「お墓参り」をする人の心の中

ワタクシ、ある時体調が悪くなって、
もしかして死ぬのでは?と思い,無性に
お墓に参りたくなって早朝、まだ家族が
寝ている時間に円山墓地を散策したこと
があります。「家族を残して今、死ぬわ
けにはいかない!」

  札幌の都心に近い円山墓地

また、ずっと昔の受験生の時ですが、突
然何を思ったのか、気がついたら御先祖
様のお墓の前に2時間ほど突っ立ってい
たことがあります。自分の力ではどうす
ることもできない、そんな精神的に弱っ
ている時にお墓に行きたくなったのだ。

昔、受験生の時、突然お墓に行きたくなり、気がついたら御先祖様のお墓の前に立っていた。

まあ、ワタクシの話はいいとして、今日
は小説家から坊さんになった瀬戸内寂聴
さんのしゃべっていた話をします。お墓
の話です。お墓の前に立つということは
、亡くなった人にただ手を合わせるだけ
ではありません。終わりを意識すること
で、今という瞬間がいかに尊いのか気ず
かされます。

小説家から坊さんになった瀬戸内寂聴さん

墓参りで感じるのは「そこにある絶対的
な平等」どれ程立派な肩書を持った方も
、どれほど苦しい生活をしていた方も、
最後には1枚の石に名前と年月が刻まれ
るだけなのです。生きている間はどうし
ても比べてしまう。あの人は成功した。
この人は恵まれている。でも、お墓の前
に立つと、その様な思いがスッと消えて
いく。なぜならそこは誰もが同じ場所に
帰っていくことを思い知らされるからだ

頑張って、立派な肩書を持って成功したぞ!

100年後に自分の名前を憶えている人は
ほとんどいなくなる。すると、今抱えて
いる怒りや執着がたいしたことではない
と気ずく。明日があると思い込んでいた
気持ちが少しずつ溶けていき、今という
一瞬の重みを自然と受け入れるようにな
る。すると人の生き方は驚くほど変わっ
て来る。

成功した人も、苦しい生活をした人も、最期には1枚の石に名前と年月だけが刻まれるのです。

まず、朝窓を開けた時に入って来る風を
ただの空気として捉えずに、今日も息が
できることに感謝するようになる。人と
の向き合い方も変わってくる。命の短さ
を実感している人は、この一度の会話が
もしかして最期になるかもしれないと知
る。すると心を込めて答えるようになる

朝窓を開けた時に入って来る風をただの空気として捉えずに、今日も息ができることに感謝するようになる。

この一度の会話が、もしかして最期になるかもしれないと知ると、心を込めて答えるようになる。

仏教の教えでは「今、この瞬間こそが
すべてである」。お墓の前に立つと、あ
の場所は決して死を教える所ではないと
いうことがわかるし、あそこは私たちに
どう生きるかをそっと問いかけてくれる
場所なのです。

お墓の前に立てば、どう生きればいいか、そっと問いかけてくれる。

お墓に刻まれた名前と年月はとても簡素
ですが、その短い印の中に1人の人生のす
べてが収まっている。どれほど忙しく過
ごしても、どれだけ富を手にしても、や
がて同じような静かな形へと帰っていく
のです。そこには只々、墓石の沈黙があ
るだけなのです。

徳川家康の墓

      おしまい

 

 

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