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「脚気・江戸わずらい・ビタミンB1・森鴎外の負け」

海軍軍医VS陸軍軍医の「脚気論争」

 

先日ビタミンCの話が出たので、今回も
ビタミンB1の話です。「江戸わずらい」
という話につながるのですが・・。

「脚気(かっけ)」は、昔日本で国民病
といわれるほど流行した歴史があります。

それにかかると神経が侵されるので、
手足がマヒしたりしびれたりする。

特に江戸時代、玄米に代わって白米が
普及すると、脚気が広がり始めました。

米の胚芽に多く含まれるビタミンB1が
精米によって取り除かれるからです。

で、脚気は原因不明の奇病といわれ、
白米が早く普及した江戸に多かったため
、「江戸わずらい」とも呼ばれていまし
た。

特に白米を食べる殿様や身分の高い人に
多く出て、玄米しか食えないような貧乏
人には少なかった。

明治になって、イギリス留学経験のあっ
た海軍軍医の高木兼寛はイギリス海軍に
脚気がないことに気付き、兵食に麦飯や
パンを食べさせた。

すると、脚気は激減。
経験と勘です。

一方、東大からドイツに留学し最先端の
医学を学んだエリート陸軍軍医の森林太
郎は、脚気は「脚気菌の仕業じゃ」と。

当時ドイツでは細菌学が盛んで、世界を
リードしていましたからね。

しばらくして、ポーランドの生化学者
カシミール・フンクが「ビタミン」を発
見し、ようやく脚気はビタミンB1欠乏症
の1つだということがわかりました。

そして海軍軍医対エリート陸軍軍医対決
は、海軍軍医、高木兼寛の勝ちという
結果に。

で、その陸軍軍医の森林太郎は、医学史
ではあまり評判のよくない人物ですが、
一般には森鴎外の名で知られる、作品
「舞姫」でおなじみの、日本を代表する
文筆家なんです。

鴨川デルタ

京都の鴨川デルタ

 

それにしても、8月に入って札幌は
昼も夜も蒸し暑かった。

ワタクシ昔、京都に住んでいたことが
あるのですが、京都も夏は蒸し暑くて
冬は底冷えがするほど寒かった。

京都は昔から、地面の下には地下水が
たくさんあって、夏は暖まるとなかなか
冷えません。

それどころか、地面から蒸気が上がって
くるので、蒸し暑い。

冬は水が冷えて地面が氷になってしまう
ので、底冷えします。

まぁ、体感としては、指のヒフの下に
氷ができている感じ。
冷たいより痛かった。

ところで、都で重要なのは、森林と川。

森が重要なのは、石油や石炭が発見され
る前は木を燃やして暖や明かりをとって
いましたからねぇ。

京都には鴨川があって、近くには水源の
ビワ湖があります。

写真は、鴨川デルタ。

賀茂川と高野川が合流して鴨川になる
地点です。

この写真を見ていると、なんだか涼しく
なってきました。

大航海時代、壊血病になる船乗りたちが多かった。

デカビタC

 

先日、家の冷蔵庫の横にデカビタ6本入
のケースがドンと置いてありました。

うちの奥さんによると、近くのスーパー
で安売りしていたとのこと。

夏になって喉が渇くと、デカビタC(サ
ントリー)のような炭酸飲料が恋しくな
ります。

デカビタCは、ちょっと大きめの、ビタ
ミンCを含んだ炭酸飲料のこと。

ビタミンC不足は、歯科で関係するとい
ったら、血が止まらないことか。

まぁたまに壊血病の方がおられますが、
観血処置をすると血がなかなか止まりま
せん。

これは、血管をつくるコラーゲン線維の
材料に必要な、特別な栄養素のビタミン
Cが不足するから。

昔、大航海時代に船乗りたちがよく壊血
病になっていました。

ビタミンC不足の人たちがそのまま船に
乗ると、血管をつくる時に必要なソシキ
の間を埋めるコラーゲンが不十分で出血
しやすくなるんです。

船の上では、長い間、新鮮な野菜や果物
が食べられませんものね。

当然ビタミンCは不足するわけですよ。

ヒトのカラダは35億年かけてできた「答え」です。

35億年の答え

 

この季節になると、至るところにタンポ
ポやポプラの花粉が飛んでいます。

今年は新型コロナウイルス対策でマスク
をするから、耳鼻科の先生によると、
花粉症の患者さんが減ったトカ。

タンポポのように根をはって動けない
モノ達も、いろいろ知恵を出して子孫を
残しています。

ワレワレも含めて、植物も動物も細菌も
、生き物は35億年の間地球上でいろん
な目に遭ってきました。

それを通り抜けて生き延びているので、
たぶんワレワレ生き物はそういう問題集
の「答え」なのだ。

だから自然を見ているというのは、答え
を見ているということになる。

「木の葉っぱは何であんな風についてい
るんだろう」と考える。

考えても仕方がありません。
それが答えなのだから。

光合成やって生きているので、2枚重な
っている葉っぱなんてありません。

いろんな計算をさんざんやって、35億
年で出した答えが今、目の前にある。

新型コロナウイルスでかなりヒトはやら
れています。

でも、ヒトは35億年かけて生き残った
勝者。

ヒトのカラダってヤツは、ウイルスに
さんざん痛い目に遭わせられて、それで
も生き延びてきた、いわば「答え」なの
ですから。

よくできているハズなのです。

「知る」ということは「自分が変わる」ということ。

井の中のカワズ大海をシッタ

 

江戸時代のお百姓さんは、子どもに「勉
強せえ!」と言わなかったそうです。

世の中があるイミ安定してて、フツーの
親の職業を継いできちんとやっていかな
いといけないので、その時うっかり「勉
強せえ!」と言って、その結果学問をし
て考えが変わっちゃったらどうするか。

お百姓さんは毎日過酷な肉体労働をやっ
ているワケで、そういうのがバカバカし
くなって、もうやらなくなるんじゃねぇ
かと心配するワケです。

そして家を飛び出して、帰ってこない。

だから江戸時代は、「知る」ってのは
危険なことでした。

今は「知る」ってのが危険じゃないから
、安心して親は「勉強せえ」と言える。

ワタクシの過去を振り返ってみれば、
うちの死んだバアさん、明治生まれで、
「まぁそこそこ勉強して、地元の先生か
公務員にでもなって家を継いでくれれば
ええ」と思っていたようです。

ワタクシも高校を卒業するまでは、「ま
わりもそうしているし、オレもそうする
んだろうな」と思っていました。

が、卒業後、まわりの連中と深く交わる
につれて、「もっと違う世界があるんじ
ゃねえか?」ということに気づいてしま
ったのデス。

「変わった」としたら、多分その頃。

その後、家族のコトを考えると、ずっと
「自分は最低だな」と思っていたのです
が、今は亡きうちの両親もそんな「変わ
った」自分をよく応援してくれたなぁと
思う。

外国人に参政権を与えたら、ハワイ王国が乗っ取られてハワイ州になった。

ハワイ王国

 

ロシアがウクライナ東部のある州で、
住民投票をするとかしないとか。

このニュースを見てワタクシ、昔、ハワ
イ王国が乗っ取られてアメリカのハワイ
州になった話を思い出しました。

そもそも昔、日本とアメリカの間にハワ
イ王国ってのがあって、今はアメリカの
州の一つになっているのですが、何でな
ったかというと、もともとハワイという
独立国だったんですが、で、そこには
軍隊がいなかったんですよ。

そこにアメリカ人がいっぱい働きに来て
、アメリカ人に対して投票権を与えたん
です。

外国人でもハワイに住んでいるんだった
ら、別にいいじゃんということで、参政
権を与えた。

するとハワイ内で誰が起こしたかわから
ないんですが、内乱が起きたんです。

そこでアメリカ軍が出動して、内乱をお
さめ、ついでにハワイの国王を監禁しち
ゃった。

で、憲法を変えたんです。

「アジア人が多くなっているから、アジ
ア人に投票権を与えるのはよくないね」
って。

で、アメリカ人とかヨーロッパ人の参政
権はOK。

ハワイ人に関しても、お金持ってないハ
ワイ人に参政権を与えるの、よくないん
じゃない?ということで、ハワイ人であ
っても財産・資産を持っているハワイ人
に限って投票権を与えるってのを加えた
んです。

だから、投票権を持っているのは、アメ
リカ人とヨーロッパ移民と、一部のお金
持ちのハワイ人。

今、日本国内のスーパーに行ったら、
ドールって会社のジュースが置いてあり
ます。

そのドールがハワイでぶりぶり言わせて
、ハワイの果物を輸出したりハワイの
ジュースを作ったり、ハワイの金持ちが
ドールと一緒に仕事をしてお金もらった
りするので、ドールが巨大になった。

ある日ドールの社長さん(アメリカ人)
が、「オレ、ハワイの大統領になりたい
んだよね」って言い出した。

で、ハワイの有権者が投票したら、ドー
ルさん、めでたくハワイの大統領になっ
ちゃった。

で、彼はハワイの憲法を変えちゃった。

その後、アメリカ人であるドールさんは
「やっぱ、オレらアメリカの属国になる
わ」と言って、アメリカの州になるって
いう決議をした。

民主的にしたんですよ。
で、ハワイ王国は滅亡。

後でアメリカ議会は謝罪しているんです
よ。

「あん時はゴメンね、ハワイの皆さん」
って。

外国人に参政権を与えたら結果的に国が
乗っ取られちゃった、という話でした。

「逃げる時は、ボロが一番じゃ!」(「おんな太閤記」より)

逃げる支度をする女たち

 

BSで日曜日の朝やっている「おんな太閤
記」は、豊臣秀吉の天下取りを佐久間良
子演じる妻「ねね」の視点からとらえた
物語。

男たちの戦う姿より、待っている女たち
がどう考え、どう行動したかにスポット
が当てられています。

このような歴史物は史実に基づいて忠実
に描かれますが、スキマの部分は脚本家
の腕の見せ所。

そのスキマは空想が多いのですが、空想
の中に時々ビックリするような真実が
混じっていることがあります。

ワタクシの大好きなセリフが1つあって
、それはどんなのかというと、本能寺の
変で信長が破れた時に、城に残った秀吉
(藤吉郎)のおっかさんが女たちにしゃ
べった言葉。

「信長様が殺されたら、藤吉郎の首が
飛んだも同然じゃ。さぁ、今すぐ逃げる
ぞ。落ち着いたら中村に戻って百姓をし
ようぞ。中村には田や畑もある。昔に
戻ったと思えばよいことじゃ。(中略)
そのようなモノを背負って逃げられると
でも思っておるのか。命がのうてはモノ
など何の役にも立たぬわ。逃げる時は
ボロが一番じゃ。間違うても絹なんか身
にまとうな。怪しまれるだけじゃ。」

秀吉のおっかさんにしゃべらせた橋田壽
賀子の一連のこの言葉、ワタクシ頭の中
で何度も何度も再生しました。

確かに、本能寺の変の明智光秀も関ヶ原
の戦いの石田三成も、逃げる時にはボロ
を着ていたぞ。

YouTubeがビジネスモデルを根底から変えたんだ。

YouTube芸人

 

ワタクシが学生の頃の駿台・河合塾・
代々木の三大予備校は、店舗型の予備校
でした。

だから収入には上限がありました。

最も条件が悪いのは、個別指導・家庭
教師。

収入には限度があります。
一人の生徒だけからお金をもらうしかな
いんです。

一人が複数教室を持ち、大教室で教えら
れるようになったから、駿台予備校は
強かった。

家庭教師や個別指導を経て、大資本を
投入して大教室をつくることで、大人数
で大人気講師でワーッと盛り上げた。

私が昔お世話になった京都のS台予備校
は、英語の表、数学の青塚の2枚看板
講師で生徒を集めていました。

ところが時代が変わって、そこに東進ハ
イスクールがやってきた。

東進がやったのは、ビデオオンデマンド。

つまり、1回つくった講師のビデオを
何度も何度も見れるようにした。

そしたら収入が無限に入り続けた。

「今でしょ!」の林先生の授業が見たい
って東進ハイスクールに入れば、何万人
いたって同じタイミングでその授業が
見られるんです。

そういう時代が来ました。

何人も先生がいらないんだから、たった
一人の有能な先生がいたら、動画配信を
して、何万人も見れる。

商品を一本一本売っています。
その典型がYouTube。

逆に、時間制限があったのがテレビ。
1回放送されたら終わり。

でもYouTubeは動画が回り続ける限り、
ずっと収入につながる。

これが上限のないビジネスモデル、つま
りデジタル革命だ。

これに若者が飛びついた。
好きなモノを好きな時に見れる。

お笑い芸人とYouTube芸人では、全く
ビジネスモデルが違います。

TVに出ている人は1回の出演料をもら
うビジネスモデル。

YouTube芸人は1回つくった動画を上限
のないお客さんに届けるっていうビジネ
スモデル。

YouTubeがビジネスモデルを根底から
変えたんだ。

「弱い集団が強くなっていく時の大切なこと」の巻

最強、甲斐の武田騎馬団

 

先日、BSの「英雄たちの選択」で「若き
家康、一向一揆」ってのをやっていまし
た。

若き日の徳川家康が百戦錬磨だった理由
を考察していくっていう番組。

MCの磯田氏が言っていたのですが、
政治家になるようなリーダーは、恨みを
忘れる才能も大切だそうです。

最後まで覚えていて、アレコレねちねち
言うんじゃなくて、さっさと忘れる能力
も必要。

理不尽に迫害、滅亡させるとマズイ。

後になったらゆっくり、昨日の敵が今日
の友になることがありますからねぇ。

昔、信長が伊賀国を攻めた時、忍びの者
たち、まぁ忍者のことですが、家康を頼
ってたくさん移住してきました。

家康は受け入れました。

あと、甲斐の武田が滅びた時、家康は
残党の武田軍団を迎え入れました。

昨日まで敵だった者たちを自分の中に
組み込んだ。

そしてどんどん強い集団になっていった。

まぁ、「忘れて、許して、取り込む」。
これが弱い集団が強くなっていく時の
コツのようデス。

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