弟子は師匠から「学び方」を学ぶのデス。

師匠が弟子の将棋をじっと観察している高校生棋士、藤井聡太が杉本昌隆師匠と同じ7段に昇進しました。

いったいどうなるんだろうと、世間の皆さん、ニヤニヤ顔で応援しています。

ところで、「師匠と弟子」の話でこんなのがあります。

師は何も教えてくれない。

少なくとも弟子の目に「意味がある」と思うことは何も教えてくれません。

いつもいつもトイレ掃除とか、廊下の拭き掃除ばっか。師はすまし顔で「これが修行である」と言い張る。

弟子は困惑する。

そのうち、「先生は私に無意味なことばかりさせるはずがない。ということはだ、つまり、私はイミのあることをしているのだ」と考えるようになる。

まぁ、師はあまりにも偉大なので、そのふるまいが深すぎて私にはわからないのだという思考に陥る。

そういえば昔、「柔道一直線」というスポ根ドラマがあって、師の車周作は弟子の一条直也に、「水を運べ!」とか「マキを割れ!」とか「山にこもれ!」とか、意味のないことばっか言ってた。そうすれば必殺技「地獄車」のことがわかると。

師は「学べ!」と言っているのです。

ひとたび学び方を学んだ者は、それから後はどのような経験からも、どのような出会いからも、どのような人物からも、どのような言動からも豊かな知見を引き出すことができます。

賢者有徳の人からはもちろん、愚者からも悪人からもそれぞれに豊かな何かを学びとることができるのデス。

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