積高さ×3分の1。

ってことは、円柱の体積の3分の2を捨て
たものが円錐ってことか!あれっ?って
ことは鉛筆って使う時、3ぶんの2は捨
ててるじゃん!

じゃあ、もしかして、今まで人類の歴史
の中で鉛筆を作るために伐採された木の
3分の2は、ただ削って捨てられて来たっ
てこと?

滅茶苦茶、もったいないじゃん!

『レレレのおじさん』は、おシャカ様の弟子『パンタカ』

天才バカボンに出てくる『レレレのおじさん』

天才バカボンに出てくる『レレレのおじ
さん』は、あの人、実はおシャカ様の弟
子のパンタカさんという人をイメージし
てて、その人、おシャカ様の弟子の中で
は、残念ながらアタマは良くなかったん
です。兄弟子たちがバカにするんですよ
。『オマエ、全然ワカってねえな!』と。

『パンタカ、お前、何もわかっちゃいねえな!』

ある日、パンタカさんがおシャカ様に、
『私、どうしたら修行、進めますか?』
と尋ねたところ、『じゃあ、お前、何が
できる?』『私、掃除ならできます!』
と答えました。『じゃあ、掃除しようか
?』

お釈迦様

その当時、精舎と言って、修行する人た
ちが集まっている場所があって、おシャ
カ様はそこを掃除してくれ!と指示しま
した。そこでパンタカさん、一生懸命、
毎朝掃除をするんですよ。

パンタカは毎日、一生懸命に掃除をする

掃除をしていく中で、いろんな人々から
喜ばれるんですよ。真面目にキレイにし
ていくから、その喜ばれている状態をパ
ンタカさんも嬉しいと思って、自分は人
の役にたっていると思って、ますます一
生懸命、掃除をしていくわけです。

そして、ある日、おシャカ様が、
『パンタカ、楽しそうに掃除をしている
ね!』と言うと、

『はい、楽しいです!』続けて、

『生きていて楽しいか?』と言うと

『はい、楽しいです!』と答えた。

おシャカ様こう言いました。『じゃあ、

君はもう、修行は終わりだ。君は辿り着

くべき境地にたどり着いた!』

すると、弟子たちが驚いて、『おシャカ
様、何言ってるんですか?コイツ、おシ
ャカ様の言ってることなんか、何も理解
していないじゃないですか。コイツ、何
もわかっちゃいませんぜ!』

『おシャカ様、何言ってるんですか?コイツ、何もわかっちゃいませんぜ!』

おシャカ様は言いました。『じゃあ、君
たちは幸せになったのか?苦しみが無く
て、毎日が楽しく暮らせているのかい?
このパンタカはもう楽しい生活を送って
いるんだ。君たちが辿り着けない境地に
来てるんだよ。だから、修行は終わりだ
!』

悟りの仕組みを理解せずとも、生活で体
現できている。自分の心が何をしたら楽
しいか、そして世の中がどうしたら、自
分を受け入れてくれるのか、それが上手
くかみ合っているということで、『パン
タカよ、君はもう悟りを得ている、悟っ
た状態だ!』ということで、認定したん
ですよ。

      おしまい

AIにとっては「金曜日の午後の出来事」に過ぎないのか?

ある数学者が「7年間」かかって、頭か
ら煙が出るほど考えて、やっと答えを出
した超難問をAIに解かせてみたら、たっ
た「8時間」ほどで解いてしまった。AI
にしてみれば、「金曜日の午後の出来事」
程度に過ぎないのか!?

AIは超難問もあっという間に解いてしまう

将棋ロボット「ポナンザ」も1手を指す
のに0,1秒で指すことも出きるし、1試
合を0,1秒で指すこともできる。生身
の人間は、情報処理能力ではもうAIに
は到底叶いません。

AIの将棋ロボット『ポナンザ」は情報処理能力が無限大。

そうではありますが、AIは「自由な発想
」の分野はチョット弱いみたい。AIに
「何かいいことがあれば教えてくれ!」
と相談しても「何か、ヒントを下さい。」
と言う。情報の量が少なすぎると、AIと
いえども困っちゃうようだ。

AIも条件が少なすぎると困っちゃう

八つぁんと熊さんの花見酒

春になると、近くの円山公園では花見を
しながら酒を飲む人が増えてきます。
まぁ、酒好きにはたまりません。
花見といえば、「八つぁんと熊さんの花
見酒」という話があります。
コレは江戸時代の落語。

八つぁんと熊さんが樽酒を二人で担いで
いる。八つぁんが手持ちの十文を熊さん
に渡して、酒を一杯飲ませろという。
熊さんがいいよと言う。

八つぁんが手持ちの十文を熊さんに渡して、酒を1杯飲ませろ、と言う。

次に熊さんが八つぁんからもらった十文
を八つぁんに渡して、おれにも飲ませろ
と言う。これを続けると、樽酒はいずれ
なくなる。経済統計は、それでつじつま
が合っています。収入と支出のつり合い
が見事にとれているから。自然と経済の
関係は、まさにコレ。お金は数字で、そ
してただの紙切れ。それが実態のないこ
とは誰でも知っている。

お金は数字でそしてただの紙切れ。それが実体のないことは誰でも知っている。

花見酒でいうなら、十文のやりとりはウ
ソで、酒が減るのと八と熊の2人が酔っ
払うのが実。八と熊のやりとりが経済で
、酒の減少が資源。八と熊が酔っ払うこ
とは、人が生きているということ。江戸
時代の人はこのことをわかっていたから
落語になったのだ。

酒の減少が資源

そのようなことを解剖学の養老孔子(仮
名)先生が以前おっしゃっていた。この
先生、人体の解剖だけでなく、経済の解
剖も時々します。手法は同じらしい。

解剖学の養老先生

 

「お墓参り」をする人の心の中

ワタクシ、ある時体調が悪くなって、
もしかして死ぬのでは?と思い,無性に
お墓に参りたくなって早朝、まだ家族が
寝ている時間に円山墓地を散策したこと
があります。「家族を残して今、死ぬわ
けにはいかない!」

  札幌の都心に近い円山墓地

また、ずっと昔の受験生の時ですが、突
然何を思ったのか、気がついたら御先祖
様のお墓の前に2時間ほど突っ立ってい
たことがあります。自分の力ではどうす
ることもできない、そんな精神的に弱っ
ている時にお墓に行きたくなったのだ。

昔、受験生の時、突然お墓に行きたくなり、気がついたら御先祖様のお墓の前に立っていた。

まあ、ワタクシの話はいいとして、今日
は小説家から坊さんになった瀬戸内寂聴
さんのしゃべっていた話をします。お墓
の話です。お墓の前に立つということは
、亡くなった人にただ手を合わせるだけ
ではありません。終わりを意識すること
で、今という瞬間がいかに尊いのか気ず
かされます。

小説家から坊さんになった瀬戸内寂聴さん

墓参りで感じるのは「そこにある絶対的
な平等」どれ程立派な肩書を持った方も
、どれほど苦しい生活をしていた方も、
最後には1枚の石に名前と年月が刻まれ
るだけなのです。生きている間はどうし
ても比べてしまう。あの人は成功した。
この人は恵まれている。でも、お墓の前
に立つと、その様な思いがスッと消えて
いく。なぜならそこは誰もが同じ場所に
帰っていくことを思い知らされるからだ

頑張って、立派な肩書を持って成功したぞ!

100年後に自分の名前を憶えている人は
ほとんどいなくなる。すると、今抱えて
いる怒りや執着がたいしたことではない
と気ずく。明日があると思い込んでいた
気持ちが少しずつ溶けていき、今という
一瞬の重みを自然と受け入れるようにな
る。すると人の生き方は驚くほど変わっ
て来る。

成功した人も、苦しい生活をした人も、最期には1枚の石に名前と年月だけが刻まれるのです。

まず、朝窓を開けた時に入って来る風を
ただの空気として捉えずに、今日も息が
できることに感謝するようになる。人と
の向き合い方も変わってくる。命の短さ
を実感している人は、この一度の会話が
もしかして最期になるかもしれないと知
る。すると心を込めて答えるようになる

朝窓を開けた時に入って来る風をただの空気として捉えずに、今日も息ができることに感謝するようになる。

この一度の会話が、もしかして最期になるかもしれないと知ると、心を込めて答えるようになる。

仏教の教えでは「今、この瞬間こそが
すべてである」。お墓の前に立つと、あ
の場所は決して死を教える所ではないと
いうことがわかるし、あそこは私たちに
どう生きるかをそっと問いかけてくれる
場所なのです。

お墓の前に立てば、どう生きればいいか、そっと問いかけてくれる。

お墓に刻まれた名前と年月はとても簡素
ですが、その短い印の中に1人の人生のす
べてが収まっている。どれほど忙しく過
ごしても、どれだけ富を手にしても、や
がて同じような静かな形へと帰っていく
のです。そこには只々、墓石の沈黙があ
るだけなのです。

徳川家康の墓

      おしまい

 

 

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