「いけず」という言葉があります。
これは、北海道の方はご存知ないかもし
れませんが、関西方言で「意地が悪いこ
と・人」のこと。
ワタクシ、昔、京都の洛中に住んでいた
ことがありまして、思わず「なつかしい
!」と思ってしまいました。
例えば、お隣のピアノの音がうるさいと
思っても、「ウルサイ!」とは言わずに
「お上手でんなぁ」と言う。
「まぁ、きれいなネクタイしてはるなぁ
」と言われたら、「派手なネクタイして
あんた何考えてんの?」。
「何を着ても似合わはりますなぁ」と言
われたら、「そんな恰好して恥ずかしゅ
うないんかい!」。
料亭などでウンちくを垂れる客に「お客
さんよう知ってはりますなぁ」と言われ
たら、「つまらんこと言わんと、黙って
食うたらええねん」。
まだまだある。
子連れの親に「まぁ、元気のええお子さ
んやな、子供は元気が一番や」なら、
「静かにさせなさい。どんなしつけしと
るんや!」
京都の外から移住してきた家の庭先を見
て、「きれいにしてはりますなぁ」なら
「毎朝掃除せんかい!草くらいむしっと
け!」。
彼らはこうした「いけず」をニコニコし
ながら言ってのけるので、勝手を知らぬ
非・京都人は思わず「ありがとうござい
ます」なんて返してしまう。
非・京都人のワタクシもかつてはそう
言っていた。
しかし、おそらくこの瞬間、目の前の
京都人の目は全く笑っていないことを
確認しなければならない。
でも考えてみれば、「いけず」を使うの
もわかる。
京都の歴史は戦乱の歴史。
戦いの度に京都はよそ者に破壊されて
きました。
だから京都人は自分の身は自分で守ると
いう社交術を身に着けてきたのだ。
それに、無用な衝突も避けられるしネ。
ワタクシ自身、若い頃、京都にいる友人
から「上洛の際にはぜひお立ち寄り下さ
い」という年賀状をもらったことがあり
ます。
ワタクシ、ブッ飛びました。
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