先の大戦は「応仁の乱」?

15世紀の応仁の乱

 

京都大学のある教授が言っていた、面白
い話があります。

その方、そばで有名な兵庫県の出石(い
ずし)に出かけられたそうで、そこの古
い旅館でまず女将さんが出てきてアイサ
ツしてくれた。

そのうち、女将さんのお母さんというお
ばあさんまで出てきた。

何しろ田舎なもんで、京大の偉い先生が
来たというのは、大事件。

そこでおばあさんは何と言ったか。

「先の大戦でうちの殿様がえらいご迷惑
をおかけしたそうで」と詫びる。

出石の殿様というのは、山名宗全。
応仁の乱の西軍の総大将です。

それで謝ったという話。

応仁の乱といったら、室町時代の1467年
に始まって、11年間も京都を戦乱の渦
に巻き込んだ戦い。

京都は第二次世界大戦の被害がほとんど
なかったので、街の大半が焼失した応仁
の乱こそが「先の大戦」なんでしょう。

古い土地に生きている地元の人たちは、
古い記憶をずっと持ち続けているのかな
ぁと思うのです。

「うるせえなぁ」=「そういうつまらない質問は、今後一切差し控えるように」

 

 

自分が思っていることを、そのままスト
レートに相手に向かって告げることなん
て、ワタクシたちには到底できません。

以前、武道家のウチ〇タツル(仮名)先
生がこんな話をしていました。

例えば、「これからやりたいこと」を訊
かれたとします。

教師には「ハイ、大学に行きます」と
答える。

友達には「ロック・ミュージシャンにな
るぜ」と答え、親には「うるせえなぁ」
と応答する。

まぁ、どれも自分の思っていること。
切り出し方が違うだけ。

なぜそうなるかというと、それは自分の
ことをどう思われたいのかが相手によっ
て違うから。

先生にはあまり面倒なことを言われたく
ないので、それ以上突っ込まれないよう
な無難な答えを。

友達には「へぇ~、意外」とちょっと
驚かれそうなことを。

そして親には、そういう質問そのものに
対する苛立ちをストレートにぶつけて、
「そういうつまらない質問を今後は差し
控えるように」というメッセージを送る。

まぁ、教師には自分との関係が複雑にな
らないように、友達にはソコソコの敬意
が持たれるように、親には「これ以上、
自分の生き方に干渉してこないように」
という願いが込められているということ
だ。

免疫ってのは、ある一定ラインを超えると味方から敵に寝返るように見えます。

歯周病菌

 

どんな人でも、口の中には歯周病菌が
います。

これを何のケアもせずに放っておくと、
徐々にその数が増える。

そして、その中に「タチの悪い菌」が
いて、そいつも一緒に増える。

歯周病菌の総数と悪い菌の割合が増える
と、カラダの免疫が菌に対して立ち向か
い始めます。

そして、歯茎や骨などを菌から守るため
に精一杯戦ってくれます。

デモ、菌がどんどん増えてしまうと、
やがては対応できなくなって、歯に歯周
病菌がくっついてしまう。

これは時限爆弾なので、放っておくとま
わりを吹っ飛ばしてしまう。

コワイのは、ここから。

口の中が歯周病菌だらけになると、これ
まで菌と戦ってきた免疫細胞が、今度は
その歯の本体をカラダの外へ追い出しに
かかるのです。

まるで、本能寺の変で今まで信長のため
に闘っていた明智光秀が突然暴走し始め
た信長に気づき、「こりゃあ、いかん」
ということでクーデターを起こして信長
を討つようになるのとソックリ。

免疫システムは、歯周病菌に取りつかれ
た歯を異物とみなし、それを排除しよう
として歯を支えている骨を溶かしていく
のです。

この免疫の働きによって、どんどん歯周
病は悪化していく。

免疫ってのは、ある意味、一定ラインを
超えると味方から敵に寝返るのデス。

歯の立場から見ると、かわいそうに骨が
溶けて、一緒に歯が抜けるという現象。

骨の立場から見ると、菌に感染した骨を
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、骨自
体を守ろうとする現象。

立場は違えど、やっていることは同じな
んです。

「ウルトラQ」は当時、怖くて怖くて・・・

イントロの曲が怖い

怖かったゴメス

 

BSチャンネルを眺めていたら、「ウルト
ラQ」という番組が目に入りました。

「ウルトラQ」って、ワタクシが物心つ
いた頃、あの怖くて怖くて、でもチョッ
ト興味があって、見てみたいと思ってい
た番組。

「Q」ってのは、「これ一体何だ?」と
思わせるクエスチョンのこと。

確か、日曜日の午後7時のゴールデンタ
イムにテレビで放映していました。

当時のワタクシは、怖くて怖くて布団の
中にもぐって両手で顔を隠しながら、デ
モ目だけはしっかり見開いて見ていまし
た。

イントロ聞くだけでも怖かった。

「イヌとかネコしか見たことないのに、
このデカイ、気持ちワリイのって何?」
って。

円谷プロの特撮SFテレビドラマで、ウ
ルトラシリーズのきっかけとなった作品。

ウルトラマンみたいな正義の味方がまだ
いなくて、何とか人類の知恵だけで怪獣
をやっつけるってヤツ。

内容は、パイロットとパイロット助手と
新聞社の美人女性カメラマンがいつも
出てきて、毎回事件に巻き込まれる、
思いっきり白黒のお約束シリーズ。

怖かったことだけは覚えているのですが
、それ以上にボンヤリ記憶に残っている
のが、「タケダ、タケダ、タケダァー、
タケダ、タケダ、タケダァー、タケダ、
タケダァー!」というコマーシャル。

コレ、強烈。
三つ子の魂、百まで。

武田薬品工業提供独占番組でした。

ふとうちの奥さんに「ねぇねぇ、ウルト
ラQって知ってる?」と訊いてみたら、
明るく「オバケのQ太郎のことでしょ!
」と瞬返。「・・・・。」

訊く相手を間違えた。

トウキョウトガリネズミの「大きいのにとって小さいのは存在しない」話

トウキョウトガリネズミ

 

トウキョウトガリネズミってネズミが
います。

とっても小さい。

サイズは、1円玉くらい。
体重は2グラム。

ホ乳類ということは、あのサイズの中
にちゃんと胃とか腸とか収まっている
のだろうか。

血管も細すぎて詰まったりしないのだろ
うか。

と、余計な心配をしてしまう。

専門家で、幻のトウキョウトガリネズミ
を発見した北大農学部の先生がいて、
最初にこの動物を見た時、「虫がいる」
と思った。

それほど小さい。

トウキョウトガリネズミって、「エゾエ
ンシス」って学名なんです。

それを汚い筆記体で書いて「エドエンシ
ス」って。

完全な写しマチガイ。

エドは江戸で、東京だから「トウキョウ
トガリネズミ」。

学術名はいったんついたら、簡単には
変わらない。

エゾは北海道。
東京出身じゃないんです。

ムカワ出身。
ムカワは北海道。

で、本当はネズミではなくて、モグラの
一種。

だから「トウキョウトガリネズミ」じゃ
なくて、ホントは「ホッカイドウトガリ
モグラ」。

まぁ、そういうのはどうでもいい。

大きいヤツほど数が多くて、小さいほど
数が少ない。

小さい方は住む場所が限られている。

その二種類を一緒に飼っている人が言っ
てたのですが、「小さい方のトガリネズ
ミにとって、大きい方の種類が存在して
いる。でも大きい方の種類にとっては、
小さい方の種類は存在しないんです。
なぜかというと、小さい方は敏感で、
大きい方がそばへ来ると逃げちゃう。
そうすると、大きい方は自分より小さい
仲間が世の中に住んでいるとは夢にも
思わない。」

「大きいのにとっては小さいのは存在し
ない。小さいのにとっては大きいのは
存在している」と、何かそんな風に考え
ていくと、なんとなく人間に重なってし
まう。

どこに行ってもぶつかるから、この辺に
落ち着いた。

そういえば最近アイツ見ないなぁ、と
思うのは大体大きい方。

小さい方は目立たないようにひっそり
暮らしているんです。
ちゃんと、大きい方を避けながら。

「入江塾の秘密」

 

以前、広島の実家に帰って久しぶりに
屋根裏部屋の中をゴソゴソひっくり返し
ていたら、「入江塾の秘密」という本が
出てきました。

「何だ、コレ?」

数十年前、田舎の高校生の時、ワタクシ
はこんな本を読んでいたのかと驚きまし
た。

その「入江塾」の話です。

大阪府立高校の教師だった入江先生が
退職した後、いわゆる「添削屋」をされ
ていた。

質問をするために訪れる生徒たちがいつ
しか常時、先生のもとに集うようになり
、誰言うとはなしに、各人が机や椅子を
持ち寄って、教室ができてしまった。

まぁ、自然発生的にできた学習塾って
やつデス。

選抜試験なんてありません。
やる気のある子なら誰だって受け入れた。

「学力三分、人間七分!」
「バカヤロー!」の声のもとで、横ばい
・下降線の子でも歯を食いしばって耐え
抜き、子ども達はその後、必ずといって
いいほど飛躍的な伸びをした。

神戸の灘にある私立N高校(仮名)は、
関西最難関の中高一貫校。
高校入試では50名しか採りません。

その3分の1が入江塾出身というから、
当時の入江塾のレベルの高さがうかが
えます。

天下無敵

 
世界ツアーをまわるチーム・フェデラー
            (テニス)

ワタクシ、「天下無敵」って、かなう者
がいないことだと思っていました。

先日、テレビのある番組で、プロの選手
は年間いくらかかるのかというのを取り
上げていました。

第10位の野球は300万円くらい、第2位
のテニスは9000万円以上、第1位のゴル
フは年間1億円を超えていた。

こんなのは、スポンサー契約してなけれ
ばとても出せる金額ではありません。

ところで、世界的なアスリートの中には
、ツアーにコーチ、トレーナーや栄養士
、弁護士、広報担当や心理カウンセラー
まで連れて歩いている人たちがいます。

なぜかというと、それらは彼らが契約上
のトラブルやメディアとのいさかいや、
心理的ストレスが競技場におけるパフォ
ーマンスをジャマすることを知っている
から。

それらのトラブルは、競技場の中のライ
バル以上の敵。

そこで、それらを使ってその目に見えな
い敵を排除しようとします。

武道的なイミでの「天下無敵」は、どう
やって敵をつくらないかなのです。

そういえばサウジアラビアの王様、この
まえ日本にきた時、外務大臣はもちろん
厚生大臣、環境大臣、法務大臣など内閣
の重臣の皆さん達を連れて来た。

その数2000人超。これぞ、天下無敵。

王様のいる所がサウジアラビアなのデス。

まぁ、そういうことで身の回りのお世話
をしてくれる人の飛行機代、宿泊代、食
事代、給料等を全部持てば、そりゃー、
ツアープロ、1億円近くはかかりますわな。

お寺は、ヒトの持っているモノを上手に引き出せる装置。

暗い境内に光を入れる

 

BSのチャンネルをいじっていると、つい
ヨーロッパや日本のお寺のお話に目が留
まります。

子どもの頃は近所のお寺の境内でかくれ
んぼとかカン蹴りとかを日が暮れるまで
やっていましたけど、そこは別世界。

シーンとしてて、何か動かない狛イヌと
か石碑、ご先祖様たちが沈黙を守ってい
る。

うるさい親も先生も近所の人もいないし
・・・。

お寺なら、中世ヨーロッパの教会と日本
のお寺さんって、雰囲気がそっくりだと
思う。

特にチェコあたりの古い教会の風景が
映ると、何か日本のお寺のような感じが
します。

なんでそんな感じを受けるのだろうか。

いろんなことがありますが、一つは香を
使っているから。
鼻です。

それから、教会の鐘の音や、釣鐘の音も
使っている。
まぁ、耳です。

そして全体的に暗くて光が部分的に差す
ようになっている。
目です。

外から受ける刺激を全部上手に使って
います。

そして大伽藍(寺の大きな建物のコト)。
ああいうのをセットにするといいみたい。

結局、人は持っているモノ、それを上手
に引き出すというか、そういう装置にな
っている。

現実の世の中があって、もう一つ、それ
からちょっと離れた世界があるというこ
と。

だけどそういう世界に簡単に入れるよう
に大きな装置をつくる。

そうすると、その中に安心して浸れる
ノダ。

手元のカレンダーの祝日は、書き直しになる?

祝日が変わります

 

まだテレビでたいして取り上げられてい
ないから、知らない人も多いんじゃない
だろうか。

「カレンダーの祝日が書き直しになる」
って話。

ワタクシはうちのスタッフに教えてもら
いました。

今年のカレンダーや手帳は、自分で書き
直す必要があるかもしれません。

実は1年延期で開催される予定の東京オ
リンピックに合わせて、「海の日」と
「スポーツの日」(元、体育の日)、そ
して「山の日」が移動することが決まっ
ているのです。

でも印刷されたカレンダーや手帳には、
この祝日は反映されていません。

というのは、この祝日の移動に関する
改正特例法の公布されたのが、昨年の
12月4日。ついこないだデス。

カレンダーは普通、前年の10月末頃が
納期。

これでは変更予定の印刷が間に合いませ
ん。

だから、業者さん、そのまま刷った。

どうも通常国会で、新型コロナ対策とか
首相交代なんかで間に合わなかったらし
い。

紙の媒体なら間に合わないけど、電子媒
体なら思い立ったらすぐ修正できる。

スマホのオンラインカレンダーは修正さ
れていました。

 

アンデルセンは「みにくいアヒルの子」だった。

 

アンデルセンの童話で、「みにくいアヒ
ルの子」というのがあります。

このお話は、アンデルセン自身の子ども
の時のことをお話にしたもの。

彼は子どもの頃、まさか自分が白鳥の子
だったなんて思ってもみませんでした。

どうして自分だけがみんなと違うのかと
深く悩んだトカ。

アヒルの大人にとっては、フツーのアヒ
ルは扱いやすいもの。

でも白鳥の子どもはちょっと変わってい
るし、よくわからないので、扱いづらい。

たいていアンデルセンのように「変わっ
たヤツ」として扱われてしまう。

イヤなアヒルの大人なら、白鳥の子ども
をやっかいものだとしていじめる。

フツーのアヒルの大人なら、「この子は
よくわからないけれど、変わってんな」
と思い、できるだけフツーのアヒルの子
に合わせようとする。

デキるアヒルの大人なら、それはきっと
白鳥をよく知っているアヒル。

「ワタシにはよくわからないけど、ひょ
っとしたらこの子は将来スゴい子になる
かもしれない」と思ってこの子の声を
聞こうとします。

まぁ、大人の立場から考えたら、確かに
こういう子がいたらやりにくい。

そこで、「変わっていることはよくない
」ということにしておけば話は簡単。

そして、多数決の論理で「みんなでこう
決めました。みんなで決めたからには、
みんなで守りましょう。いいですね」と
いうことにする。

もし子どもの個性を伸ばすんだったら、
「変わったことはいいことだ」と認めて
やった方がいい。

でも、変わったのばかり出てきたら収拾
がつかないし、フリースクールになって
しまうしなぁ。

 

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