雪国の現実

「富山の遊び場」より

 

今年の雪の量は半パじゃあなかった。

朝起きて雪が積もっていると、ため息が
出る。

雪が降った理想と現実バージョンです。

◎雪が降った(理想バージョン)

「あっ、雪だ!ワーイ!いっぱい降った
よ、ワーイ!」

◎雪が降った(現実バージョン)

「今日も雪か!ハァ。ほんとに雪かきせ
んとな。ここ、危ないんよ。滑るから
階段作らな。スコップ、刃折れとるし。
そんな甘くないんだよ、現実は。ホント
に今日も朝1時間早く起きて雪かきして
しもうたワ。雪国、ツライ・・・。」

「懐かしい曲を聴くと、タイムマシンに乗って・・・」

ビートルズ

 

ある女性の患者さんの治療中、B.G.Mで
ビートルズの曲が流れてきました。

「懐かしいワ!5,60年ぶりに聴いたん
じゃないかしら」

目を閉じてずっと聴かれていたようです。

「私が中学生の頃、この曲がラジオでい
つもかかっていたのよ。ホントに懐かし
いわ。」

そして、うっとり聴く。

彼女はきっと、ビートルズ世代だ。

そうです、ワタクシも懐かしい曲を聴く
とタイムマシンに乗って、その頃にワー
プしてしまいます。

友達のアイツやコイツと過ごしたこと、
部活から帰ってくたくただったこと、
今は亡き両親がまだ今のワタクシの年齢
よりも若くて元気だった頃のコトを、な
んとなく思い出します。

頭の中で時間旅行をしていて、ふと鏡の
中を見ると、「誰だ、このオッサン⁉」

記憶の中では自分はまだ若いハズなのに
、一気に現実の世界へ連れ戻される。

そういえば、昔、年をとったらみんな
演歌を聴くようになると信じていました。

でも、どうもそうじゃないらしい。
年をとってわかることもある。.

年配の方々がピカピカ光っていた若い頃
、そこには演歌がこれでもか、これで
かというほど流れていた。

そんな演歌を聴くと、自分の輝かしくて
ピカピカに光っていた過去に戻ることが
できるのだ。

ヒトは年をとると、若い頃聴いた曲を
聴くようになると言いますが、ホントに
そうだと思う。

うちの奥さんは、すべてがそうじゃない
と言うけど・・・。

まぁそれはいいとして。

曲は昔と同じで、ちっとも変っていない。

年をとると、いつまでも変わらないで
自分を安心させてくれるものを好むよう
になるのだ。

時間旅行にお越しになる際には、くれぐ
れも手鏡を持っていかぬよう、どうぞお
気をつけ下さい。

 

 

水は100℃で沸騰し、0℃で氷になる話。

 

「そいういうもんだとズ~ッと思って
いた」という話があります。

水は100℃で沸騰して、0℃で氷になる。

ワタクシも深く考えずに、そういうもん
だと思っていました。

昔、小学生の理科の教科書にそう書いて
あったから。

でも大人になって、何でこんなピッタリ
した100℃とか0℃とかなんだろうと
思っていました。

でも、「まぁそうらしいし、深く考える
のはよそう。それでイイじゃん、そうい
うもんだし。ハイ、終わり」で済ませて
いました。

先日たまたま、テレビで高校講座を見て
いたら、温度計の話をしていました。

それによると、
「水が沸騰するのと水が氷るのを測って
それを100等分したものが1度」と、確か
言ってた。

「えっ、そうなの?」

実は高校生の時に習っていたのです。

「いや~、オレこんなの知らずによく
大学に入れたなぁ」と思いました。

10年前の全国ダンスドリル選手権優勝、田代君のコト。

札幌龍谷学園高校ダンス部

 

診療日のお昼休み、電話番をしていると、
意外な方からお電話をいただきました。

「田代と申します。先生とお会いしたこ
とは一度もないんですが、嬉しくなって
電話してしまいました。」

「ん?いったい何だろう⁉」

「以前のことになるのですが、実は2012
年7月30日のまるやまファミリー歯科院
長日記のブログに書いてもらった者です。
当時ワタシはお隣の龍谷高校のダンス部
の3年生でした。」

話を聞いてみると、最近友人から、『お
前の話がまるやまファミリー歯科の院長
日記のブログに載ってるぞ』と聞いて、
驚いて開いてみたら、『2012年の夏、
全国ダンスドリル選手権で札幌龍谷高校
ダンス部が全国優勝し、個人の部でも
田代典弥君(3年)が優勝した』という
ブログが書いてあったもので、会ったこ
ともない僕のことを記事にしてもらえる
なんて、感激して、衝動的にお電話して
しまいました、という内容。

そういえば思い出しました。

当時歯科のホームページとブログを開設
したばかりのところに、お隣の龍谷高校
の生徒がダンスで日本一をとったという
記事が新聞に載っていたので、こんなめ
でたい話はみんなに知ってもらわなけれ
ば、という使命感で書かせてもらったの
です。

仮名にしようか、実名にしようか迷った
んですけど、実名を出してしまいました。

今思えば、実名でよかった。
こんなに喜んでもらえて。

もう10年くらい前のブログなんですが、
インターネットって改めてスゴイなと思
いました。

こんなワタクシのような小市民のブログ
でも、たった一人の人を幸せな気分にで
きるんですもの。

それに、ずっと記録として残りますし。

ちなみに、田代君はダンスで日本一を
とった日がちょうどお誕生日で、今まで
生きてきた中で一番忘れられない日にな
ったそうです。

肉眼で見る限界の大きさは1/10㎜。

2/10㎜のクマムシ

 

初めての患者さんにブラッシングしても
らうと、たいてい出血します。

その赤いのは赤血球や白血球で、赤血球
の大きさは7~8/1000㎜。

だから実際、赤血球1コは目では見えま
せん。
あれはカタマリを見ているだけ。

1つ1つを100コ1列に並べてやっと
1㎜です。

ヒトが見ることのできるいちばん小さい
モノは、大きさにして約1/10㎜。

机の上を這っているとても小さな虫でも
たいていは1㎜を超えます。

まぁ、目に見えない昆虫というのは実は
いません。

昆虫ならいくら小さくても1/10㎜よりフ
ツーは大きい。

というのも、昆虫もまた細胞でできてい
るので、昆虫だからといって細胞の大き
さは特に小さくならないから。

一辺が10/1000㎜の長さの立方体を1000
コ集めると、一辺が1/10㎜の立方体にな
ります。

これなら、肉眼でやっと見えます。

でも、1匹の点ほどの大きさの昆虫でも
昆虫である以上、頭や足があって、エサ
をとり、動き回って子供を産む。

それならヒフもいるし、筋肉も、それを
動かす神経もいる。

そういったものは全てヒフ細胞、筋肉
細胞、神経細胞。

そう考えたら、いくら小さい虫でも細胞
の大きさよりはずっと大きくなければな
りません。

赤血球もひとつの細胞なのですが、赤血
球が20個ぐらい1列に並んだら、クマム
シのサイズになるのデス。

目に見えるモノ、目に見えないモノ

キツネと星の王子さま

 

歯ぐきの治療をしていると、「見えない
ものが大切なんだよなぁ」とよく思う。

歯にムシ歯があれば、「こりゃ大変だ!
すぐ歯医者へ行こう」と皆さんすぐ思い
たちますが、歯ぐきはいつもそこにあっ
て、穴もたいしてあいていないので、
皆さん、その下の方で大変なことが起こ
っているなんて夢にも思わないのデス。

サンテクジュベルの「星の王子さま」と
いうお話に、王子が出会ったキツネが
王子さまにこんなセリフを言いました。

「本当に大切なものは目に見えないんだ
よ。『愛情』や『友情』といったものは
目に見えないけど大切で、それらを支え
ている『信頼』や『誠実』といったもの
はなおさら大切なんだ。
 それがしまい込まれている『心』、そ
の中でも目に見えないものの頂点に君臨
するのは、『真心なんだよ』。」

まぁ、そんな感じ。

ヒトのカラダを考えたら、目に見えるの
が姿。
目に見えないものが、カラダの中にある
骨とか内臓トカ。

長生きすることだけを考えたら、姿より
も骨とか内臓の方が大切です。

だとしたら、口の中は大きく「ア~ン」
したらよく見えるので、大して大切じゃ
ないことになる。

まぁ、歯がなくても長生きしている人も
いっぱいいることだし。

こんなこと言うと、どこかの偉い先生に
「〇ガワ君、『即退場!』」と言われそ
うデス。

ワタクシが子供の頃は・・・

 

ワタクシは田舎育ちだったので、子供の
頃、遊ぶ道具といえば球とその辺に落ち
ている棒くらいでした。

そこで、それを使って遊ぶワケです。

「何とかごっこ」をするときには、たと
えば「今日はこれから仮面ライダーごっ
こをやるぞ!」とかガキ大将が宣言する
と、子供たちはライダーになったり、
ショッカー(悪の結社)になったりする。

竹や棒や物差しを振り回しているだけな
んだけど、そこにテレビで観た東京の下
町や京都の四条河原とかの風景が出てく
る。

でも、そういう遊びはメンバーが出たり
入ったりするワケで、誰かが家の人に呼
ばれると、「じゃあね」と帰ってしまう。

そうするとまた遊びが変わってしまう。
その都度、いるメンバーで遊びをつくる。

どの子も家が狭いし、親が家にいても
忙しいので、追い出される。
仕方がないので路地に出てくる。

すると、年上の子供たちが遊びを教えて
くれる。

そんなシステムが自然に出来上がってい
ました。

「〇ガワ君、遊ぼう」って外で呼ぶ声が
聞こえる。

出ていくと、2人連れの遊び仲間がいる。

急に言われても何すりゃあいいか思いつ
かないから、じゃあ何トカ君のうちに行
こうということになって、3人、4人と
ぞろぞろ別の子のうちに行く。

まぁ、昔はそれくらい時間が余っていま
したからね。

学校が終わってから晩ご飯の時間になる
まで、ホントウに長かった。

大人になって都会に住むようになると、
そんな子供たちは周りに誰もいなくて、
子供たちはみんな塾で忙しい。

今思い出したんだけど、ワタクシが子供
の頃は、同級生で町に住んでいる子たち
は塾に行っていた。

そう、確かに行っていた。

ということは、うちの田舎に塾がなかっ
ただけなのだ。

私の「カセットテープミュージック」

編集したソニーのカセットテープ

 

昔編集したドライブ用のカセットテープ
ミュージックを、久しぶりに聴いてみま
した。

何て心地いいんだろう。
もう3,40年前に編集したものです。

捨てないでよかった。

もう時効だから言いますけれど、ワタク
シは学生時代、親から仕送りを、まぁ、
そこそこもらっていました。ボンボンで
したから。

しかもバブルの頃ですから、景気もよか
った。

まわりの連中は家庭教師や塾のバイトを
していましたが、ワタクシは週3回の部
活に忙しくて、バイトなんかこれっぽっ
ちも考えたこともなくて、やる気もあり
ませんでした。

今考えれば、親のスネをとんでもなく
かじっていた、ポンコツ人間でした。

亡き親には、感謝しています。

さらに、何とか通してもらった奨学金を
貯金し、そのお金でビデオ編集機器や
ビデオカメラを一つずつそろえ、優雅な
学生生活を送っていました。

まわりにもそういう学生がゴロゴロいま
した。

そんな優雅な学生時代に編集したカセッ
トテープですから、学生時代のステキな
思い出がいっぱい詰まっています。

そりゃあ聴いていて心地いいハズだ。

 

カセットテープの箱のジャケット。みんな、オシャレでした。

 

誰が歌っているかちょっとのぞいてみた
ら、吉川晃司・松田聖子・浜田省吾・
岩崎宏美などと書いてあった。

現在まだ現役続行中のアーティストだ。

共通しているのは、カッコイイ系とお嬢
さん系。

バブルの頃ですから、こういう系統の歌
手が当時モテはやされていました。

 

こんな曲を聴いていた。

 

おそらく、私の学生の頃が歴史上、日本
が一番平和で、世界一裕福で、金持ちで
、コロナなんかの疫病の心配のない、い
ちばんてっぺんの時代でしたから、いい
音楽、いい映画、いい芸術が次々と生ま
れたのでしょう。

ちなみに、ビル・ゲイツが「インターネ
ットで世界がつながるんじゃねぇか?」
と気づいたのが、ちょうどこの頃です。

安達ケ原の鬼婆の歯

安達ヶ原黒塚にある鬼婆

 

うちのスタッフにたまたま「安達ケ原の
オニババ」の話をしたら、「先生、それ
ブログに書いて下さい。」と言うもんだ
から、書いてみます。

最後にチョットだけ、歯に関係している
部分が出てきます。

「安達ケ原の鬼婆」の話は最初チョット

悲しい身の上話があってそれはカット。

時は奈良時代。

ある旅の僧が陸奥を旅していた。その僧
、道行くうちに日が暮れて途方に暮れて
いたところ、向こうになにやら明かりが
あるので一夜の宿を求めて行くと、そこ
で一人の老婆が「淋しいところで一人暮
らししているのよ。」と謡をうたってい
る。

そこで旅の僧は「一夜の宿を貸して
くれ」と扉を叩く。

最初は断られたんだけど、押し問答の
末、泊まることとなる。

老婆は男女の仲になった後、やさしい
気持ちになって「お寒いでしょうから、
山に行って柴を取ってきます。今、火を
おこしますから、ここで待っててネ。
デモ、奥の部屋だけは開けちゃあダメ
よ。」と言って去っていく。

で、「開けるな」と言われると、人間、
必ず開けたくなる。

開けてみたらそこには、男の腐乱死体が
軒の高さまで積み上げられている。

僧が肝をつぶして逃げ始めると、それに
気づいた老婆が白髪の鬼婆の姿になって
追っかけてくる。(口は目元まで裂け、
歯は犬歯の4本だけ。)

その後は典型的なパターンで、僧が身に
離さず持っていた観音様をオニババに
投げつけたら、観音様が矢を放ってオニ
ババに命中して、何とか逃げ延びたって
いう話。

まぁ、歯科で関係するのは、オニババの
犬歯が4本残っているというところだけ。

おそらく、他の歯は歯周病で抜け落ちて
しまったのでしょう。
根っこの長い糸切り歯だけが残った。

奈良時代の話なので、歯が抜けたら
抜けっ放し。

この鬼婆、ケモノと化しているので、
人肉を犬歯で突き刺し、そのまま飲み
込んでいたのだと思う。

「生物と無生物のあいだ」のウイルスの話

はやぶさ2

 

以前に、JAXAの「はやぶさ2」が小
惑星「りゅうぐう」へ行き、岩石の破片
を採ることに成功しました。

これ、何かウイルスの増殖のやり方に
似てるなぁと思いました。

ところで、生物学者福岡伸一さんの書い
た「生物と無生物のあいだ」という本が
あります。

そこにウイルスの話が載っていました。

それによると、ウイルスってのは大腸菌
をラグビーボールとすれば、パチンコ玉
くらいの大きさで、見た目は優れた幾何
学的美しさをもっていて、あるものは正
二十面体、あるものはマユ状のユニット
がらせん状になった構造体、あるものは
無人火星探査機のようなメカニカルの
構成、同じ種類のウイルスは全く同じ形
で、そこには大小や個性といったものが
一切ない。

ウイルスは栄養をとることもないし、
呼吸もしない。
CO2も出さなければ、老廃物も排泄
しない。

つまり、一切生物のような代謝を行わな
いのだ。

ここからがオモシロイ。

ウイルスは惑星に不時着するようにその
メカニカルな粒子を宿主となる細胞の表
面に付着させる。

その接着点から細胞の内部に向かって
自分のDNAを注入する。

宿主細胞は何も知らずにその外来DNAを
自分の一部だと勘違いして複製を行う一
方、DNA情報を元にせっせとウイルスの
部材をつくり出す。

細胞内でそれが再構成されて次々とウイ
ルスが生産される。

それら新たに作り出されたウイルスは、
間もなく細胞膜をハカイして一斉に外に
飛び出す。

で、福岡さんは「ウイルスは生物と無生
物のあいだを揺れ動く何者かである」と
結んでいた。

まぁ、ウイルスが生物であろうが無生物
であろうが、世の中たいして変わりませ
んが、無生物から生物ができた可能性が
あると考えると、なんともロマンのある
話だなぁと思いました。

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