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小さなおじさんサンタ
小さい子が小さな妖精を見たとか、小さい宇宙人を見たとか言うのを聞いたことがあると思いますが、まるやまファミリー歯科ではクリスマスが終わるまで、小さなおじさんサンタをあちこちに置きます。
斎藤一人さんという商人がいて、こんなことを言っています。
「運って、小さなおじさんの形をしていて、ある人がヒトの悪口を言うと、その人についている小さなおじさんはビックリして、ダダダッと悪口を言ったヒトから逃げていきます。そして、’ありがとう’とか’おかげ様で’って言ってる人を見つけると、’あっ’と言ってその人のいる所に向かって走り出すのです。」運が逃げ出すような言葉は使わずに、運のついてくる言葉を使いたいものデス。
診療室がクリスマスバージョンになった。
クリスマスまで1ケ月あまりになりました。
そして、今年も診療室の模様替えをしました。
クリスマスバージョンです。
クリスマスバージョンと言っても、音や視覚を変えてやるだけ。
B.G.Mをクリスマスバージョンに変えるだけでクリスマスっぽくなります。
普段の診療のB.G.Mには決して歌声を入れないのですが、クリスマスバージョンだと歌声を入れても許されるような気がします。
コドモ時代のマイケルジャクソンとかダイアナロス&シュープリームスにもクリスマスソングを歌ってもらいます。
ダ・ビンチも動力だけは見抜けなかった。
電気代には2つあって、照明とかテレビなんかで消費する電力と、これは一般的じゃないんですが、エレベーターとか貯水槽のポンプを動かす時に使う動力があります。
その動力を使う電気代は、チョット割高。
ところで、自動車や飛行機、潜水艦、これらは中世の天才レオナルド・ダ・ビンチの頭の中にあったようで、全て絵に描かれています。
ところが天才ダ・ビンチが唯一見抜けなかったものがありました。
それが動力。
空を飛ぶ時は、人間の力や鳥の力で飛ぶ。
海に潜る時はサカナに引っ張ってもらうという具合に、自然の動力しかイメージしていませんでした。
そのダ・ビンチの想像を超えたのが、動力を使った蒸気機関。
産業革命で世の中が変わりましたが、実はその本質は動力革命だったようです。
歯科の玄関ガラスを磨いた。
歯科の玄関ガラスを、スタッフと一緒にガラスクリーナーで拭きました。
天気がよくて患者さんのいない時には、時々、窓を拭くようにしています。
この窓は曲面になってて、フツウの窓ガラスとはチョット違います。
実はまるやまファミリー歯科がここに入る前は、ブティックがテナントとして入っていました。
その前はNTTドコモが表参道店として使っていました。
このドコモがおしゃれな曲面ガラスを取り付けたようです。
取り付けた時は何百万円もしたトカ。
もしも割ってしまったら大変です。
保険会社は、割った人に修繕費を請求するというシステムになっています。
百獣の王・・・の情けない姿
まるやまファミリー歯科の待合室に女性週刊誌が置いてあるのですが、それをパラパラめくってたら、コンなのが載っていました。
「百獣の王・・・の情けない姿」ケニアで百獣の王・ライオンがバッファローの大群に驚いて、木に登って難を逃れようとするなんとも情けない姿を撮られてしまった。
群れに赤ちゃんがいたから、バッファローたちがナーバスになっていたようです。
コラム(151)・・・パンダは昔、肉食だった?
耳と耳のあいだにあるもの
歯医者をやっていると、口と耳と鼻って本当に近いなぁと思います。
口の中に原因があると思ってたのが鼻から来てたり、耳鼻科に行って治らないので歯医者に来て診てもらったら、歯の根っこに原因があったりする。
まぁ、イロイロです。
ところで、「口耳四寸(こうじしすん)」ってコトバがありますが、コレ何かというと、口と耳は4寸しか離れていない。聞いたとたんすぐ口にするようでは、何も身につかない、ってコト。
「口耳の学」ってのもあります。
受け売りの知識のことデス。
昔の人は、「耳と耳のあいだにあるもの(脳ミソのことです)」をしっかり使わなくちゃダメよって言ってるのかもしれません。
かかりつけ歯科医がいる人ほど長生き
一般に、かかりつけ歯科医がいる人はいない人に比べて、ずっと長生き。
ある研究調査でわかりました。
かかりつけ歯科医院に行くことで、普段自分では取ることの難しい歯石や歯こうを取ってもらうことができます。
問題が生じてから行くのではなくて、予防やメインテナンスのために行くというのがポイント。
気持ちに張りがあり、心が健康な人も長生き。
社会につながっている人もやはり、長生きです。
長生きといえば、ある若手が年配の先生にこんなことを尋ねました。
「先生はどうしてこんなに元気なのですか?」先生曰く、「教育と教養だよ」若手「・・・・?」先生、続けて曰く。
「”今日行く”(教育)ところがある。”今日用”(教養)事がある。これだよ」
ブラタモリ、札幌の街を歩く(2)
赤が札幌村昨日に続いて、ブラタモリの話です。
札幌の開拓が始まったのが、明治2年。
だから、今から150年前。
まるやまファミリー歯科の近くのM山小学校(仮名)は、今年開校140周年。
先日行われた記念式典では、生徒たちは当時の校歌を歌いました。(圓山尋常高等小学校の校歌です)それはいいとして、札幌はアイヌ人以外は倭人2戸7人から始まった。
「モハチ」さんちと、「鉄一」さんち。
すすきのができた理由もわかりました。
明治4年、ススキノ遊郭は開拓する男が寒さの厳しい冬を、暖かい故郷に帰るのを引き止めるために、国が作ったのデス。
国主導です。
その4年後、遊郭の北側にすごい速さで街ができた。
これが札幌村です。
これ、民間主導。
その後近辺には円山村、山鼻村、琴似村など二十数個の農村が、ポツリポツリでき始めた。
その後炭鉱が閉鎖して、地方から職を探して人々がドンドン流入してきた。
そして、村が膨張してひっついて、札幌ができた。
だから道路の接続が時々不自然なのデス。
ブラタモリでそんなことを言っておりました。
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