
ワタクシの生まれた府中という町は、今
は広島県なのですが、ついこのあいだ
(明治の初め)までは岡山県でした。そ
の前は「備後の国」その前の前は
「吉備の国」。


府中市の土生町という里山。キジや野良犬、時々サルが出た。
吉備の国って,古代は大和の国(奈良)、
出雲の国(島根)、筑紫の国(福岡)と
並んで、巨大勢力を持っていた地方豪族
だったんですよ。あの「もも太郎」がサ
ルやイヌ、キジに「欲しけりゃ、やるよ
ホレ!」と分けてあげたきびだんごの
「吉備」。

大和(奈良)、出雲(島根)、筑紫(福岡)そして吉備(岡山)は巨大勢力を持った地方の豪族でした。
もう神話の世界の話なんですが、弥生時
代にはもうあった吉備の国を飛鳥時代に
女帝・持統天皇が備前・備中・備後に分
けたんですよ。689年の出来事です。
今の岡山県付近です。うちの実家のあた
りは「吉備の国」から「備後の国」に変
わった。日本の骨格を作った藤原不比等
の頃です。天智天皇、天武天皇の治世の
ちょっと後です。

飛鳥時代に女帝・持統天皇が吉備の国を備前、備中、備後に分けた。

女帝・持統天皇

ナンバー2の権力者・藤原不比等
それが、奈良時代、平安時代、鎌倉時代
、南北朝時代、室町時代、江戸時代と、
ず~っと続いてそれが明治になって、国
分けをちゃんとしようということで、う
ちの実家のある「備後の国」は明治8年
に岡山県に取り込まれました。

ワタクシの実家のある「備後の国」はこんな感じの風景が多く、山が家の近くまで迫っている。
でも1年後の明治9年、「「岡山県ってちょ
っと大き過ぎねえか?」ということで、
「備後の国を隣の安芸の国と一緒にしち
ゃえ!」ということで、仲の良かった西
側の安芸の国と一緒になって、広島県に
取り込まれました。

備後の国は安芸の国と一緒になって、広島県になった。向こうに見えるのは瀬戸内海。
備後の文化・方言は岡山寄り。だけど区
分けは広島県。地元の子たちは大学は岡
山に進学する子が多いんですよ。三重県
と同じです。三重県は文化・方言は名古
屋圏。だけど区分は近畿地方。

三重県は文化・方言は名古屋寄り。だけど区分は近畿地方。
「もも太郎」の方言はワタクシも小さい
頃、使っていました。なんの違和感もあ
りません。ワタクシの子供の頃、サルは
時々山で見かけました。野生のイヌとキ
ジはその辺にゴロゴロいました。やはり
「もも太郎」はワタクシの実家のあたり
の物語だ。

吉備の国の桃太郎
今は亡き母親が、やたらと「もも太郎」
の話をしたがっていたことを思い出しま
した。世の中には「金太郎」とか「一寸
法師」とか「浦島太郎」とか、もっと面
白い話がいくらでもあるだろう。でも、
母の話はいつでも「もも太郎」でした。

母の話はいつでも「桃太郎」
少年オガワは「今日もまた《もも太郎》
の話か!」と、うんざりでした。
どうせ明日も「もも太郎」だろう!。
「もも太郎」はもうワカッタ。
たまには、ほかの話も聞きたいんだよ。