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患者さんにビートルズⅭⅮの広告看板を貰った

ビートルズ・アンソロジー看板

患者のKさんに『先生、コレいるかい?
』と聞かれて持って来て頂いたたモノが
あります。それがビートルズのアンソロ
ジーとか、イエローサブマリンとかの
ⅭⅮ広告看板。

ビートルズのイエローサブマリン

どうやって、手に入れたんですか?と聞
くと、『いつもその店で買うもんだから
、店長さんと仲良くなって、セール期間
が終わったら頂戴ね、って約束したら
くれた。』

ジョンレノン・イマジン

お得意さんだからなせるワザです。ヤフ
オクで出品したらどうですか?と聞くと
『もう、そんな面倒なことはしないよ。
先生にコレあげるワ。今、断捨離中な
んだよ。』って。

Kさんは昔からのビートルズの熱烈な
ファン。趣味で弾きがかりをやっていた
そうです。ワタクシもビートルズのアン
ソロジーのアルバムを全部持っています

このⅭⅮを聴くと何故か1960年代の
ロンドンの街へ連れてってくれるんデス
よ。

私のビートルズ・アンソロジー3

今度、アンソロジー3を聴く時にはこの
広告看板を並べておくことにしよう。
Kさん、ありがとう。

下剋上受験の『中卒はつらいよ』と言う話。(後半)

娘と一緒に『親子塾』で勉強する

      【続きです】

うちの娘は無数にいる父親候補の中から
よりによって、私のようなバカを選んで
娘になってくれたこと、もしかしたら、
娘は不本意だったかもしれない。運悪く
私のところに来たのかもしれない。
こんなイイ子は暖炉と果物がある大きな
お屋敷のお嬢様に生まれさせてあげたか
った。何でよりによって、うちになんか
に来たんだろう?

暖炉と果物のある大きなお屋敷のお嬢様

私のところに来てくれたお礼は何がいい
だろう?このままではいけない。私が流
れを変えなければ。私も大人になり、子
供を持つ親になって初めて、私達の家系
こそ流路変更工事が必要だと思い始めて
いた。

代々、中卒の教育に関心がない親が、子
育てする為に受け継がれてきた伝統、
『元気が一番』、『カンプマサツすりゃ
あ、カゼなんかひかねえ』、その程度の
生活の知恵を付けさせただけで、勉強を
させるという発想すらなく、また、中卒
を育ててしまう。そして、その子もまた
当然のように同じ道を歩む。
間違いなく、負のスパイダルだ。
このままではいけない。

流路変更工事

『私は他の方法で育てたい!』

そして、娘と一緒に受験勉強(親子塾)
をした。残念ながら、第1志望は逃した
ものの、第2志望に見事、合格。
よかった、ヨカッタ。
このお父さん、時間はかかりましたが、
気ずいたんです。壁の向こう側にまった
く知らない世界があることを。
親の進化です。

進学塾には行かず、親子塾で頑張った。

桜井信一さんに一票!

 

 

 

 

下剋上受験の『中卒はつらいよ』と言う話。(前半)

何年か前、『下剋上受験』という本が売
れました。そして、評判良すぎてテレビ
ドラマになりました。この手の受験ドラ
マ、忘れた頃、現れます。最近では
『2月の勝者』。

ところで、この『下剋上受験』は中卒の
両親が中学受験で一人娘を東京の中高一
貫校の〇蔭中学校(仮称)を目指すと言う
お話。

〇蔭中学校(仮称)

で、主人公の父親、桜井信一さんが、中
卒はつらいよ、と言う話をしていました
。今日はそのお話です。では始めます。
ゴー。

私たちのような人間はあまりご存知ない
でしょう。無理もありません。私のまわ
りにも中卒なんて殆んどいませんから。
人は中卒と知った途端、潮が引くように
自分の近くからいなくなるんです。元来
、私たちは高学歴の人たちと交流がない
んです。意見をぶつけ合う機会なんてあ
りません。あるのはいつも指示だけ。
一方通行なんです。

中卒

成人式の日は既に社会人。子供の年を聞
けばいつ結婚したかワカル。職業の選択
の自由すらない社会人。転職が似合う社
会人。エンゲル係数値(食費)の高い家族
。納税額の低い社会人。貧ボキャな会話
で暮らす家族。

考えてみれば自分の両親も中卒。親戚も
似たようなものだ。中卒の苦労話ばかり
聞かされて育った。中卒の苦労話なんて
いらない。将来の夢の話ばかりでイイと
思うのだ。このまま娘を大人にするわけ
にはいかない。

親は選べません

私は中卒がどれ程問題なのかをもう一度
考えてみることにした。まず、父親のこ
とを思い浮かべた。私の父親は罵声を浴
びさせて私を育てた。自分で絵を描いて
おいて『ちぇ!だせー風景画だな、それ
にだせー描き方だぜ。』と罵倒している
様なものなのに、自分の作品(息子)を罵
倒してストレスの発散になるのだろうか

私の父は、母は、人生が辛くなかったの
だろうか?私は今までずっと辛かった。
羨ましいコトだらけだった。生活のため
に働く。その労働なんかにやりがいなん
てありゃしない。人生を楽しむ為に生き
ているのではなくて、動物のように、た
だ生きている。楽しいことや嬉しいコト
なんて殆んどない。
一つあるとすれば、娘に出会ったこと。

       【続く】

 

どうして「1+3×2=7」なんでしょう?

待合室の幼児コーナー

 

時々、目からウロコが落ちる「理解」が
あります。

先日、数学教育者の高橋一雄さんって方
がこんなことを言っておりました。

1たす1は2ですね。
では、1たす3掛ける2は?

1+3×2=7です。

どうして3掛ける2を先に計算するのか。

たし算は単位が同じでないと計算できま
せん。

でも掛け算は単位が違っても計算できて
、新たな単位を作り出せる。

キョリで考えたら、「1キロ走り、時速
3キロで2時間歩く。全部で何キロ進み
ますか?」

3掛ける2を先に計算して新たな単位の
「キロ」ができて、単位がそろったので
足せるワケ。

こういう本質の理解が大切なんです。

数学を学べば頭の中で考えた抽象的なこ
とを具体的に表せるようになります。

*************************************

物理学なんかは、数学で考えた抽象的な
ことを実際やってみたらホントにそうな
っちゃった、っていう学問。

でないと安心して飛行機になんか乗れま
せん。

「翼よ、どうぞ上手に着陸してね」
(Wing)っていう歌詞があったケド、
普通に考えれば大体、あんな重いモンが
空飛ぶはずないんだし・・・。

第2次世界大戦前はドイツが悪者でした(下)

ヒトラー率いるナチスドイツ

                 【続きです】

ドイツは再びドン底に突き落とされまし
た。あまりにも苦しいからドイツ人は誰
でもいいから、この状況を何とかしてく
れる人を求めるようになりました。そこ
に現れたのがヒトラー率いるナチスドイ
ツ。ナチスはそもそも世界のルールが間
違っているんだ!と言って勢力を伸ばし
て行きます。そして次々と国際条約を破
り、軍備を増強し、外国の領土も侵略。

ヒトラー政権

当初、イギリスもフランスもドイツの動
きを見逃していました。ヒトラーはこの
様子ならもっと大胆に侵略しても大丈夫
だな、チョロイ、チョロイと考え、イギ
リスとフランスは判断を誤ったかな?と
気ずいた時にはもう手遅れ。

何と、ドイツはソ連と同盟を結びました
。仲が悪かったのに。その直後、ドイツ
はポーランドに侵攻。

ここから、第2次世界大戦が始まるんで
す。ポーランドの侵攻を見て、あわてて
ドイツに宣戦するイギリスとフランス。
ドイツがポーランドを占領するとドイツ
はつぎにフランスに襲いかかり不意をつ
かれたフランスは僅か1ヶ月で降伏。

ドイツは瞬く間にヨーロッパの大半を占
領。そして残すは海の向こうのイギリス
だけ。
再び敵同士となったドイツとイギリス。
ドイツはイギリス本土を攻撃。首都ロン
ドンは徹底的に破壊されました。

首都ロンドンはナチスドイツに破壊された

イギリスはチャーチル首相に政権が変わ
ったばかりで、チャーチルはやる気満々
。イギリスはレーダーや通信網などを用
いて、ドイツ軍を返り討ち。でもイギリ
スは屈しません。仕方がないから、ドイ
ツは標的を変えて、今度はソ連に攻め込
むんですが、ソ連に返り討ちにあいます

ソ連の冬将軍を前にドイツ軍は兵力を消耗

そこから流れが変わり、ドイツは一転し
て劣勢に。そして首都ベルリンにまで攻
め込まれて、降伏となりました。ドイツ
は2回の世界大戦で2戦2敗。勝ち点0。

国境が陸続きのヨーロッパの小国は、今
では、いつ攻め込んで来るかもしれない
ロシアに備えて、『うちら、1国でも攻
撃されたら、みんなで一緒に返りざきに
してくれるぞ、オー!』ということで、
NATO(北太平洋条約機構)を結成し
ました。

実はこのNATOにはもう1つ、2回の
世界大戦でご丁寧にも暴れてくれたド
イツを中から封じ込める、って言う目
的もあるんですよ。

第2次世界大戦前はドイツが悪者でした(中)

    【続きです】

そこでフランス・ロシア・イギリスは共
通の敵ドイツに対抗する為に同盟を結ん
だ。これに対してドイツはそれまでのオ
ーストリア・イタリアとの同盟をより強
化して対抗します。新しく生まれた
(英・仏・露)vs(独・伊・墺)の
対立です。

この対立は徐々に激化そして、あの事件
が起きたのです。バルカン半島のサラエ
ボという町でオーストリア皇子がセルビ
ア人の青年に暗殺されたサラエボ事件を
きっかけに、ヨーロッパ外交は緊張状態
。で、オーストリアとセルビアが開戦。

(英・仏・露)vs(独・伊・墺)が対立

ドイツは同盟を結んでいたオーストリア
側に参戦。セルビア側にはロシアが味方
して参戦。さらにここにロシアとの同盟
を通じてイギリス・フランスが加わり、
大国が次々と参加することで、第1次世
界大戦が始まります。

第1次世界大戦(双葉機の登場と騎馬隊)

この第1次世界大戦は長期化(1914
~1918)して泥沼の戦いになります。
最後はアメリカの参戦が決めてとなり、
イギリス・フランス・ロシア側の勝利。
敗戦したドイツはすべての植民地を失い
、その上、仏・英などから巨額の賠償金
を課されることになりました。

ドイツは巨額な賠償金をはらうことになった

ドイツは超インフレになり、ドイツ経済
は厳しくなった。卵1個が4マルク。
これが一気に3兆マルクに跳ね上がり、
もう、まともな生活ができませんでした

9マルクのパンが一気に9超マルクになった

この状況に手を差し伸べたのがアメリカ
。アメリカからの資金提供によってドイ
ツは経済を立て直していった。これで、
英・仏に賠償金が支払えるぞというワケ
です。順調にいっていましたが、ここに
来て、アメリカのウオール街で株価が大
暴落。アメリカが大不況に。

ウオール街の株価大暴落➡世界恐慌へ

これが世界中に広がった世界恐慌です。

       【続く】

第2次世界大戦前は、ドイツが悪者でした(上)

今は、ロシアが悪者になっていますが、
第2次世界大戦前はドイツが悪者だった
んです。実はNATOは大国ロシアに対
抗する為と、もう1つドイツを封じ込め
る目的で作られました。アメリカを
NATOに引き込んだのが大きかった。

ドイツはもともと小さな国の寄せ集めで
それがドイツとして統一されたのが、
1871年。まあ、明治維新とたいして
変わらない頃。この国の中心人物は鉄血
宰相と呼ばれたビスマルク。この人は外
交の達人。そのビスマルクが恐れていた
のが、お隣のフランス。フランスは少し
前にドイツに敗れたばかりで、ドイツに
恨みを持っていました。

外交の上手いドイツの鉄血宰相ビスマルク

で、外交の名人ビスマルクはお隣のフラ
ンスを孤立させようと思い、親戚のイギ
リスとも手を組もうとしたのですが、
イギリスとフランスは仲が悪いので、
英・仏が手を組むなんてことはありませ
ん。そこで目を付けたのが東のロシア。
ドイツから見れば、西にフランス、東に
ロシア、この2つが手を組めば、ドイツは
ハサミ撃ちにされる。で、何としても
ロシアを味方に付けなければなりません

三国同盟・三帝同盟(三国協定)・オガワメモ

そこで、ビスマルクはドイツ・ロシア・
オーストリアによる三帝同盟、そして
ドイツ・ロシア・イタリアによる三国同
盟を結びます。これでフランス包囲網は
できた。しばらくは平穏な日々が続いた
のですが、ドイツ皇帝に新しくウイルヘ
ルム2世が即位すると、このヒト、植民
地政策が大好きで、これ以上領土を増や
さない方針のビスマルクと衝突して
ビスマルクは辞職。

植民地政策が大好きなウイルヘルム2世

ドイツのウイルヘルム2世は領土獲得の
為にある政策をやり始めた。それが
3B政策。3Bとはドイツのベルリン、
オスマン帝国のビザンティン、イラクの
バグダッドを鉄道で結んで中東までのエ
リアをドイツが支配するというもの。

この前にイギリスは3Ⅽ政策を計画して
いました。3Ⅽとはエジプトのカイロ、
南アフリカ共和国のケープタウン、
インドのカルカッタ。これらの都市を結
ぶ海上ルートで支配するってのが3Ⅽ政
策。イギリスの3Ⅽ政策をドイツのウイ
ルヘルム2世がパクったわけです。

3B政策・3Ⅽ政策・ロシアの南下政策

ドイツの支配ルートは、イギリスが獲得
しようとしているルートを横から脅かす
という位置にあったのです。

これで、一気にドイツとイギリスの中が
悪くなった。これに今度はロシアが、海
を求めて南下政策。そこにはドイツの支
配領域がある。

こうして、ドイツはイギリス、ロシアと
も仲が悪くなりました。

       【続く】

 

 

 

 

 

 

 

ウサギの名前は、手伝ってくれた子の名前をつける。

うさぎ当番

 

人は自分を認めてくれる人の方に動くん
です。

褒めてくれる人のところに電話する。
やさしい人のところに行く。

昔アメリカに、どうしたらヒトが喜んで
仕事をしてくれるか、知恵を絞った少年
がいました。

その子は、後に世界の鉄鋼王と呼ばれた
アメリカのカーネギー少年。

子供の頃、ウサギのお世話をさせるため
に「ウサギの名前は、手伝ってくれた人
の名前をつけてもいいよ」と言ったら、

「えっ?自分の名前をつけてもいいの?
じゃあウサギのお世話する‼」

で、みんなウサギに自分の名前をつけて
お世話し始めました。

鉄鋼王カーネギーはここから始まりまし
た。

鉄鋼王 カーネギー

 

企業買収は、人間関係が大切。
フツウはもめます。

買収される側は屈辱なんですよ。
社名に誇りを持っていますからね。

社名が変わると腹が立つ。

そこでカーネギーは、それを逆手に
取りました。

買収された側の社名を残したんデス。

誇りを踏みにじられなかったと買収され
た側は思い、やる気を出しました。

カーネギーはただ単に、鉄鋼に詳しい男
じゃなかった。

最も人の心に詳しい男だった。
それが、鉄鋼に詳しい男たちの心を動か
したのだ。

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