アパートの裏の小径が石見(いわみ)銀山街道だった

石見銀山街道、馬がやっとすれ違えるほどの狭い小径です

ワタクシ、広島の実家を時々、ネットの
衛星画像で空から見ています。先日、1
つ驚いたことがありました。今は亡き父
(小川忠志)が実家の近くに小ぶりのアパ
ートを持っておりまして、ワタクシ、少
年オガワは小さい頃、お手伝いによく連れ
ていって貰いました。

で、久しぶりにそのアパートどこだっけ
なあ?と探していたら、ありました、あ
りました。よく見ると、アパートの裏の
ショボい道に『石見銀山街道』って書い
てあるじゃないですか。

『石見銀山街道』と書いてある

『えっ?あのショボい小径が石見銀山街
道の一部なの?・・・そうなの?』

『えっ?あのショボい小径が石見銀山街道?』

と、目が点になり、ホントかどうか、
石見まで続いているかどうか、念のため
衛星画像で追って行きました。すると、
確かに石見地方まで繋がっていた。

石見銀山街道(笠岡道)・実家、府中を通る

スゲー、南蛮貿易の頃、日本の歴史によ
く出てきた石見銀山じゃ!こんな小っち
ゃい事でも、高校生の頃から関心を持っ
ていたなら、もっともっと、日本の歴史
に興味を持っていたに違いない。時代小
説の水戸黄門にも登場する。

水戸黄門の石見銀山の話(第38部・第3話)

でも、よく考えてみたら、少年オガワは
オッサンみたいにそんな古臭いことに興
味を持つはずがない。もし持ってたら、
元歴史大好き少年、磯田道史氏に近ずけ
たかもしれない。彼はお隣の岡山県で少
時代を過ごした。

山の方に向かう石見銀山街道

ところで、石見銀山って何か?っていう
と昔、昔の16世紀、鉄砲がポルトガル人
によって、種子島に伝来されたと、歴史
の教科書に書いてあります。その時たま
たま、鉄砲が伝来したと思われています
が、実はそうじゃないんです。日本に偶
然持ち込まれたと思われてきた鉄砲は日
本の銀を手に入れる為の商品。その頃日
本で一番たくさん銀が発掘されたのが石
見銀山。

スペイン人ザビエルもポルトガルに遅れて来た

ポルトガルの商人達は火薬や弾の原料の
鉛や硝石を日本に持ち込み、代わりに日
本の銀を持ち帰ったんです。まあ、これ
が南蛮貿易の始まり。

これがポルトガル人によって日本に鉄砲
が伝来した本当の理由。

金山、銀山の奪い合いを中心に戦国時代
の覇権を考えると、実はわかりやすいん
ですよ。近いうちにブログに書いてみよ
うかな。

 

 

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