2024年 5月 の投稿一覧
もうひとつの『源氏物語』(後半)
【続きです】
そんな兄さん頼光の出世を複雑な思いで
見ていた人物がいます。それが頼光より
も20歳年下の腹違いの弟、頼信。頼信も
兄さん同様、摂関家に近ずいて、あわよ
くば出世、ともくろんだのですが、仕え
た主人が悪かった。仕えたのは道長の腹
違いの兄、道兼。関白になるにはなった
ものの、就任後、わずか10日ではやり病
で死去。
で、次に関白になった道長に仕えたので
すが、受領として当時、ろくでなしや野
蛮な連中がいると言われた関東の常陸国
(ひたちのくに)、上野国(こうのずけの
くに)に飛ばされたんです。まあ、今でい
う左遷です。
でも頼信は兄とは違う道で源氏の本流へ
とのし上がって行くんですよ。例えば、
兄が東大で官僚なら、弟はスポーツで
プロ野球選手。
『今昔物語』にも書かれているんです
が、頼信が常陸国の受領だった頃、税を
納めようとしない地方豪族がいて、名前
は『平忠常』。もともと受領って、悪徳受
領って言葉があるほど、当時ひどいこと
する受領がたくさんいて、税を納めない
のは税の取り立て側に問題があって、腹
がたっていたのかもしれませんけどね。
で、まあ、頼信はその『平忠常』を大軍
勢でやっつけたワケですよ。
なんやかんやあって、頼信が60歳頃、ま
た『平忠常』が反乱を起こして、頼信さ
ん、またやっつけた。
で、そのとき忠常には二人の息子達がい
て、息子達は父が死んでも降伏しようと
はしなかったんです。
都ではその処分が問題となって、公卿の
中には討伐を求める者もいましたが、頼
信が息子達の命だけは助けてやってくれ
ないか、と嘆願したので、二人の息子達
の命は、とりあえず助かったんですよ。
時は過ぎて、源頼信から6代後、
『源頼朝』の時代。頼朝は平氏打倒の兵
を挙げますが、敗れて房総半島に渡って
いました。その時、頼朝のもとに馳せ参
じたのが房総の有力武士『千葉常たか』
と『上総広常』。この二人、実は頼信が昔
命を助けた平忠常の息子の子孫だった。
確か、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
では千葉常たかを岡本信人さんが、上総
広常を佐藤浩市さんが演じていたような
気がします。
頼信から受けた恩を忠常の子孫が頼朝に
返したのだ。
この源頼光(らいこう)・源頼信の話が、
もうひとつの『源氏物語』。
もうひとつの『源氏物語』(前半)
平安時代に紫式部がつずった光源氏の
『源氏物語』ってのが有名なんですけど、
その同じ時代に、もうひとつの『源氏物
語』があるんですよ。こっちも藤原道長
の時代なんです。
時は平安、源頼光(らいこう・兄)、
源頼信(弟)という下級の軍事貴族の腹違
いの兄弟がいました。兄さんの方は鬼退
治・妖怪退治をしたらしいんです。
京の都を荒らす鬼・酒吞童子(しゅてん
どうし)が出ると言うんで、時の権力者・
藤原道長が源頼光に『鬼退治してこい!』
と命令し、鬼を退治した。そして冠位を
少しずつ上げていったんです。
歴史家に言わせると、実際、鬼退治した
って記述はまるでなくて、どうやら源頼
光って人、プレゼント大作戦、賄賂大作
戦で、冠位を上げていった人らしい。
今じゃ、なに?この人!ってことになり
ますが、どうやら平安時のそういうの
がフツーの昇進のやり方だったらしいん
です。
で、馬30頭を贈ったという記述がありま
す。当時の馬1頭と言ったら、今でいう、
高級車1台分。
こうして摂関家に赴くことで兄の頼光は
備前,美濃、但馬(たじま)、伊予、摂津
など畿内・西国を中心に豊かな国の受領
(まあ、今でいう知事みたいなもの)を歴
任しました。いわばスーパーエリート。
東大にいって官僚になるようなもの。
この頼光さん、最後は内裏を警護する内
裏守護に任じられ、その子孫が代々、そ
の職を家業として受け継いでいったんで
す。これが兄さん源頼光の『源氏物語』。
【続く】
チビスケの、将棋部で全道団体3位になった時の有り得ない話(後半)
【続きです】
この大会は,新型コロナウイルスの影響
で2年ぶりの開催。各校の精鋭たちが日
頃の力を試す大会です。予選リーグは
全20チームを4つに分け、予選1位2位
が決勝トーナメントに進みます。
で、チビスケたちのチーム、まさかま
さかの4戦全勝の1位通過。
『オレ達、強え~。』
決勝トーナメントは、1回戦を予選2位通
過の帯広柏葉に勝ち、準決勝にコマを進
めました。快進撃だ。ワタクシもこの様
子を北海道将棋連盟のツイッターでドキ
ドキしながら戦況を見守っていました。
しかし快進撃はいつかは止まる。現実は
厳しい。
準決勝では優勝した函館ラサールに競い
負け。第3位です。
決勝に残った札幌西は函館ラサールと共
に全国大会のキップを手にしました。
両校ともおめでとうございます。
力尽きたチビスケの学校の将棋部の子供
たちは決勝戦をみんなで観戦。無言。何
を思っていたのでしょうか。勝っても負
けても、これが青春の1ページになるの
だ。
大会を終えて、うつむいて学校に帰った
即席将棋部。『オレ達、優勝するぜって
たんかを切ってやって来たんだし、
第3位じゃなぁ、どんなズラして帰えり
ゃあイイんだよ。』
ところが、知らせを聞いた学校の先生達
は大喜び。校長先生も大満足。
『君たちはスゴイよ。うちの学校は将棋
部も強いとアピールできる。この結果は
学校ホームページのお知らせ欄にしっか
り記事を書かせて貰うよ。写真入りで。
君達、快挙だよ。君達は黄金世代だ!』
うつむいて教室に戻った将棋部、各クラ
スのホームルームでは担任の先生が大会
の結果をみんなに報告。クラスメイトか
ら割れんばかりの拍手の嵐を浴びたので
した。『オレ達、ひょっとしてスゲー
ことやったの?』
うちのチビスケと友人のK君、硬式テニ
ス部では結果を出せなかったけど、公式
将棋部で結果を残したのです。
その2年後、その志を受け継いだ将棋部
の後輩達は全道準優勝を成し遂げたと聞
いております。
あることをキッカケに男の子達は突然、
爆発的に力をつけるのです。それは少年
達が心の中に持つ強いバネ。
勝って、そして負ける。悔しさと共に自
信を持てた、心に残るいい大会だったと
思います。
チビスケの、将棋部で全道団体3位になった時の有り得ない話(前半)
もう二人とも大学生になったから、もう
時効かな?彼らの為に記憶を残しておき
ます。
ウチのチビスケと友人のK君、高校時代
の将棋大会へ初出場の話をします。
もう3年も前の話だから記憶も曖昧。う
ちの奥さんから聞いた話なので又聞き。
そして多少面白くする為にチョット話を
盛ってあります。たぶん、こんな感じだ
と思う。では始めます、Go。
ウチのチビスケと友人のK君は硬式テニ
ス部の高校5年生。私立中高一貫校です
から公立であれば高校2年生にあたる。
その日は春の大会のレギュラーを決める
為にリーグ戦をしていました。結果は二
人とも惨敗でレギュラー落ち。
『オレ達の春は終わったなあ。あ~あ、
退屈。何する?将棋でもしようか。』
二人とも昔、○山小学校の遊びコーナー
で時々、将棋して遊んでた将棋仲間。
で、放課後、高校将棋部へ遊びに行った
。しばらくすると、将棋部の高校6年生
の部長が二人にツンツンと近ずいて来て
『ちょうどいい、ねえねえ、君達、将棋
の大会に出てみる気はないかい?5年生
だろう。』
『いつあるんですか?』
『3週間後。ボクは出ないけどさ、代わ
りに出てみない?』
『先輩、何で出ないんですか?』
『定期試験があるじゃん!』
『定期試験中?オレ達もあるんだけど、
おい、どうする?公欠なら定期試験受
けなくていいし、サボれるし、一丁出
てみるか!』
『出ます!』『で、会場のもよりの地下
鉄駅はどこですか?』
『地下鉄?何だいそれ?会場は洞爺湖の
ホテルだよ。』
『えっ?札幌市の地区大会じゃないんで
すか?』
『冗談じゃない、全道大会さ。』
『いきなり全道大会?オイ、どうする?
記念に出てみようか。定期試験サボれる
し、ホテルへ泊まれるし、将棋で遊べる
し、将棋ざんまいじゃ。』
『出ます!』
『6年生は誰も出ないので、じゃあ当日
5年生の君が主将ね。』
ということで、その場でうちのチビスケ
が主将、友人のK君が副主将に決まった
。あといるのが、5年生の将棋部のⅯ君
と4年生のA君。硬式テニス部のレギュ
ラー落ち組が、公式将棋部を先導してい
くなんて前代未聞。
『ようし、出るからには優勝をめざすぞ
!、エイ・エイ・オー!』
かくして即席チームが洞爺湖へ向かった
のでした。
【続く】
Jリーグのある日常。週末まであと何日?
早くスタジアムに行きてぇー。天気が気
になる試合前日。
戦いの前の、もうひとつの戦いがある。
それが子供に服を着せたり、お弁当を作
ったりすることだ。
同じ色のチーム。何となく仲間感。
『ガンバレよ!』『そっちもな!』
キックオフまであと何分?
全力で仕事を終わらせてスタジアムへ。
今日は勝つ。到着前から絶好調。
押しのグッズ、前部買う。
教室では他人のフリ。スタジアムでは仲
間。教室では友達。でもそれとこれとは
別の話。
見よ!ボクの考えた最強のスタメン。
あかん、列整理、間に合えへん!
あいつ、何でここにいるんだ?
ホームもアウエィも全員もてなす。
それがこの街の心意気。
新しい道のり、新しいスタジアム。
長年の顔見知り。1回も話したことないけ
れど、あの子、大きくなったな。
勝ち点3は取ってくれ。アウエィで勝つ
のが堪んねえ。
勝ち点は渡さへん。でも、ゆっくりして
行きや。飲んで食べて応援する。それが
人生さ。タッパを忘れるな。絶対に外せ
ないアウエィグルメがある。
ウチの自慢のマスコットは日本全国どこ
でも一緒に。
勝てば祝勝会。負けても反省会。
結局、飲んでいる。
ロッカー選ぶのは常に押しの番号。気分
上々、つい口ずさんでるあのチャント。
初めてのアウエィ。ついて行けば帰れる
けど、ここはどこ?(等々力迷宮)
良きライバルは最高の仲間。サッカー
好きは変わんねぇ。歳も関係ねぇ。
(母さんが家で待っている)
試合結果は足音でわかる。
ユニホームは乾燥機にかけるなよ。
外に干せ!
クラブの数だけ、あるあるがアル。
それが、この国が生んだJリーグという
名の文化。2月23日、Jリーグ開幕。
ムチンは魔法のカクテル
粘液には鼻水、唾液、胃液、腸液など
いろいろありますが、これ、ネバネバ
しています。このネバネバの正体はムチ
ン。分子量100万~1000万の糖を多量に
含む糖タンパク質の混合物。ほぼすべて
の粘液に含まれています。何で粘り気が
出るかと言うと、このムチンの構造にあ
って,見た目はまるで巨大な樹木のよう
です。
幹に見えるのがタンパク質。そこから
無数に枝葉のように伸びているのが糖
のつながりの糖鎖。実ははこの糖鎖に
秘密があって、ムチンに水を加えると
大量の枝葉のスキマに水分を溜め込む
んです。。
この水分を溜め込んだムチンが集まる
ことで粘液特有のネバネバの状態を生
み出すノダ。さらにもっとスゴイのは
糖鎖に溜め込むのは水だけではありま
せん。
この糖鎖の部分は場所、つまり臓器に
よって様々に書き換えることができて
ちょうどカクテルを作っているように、
その場所に応じた糖鎖を構成します。
そして各器官ごとに必要な成分を溜め込
むことができるのだ。
例えば、唾液のカルシウムもこの糖鎖が
かかえこんでいる。鼻水も免疫物質の
Iga抗体を糖鎖がたくさん蓄えているん
です。
Iga抗体はウイルスなどの外的が鼻から
侵入して来ると、体内に入らないように
捕まえて、適切に無力化していく。カル
シウムは歯の石灰化に関わっています。
まあ、これは動物にしか無くて、ネバネ
バしている納豆とか山イモとかオクラの
多くは植物繊維が単純につながっている
だけで、残念ながらムチンの構造はして
いません。
ムチンはいろんな物質をからめ取る能力
を持っていて、さらに糖の枝葉にいろん
な有効成分を蓄えることで、ムチンの森
を形成し、我々を守ってくれるのだ。
安田講堂紛争のこと(後編)
【続きです】
当時、大学は権威主義で運営。
これに対して学生側は、大学の民主化
、授業料の値上げ反対を求め、各大学
で結成された全共闘(全学共闘会議)や
それに呼応した新左派の学生が闘争を
展開する大学紛争が起こった。
全共闘の学生たちは大学当局に自分たち
の主張を唱え、それが認められない場合
には、大学構内にバリケード封鎖という
手段で籠城した。
学生紛争は全国に波及し、最盛期には
東京都内だけで、55の大学が
バリケード封鎖に入り、
社会問題になったのです。
ワタクシのいたH大でも入学当初は
当時の面影がチラホラありました。
学生運動以降、大学では講義室の机が
床に固定されたり、地面のレンガを
アスファルトに替えることが多く
なった、という話を聞きました。
再び学生運動が起これば、
武器を持たない彼らは、長机や長イス
のような備品でバリケードを作ったり、
ほじくり返したレンガで投石します
からね。
そういえば、5階のエステの先生、
若い頃,H大の南側付近に住んでいて、
下宿のおばさんに、
『火焔ビンが飛んでくるから、命が欲し
けりゃ、家から出るんじゃないよ。』
と𠮟られたらしい。
ちなみに警察の発表では逮捕された
633人のうち東大生はわずか38名
紛争にかかわったそのほとんどが
他大学の学生だったというコトです。
『いちご白書をもう一度』の中にある
『僕は無精ヒゲと髪を伸ばして、
学生集会へときどき出かけた。』
というフレーズを聴いた時、
ワタクシの中に眠っている、
何か得体の知れないパワー
を呼び起こしてくれました。
それにしても1年近く続いた攻防戦。
この安田講堂紛争で死者はほとんど
出ませんでした。
これは日本の国の底力だと思う。
中国の天安門事件なんて数百人~
数万人の死傷者が出ましたからね。
それに何たって、日本の機動隊はヘル
メットと盾プラスこん棒なのに、中国
の機動隊は戦車に銃ですからねえ。
安田講堂紛争のこと(前編)
『いちご白書をもう一度』を聴いて
東大の安田講堂紛争のことを考えた。
この歌は仕事の先輩の体験談をもとに
ユーミンが作った曲。
背景には1969年に1年間近く続いた
安田講堂事件があります。
ことの発端は1970年頃、ベトナム戦争の
頃に東大医学部でインターン制度で
1年間無給で働くという制度に
医者がストライキ。
大学側と医者・学生側と対立していた。
イロイロあって学生が安田講堂に
立てこもり、大学側に体制改革を
訴えた。そして、機動隊が出動。
手短かに言うとまあ、こんな感じ。
もうチョット詳しく言おう。
東大側は就活や授業再開したいと言う
学生を集めて、集会を行う事にした。
場所は秩父ラグビー場。
その周りを機動隊で包囲させた。
だが、ラグビー場を取り囲むように
反対派の学生が集い、機動隊と対立。
大学側に納得した学生は解散していき
ましたが、反対派は多く残った。
のちにエスカレートし、外部者も含め、
のべ3万人が安田講堂で学生集会を開き
ニトロやダイナマイトといった毒物も
搬入。
あまりにも危険と判断した大学側は
警視庁に機動隊を要請。
学生たちは籠城し、機動隊と戦ったが、
周りの城(校舎)が次々と落城していく。
そして、最後まで残ったのが安田講堂
だったという訳だ。
『いちご白書をもう一度』はそんな
学生集会に出ていた恋人が、就職する
ために髪を切ったという内容。
主人公の若者が社会に敗北したのだ。
【続く】
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