2020年 9月 の投稿一覧

コロナの本当の恐怖

新型コロナは繰り返す

 

ワレワレ歯科の世界では、周りを見ると
安堵している先生がたくさんいらっしゃ
います。

それは、「売り上げは減ったものの、影
響は何とか食い止めた」と考える先生が
多いから。

街場で開業している先生はリモートで
患者さんが自宅待機になり、来られる
患者さんが減ったと言っているし、住宅
街で開業している先生は自宅でのリモー
トのエイキョウか、普段来ないような患
者さんが来るようになったという。

共通して先生たちから聞こえるのは、
高齢者の患者さんが来院を控えるように
なったという事。

テレビのニュース通りだ。
というより、テレビでそう言うからそう
なった、のかも。

4月、5月は自粛で患者さんの数が一時
的に減ったものの、6月、7月は患者さ
んがしっかり戻ってきたと、多くの先生
たちが安堵しています。

「その程度なら問題ない」という強気の
先生もいます。

でもよく考えてみたら、大事なことを
忘れていて、それは「コロナは何度でも
繰り返しやってくる」ということ。

すでに第2、第3波により8月から各地
で自粛が始まっています。

早く治療薬、ワクチンなどが世の中に出
てきて、フツーの生活が送れるようにな
るのを祈るばかりデス。

 

高い伝書鳩・安い伝書鳩

 

こんな話を聞きました。

ある歯医者が早く隠居したいと思って、
娘を歯科大にやり、あわよくば同級生を
連れて帰ってきて家を継いでくれたらな
ぁとムシのよいことを考えていました。

ところが、伝書鳩に凝っていた小学生の
息子が友達を連れてきてこんな話をして
いるのを耳にしました。

伝書鳩には一羽1000円のものもあれば、
1万円のものもある。

どこに違いがあるかというと、一万円の
鳩は空高く飛び上がると仲間を連れて
帰ってくるが、1000円のハトは連れてい
かれるという。

それを聞いた歯医者はガク然として、
自分は娘がムコを連れて帰ってくること
ばかり考えていたが、うちの娘はひょっ
としたら安い伝書鳩で、連れていかれる
かもしれないぞと思い至ったという話。

思い込みの激しいヒトには疲れます。

思い込みの激しいジャイアン

 

どこに行ってもよく聞く話ですが、まわ
りに思い込みの激しい人がいると、チョ
ット疲れます。

一見、穏やかな人や素直な若い人でも、
政治・思想・趣味などで「絶対に~だ」
と固執して考える人がイル。

きっと頭の中の答案用紙には既に「〇」
がついて、ひっくり返せないノダ。
自分で「×」や「△」だと気づかない
限りは。

思い込みの理由は、「新聞に書いてあっ
た」とか「テレビで言ってた」とか、ま
ぁ、たいていは、ツッコミどころ満載の
乏しい根拠。

「他の考え方もあるよ」などと意見を
言おうものなら、「あなたにはワカラナ
イ」と激しく反論され、終わりのない
闘いが待っています。

そして、「自分を否定する人だ」「考え
方が違う」と敵視され、ますます頑固に
なっていく。

コレって、まともに受け止めれば誰だっ
て疲れちゃう。

「待てよ。ホントにそうか?」と常に
正解を疑う目を持った方がいいのに。

重要な問題じゃなければ「ふ~ん」と
スルーするのですが・・・。

誰々の子孫というのは勝手な決定?

ご先祖様

 

新型コロナ禍でしばらく中断していた
NHKの大河ドラマ「キリンがくる」が、
再び始まりました。

このドラマに出てくる織田信長、明智光
秀、斎藤道三、徳川家康、細川藤孝は皆
、天皇陛下のご先祖様です。

特に家康は、濃い。

彼は生涯に16人の子どもをもうけていま
す。

何しろ戦いには必ず、女2人を連れて
行ってましたから。

子供や孫の多くを、男なら大名に、女な
ら大名の妻にしました。

そのため名家に子孫が多く、その中には
公家に嫁ぐ女性も相当いて、今の皇室へ
も血が受け継がれています。

ところで、自分が誰の子孫であるかとい
うことは、勝手な決定です。

というのは、ワタクシ達には4人の祖父
母がいるワケなのに、それら4人の祖父
母のうち3人を除外し、1人だけを父祖
に指名しているから。

その祖父にも当然母親がいるワケです
が、排除された曾祖母についてはもう、
その旧姓さえ知りません。

n代遡るとワタクシたちには2のn乗
の「祖先」がいるワケです。

ですから、そのうちの1人の姓を名の
り、「〇〇家の末裔」を名のるという
ことは、2のn乗マイナス1人の祖先
の姓を葬り去ったということなのです。

10代遡ったら、2の10乗で1024人の
ご先祖様がいます。

わずか20代遡っただけで50万人を超え
、21代で100万人を超えることになる。

20代遡ったら、400年前の関ヶ原の戦
いの頃だ。
そして、家康がせっせと江戸幕府の準備
をしていた頃。

天皇家の人々もこの「キリンがくる」を
見ているでしょうか。

もしワタクシが天皇家の一員であったな
ら、またとないご先祖様のお話ですもん
、興味シンシン、必ず見ると思う。

T大医学部は天下の秀才を凡人にして卒業させているが、医学部としてはそれが正しい。

T大の赤門

 

時々ブログに出てくる解剖学者の養ロウ
先生が昔言っていた話です。

東京にあるT大医学部には、医師として
の適性はともかく、いわゆる偏差値の高
い学生が集まってくる。

これは、血圧の高い患者ばかりの病院み
たいなものだ。

血圧の判断も、偏差値で最高血圧が140
以上で高血圧、100以下を低血圧に分け
ている。

真ん中の120周辺の人数が一番多く、両
端は同じように減っていく。

大学入試センター試験は、T大医学部へ
入ってくる学生は上の方の1%くらい。

これを血圧に換算したら、300あたりと
いうとんでもない数値になる。

親は子どもがT大医学部に合格したら、
一般社会で将来やっていけるか、むしろ
心配した方がイイ。

教育する側は、こんな超高血圧の学生を
フツーの血圧に戻すだけで精一杯なのだ。

そして、ここからが面白い。

ある教授が、「T大医学部は天下の秀才
を凡人にして卒業させているが、医学部
としてはそれが正しい」と言っていた。

もっともであろう。

医学部の役割は、フツーの患者さんを
まともに診察できる能力の養成だから
である。

ちなみに、解剖学の養ロウ先生はT大医
学部の出身。

現場にいた先生の話なので、ホント、
生々しいなぁ。

外遊びの時間が長いほど識字率が高い?

外遊びをする子

 

ある統計があります。

3才くらいの子ども100人以上の生活時
間と識字率の関係を調べたら、外遊びの
時間が長いほど文字を知っているという
結果が出ました。

意外なようですが、脳の仕組みを考えれ
ば、これは当然。

カラダを動かすことが脳を育てること
ですから。

脳には、目・耳・手足などのヒフ感覚を
通して外部からいろんな情報が入ってき
ます。

逆に、脳から出すことができるのは、
筋の収縮だけ。
つまり、カラダの運動だけ。

しゃべるだけでも声帯や口を動かさなけ
ればならない。

動かしてみて、その感覚をまた脳にバッ
クしていく。

脳のインプット、アウトプット、インプ
ットです。

そうやって入出力をぐるぐる回しながら
脳は育つ。

一見、無イミなような遊びの中からいろ
いろなことに出会って、自分なりのルー
ルをつくる。

そこからヒトは学ぶのです。
特殊な才能を育てるのはその先でイイ。

大人が思っているよりもずっと、子ども
は自然に近い動物。

カラダを使わずにDVDにお守りをして
もらっている子の使っているのは、主に
目と耳。

外に遊びに行ったら歩いただけで景色が
変わるので、目も耳も手も足もすべて使
うことになる。

そして脳の中がグルグル回って脳が育つ。
やはり外遊びは最強だ。

ルビコン川は渡らない。

イタリアのルビコン川

 

古代ローマ時代に、イタリアとガリア
地方付近(北イタリア・フランス・ベル
ギー)の境にルビコン川という長さ2,30
キロくらいの小さな川がありました。

そして、その川を渡って軍隊を連れて
侵入してはならないという掟がありま
した。

渡った先にはローマがあります。
違反すれば反逆者として処刑される。

ところが、紀元前49年に後に英雄に
なったカエサル(シーザー)がそのオ
キを破って大軍を引き連れてこの川を
渡り、ローマに向かいました。

ローマの元老院たちはビックリ!

もう後戻りはできないという覚悟のもと
に重大な決断・行動をすることを、「ル
ビコン川を渡る」といいます。

ワタクシ、バブルの頃は大学に残って研
修していて、OLの奥さんに食わせても
らっていたのですが、バブル期にそうい
う危なっかしい、ルビコン川を渡った連
中が何人もいました。

当時、〇億円借りて起業するのがフツー
でした。

今、活躍している人がいる一方で、連絡
が取れない人も少なくありません。
やはりハイリスク・ハイリターンだった
のです。

ワタクシはルビコン川の随分手前で引き
返して、自分のやれることをやる生き方
を選びました。臆病者なもんで。

で、思うのですが、ちょっと高いところ
へ登ってみて周囲を一望して、全体の地
形が全部わかった上で、どういう兵を配
置するか戦略を練った方がいい。

そうでないと怖くて戦えません。

ちなみに、カエサルはルビコン川を渡っ
た時に、「サイは投げられた」と言った
そうです。

体育座りアレコレ

体育座り

 

いろんなところに歯科検診に行くと、
子ども達は体育座りをして順番を待って
います。

ワタクシが子どもの頃もその座り方だっ
たんだけど、今もまだそうなんだなと
思いました。

この体育座りというのは、ご存じの通り
地べたに座らせる時に両ヒザを両手で
抱え込む座り方。

実はこの座り方、上の立場の者が下の
立場の者をカンリ、コントロールしやす
い形なのです。

政治権力が国民をコントロールしようと
する時、「権力」はまず身体を狙うと
言います。

ところで、両手を組ませるのは手遊びさ
せないためだし、首も左右にうまく動か
ないので、注意散漫になるのも防げる。

それに胸を強く圧迫しているので、深呼
吸ができず大きな声も出せない。

まぁ、子どもたちは自分の手で自分を
縛っているので、文字通り手も足も出な
いというワケだ。

いやあ~、これなら管理しやすい。

先日、テレビのニュースを見ていたら、
広い場所で大人も子どももフツーに体育
座りをしていました。

ただ、かなり年上のお年寄りの方はして
いませんでした。

何でだろう?と考えて、ちょっと調べて
みたら、実はこういうこと。

1958年に文部省は「戸外で生徒を座らせ
る際にはこの体育座りをとらせることに
した」と書いてありました。

つまり、大年寄りの方々はこの座り方を
子ども時代習っていなかったのだ。

ブログ一覧