ドクターズルール425

 

 
「ドクターズルール425」という本が
あります。

これは、西洋医学の本場アメリカで医師
たちに支持されているテキスト。

日本の医者や患者がのけぞりそうな心得
が満載。

とりわけ印象的なのが、クスリへの警告
です。

こんなことが書いてアル。

〇できれば全てのクスリの使用をやめよ
 。それが困難なら、できるだけ多くや
 めよ。

〇クスリの数が増えれば、副作用はネズ
 ミ算式に増える

〇4種類以上のクスリを飲んでいる患者
 は、医学知識の及ばない危険な状態に
 いる

〇高齢者のほとんどはクスリを中止する
 と体調がよくなる。

歯科で出すクスリといえば、まぁ痛み止
めと抗生物質くらい。

症状のとれない時はクスリの力を借りる
ことがあります。

でも、昔、大学の口腔外科の授業で習っ
た限りでは、一部の例外を除いて、カラ
ダを治すのは本来自分のカラダの中にあ
る治癒力。

クスリはカラダの治癒力を邪魔します。

クスリで「治す」というより、せいぜい
「効果が期待される」レベル。

クスリって、少量、短時間の服用なら、
肝臓やじん臓が薬害を処理してくれるこ
とが多いのですが、習慣化するとほかの
所に副作用が確実に現れます。

クスリに言わせれば、「副作用?とんで
もない。これもオレの主作用なんだよ」
と、まぁ、そんな感じデス。

ナポレオン勲章と信長の茶道具

先日ナポレオンの話を書いたので、もう
少し膨らませてみます。

ナポレオンって、ナポレオン勲章と言わ
れるだけあって、勲章をいっぱいつくっ
たんです。

昔の兵隊って、功績に報いる時には、
お金をあげていたんです。

「ありがとう、ハイ、銀貨。」ってね。

でもお金は無限じゃないので、ナポレオ
ンは他に何かいい方法はないかと考え、
ふと名誉をあげるってのを思いついたん
です。

十字勲章という名前の布切れを「はい!
コレあげる」って。

するとスゴク喜ぶんですよ、もらった
兵隊は。

肩に貼っておくだけで「超偉いオレ」み
たいな。

で、コレ、全然コストかかんないんです。
ただの布切れだから。

お金もらえるわけじゃないけど、勲章を
もらうってことがすごく良いことだって
いうことになって、服に布がくっついた
だけで兵隊の身内の中ですごく褒められ
る。

「マジ?お前、勲章あんの⁉」
「スゲー、オレも欲しい!」みたいな。

若い人たちが入ると、「オレもいつか勲
章をもらえるようになりたい」っていう
ので、カラダ張って頑張るんです。

そして、布をもらう。
勲章っていう名前の。

で、もうちょっと偉くなると、布のまわ
りに金属が付くんですよ。
バッチみたいな。

ナポレオンはこうやって、金かけずに
兵隊を必死にさせるいい方法を思いつき
ました。

で、何か似たようなことをした人が日本
にもいたなぁ。誰だっけ?と考えていた
ら、ふと思いついたのが、信長。

信長の方がナポレオンよりも前か。

戦国時代に武士たちは、手柄をたてたら
土地もらっていたんだけど、与える土地
もなくなって、信長は土地に代わるもの
何かないかと探したら、あった。

それが、茶道具。

信長の家臣たちは、信長から「はい!
コレあげる」って茶道具をもらった。

すると、すごく喜んだ。

信長から茶道具をもらうってことは、
茶会が開かれた時、参加させてもらえる
権利をもらったということ。

もう、信長の家臣団の中で上位の重臣ク
ラスに引き上げられるってこと。

で、もう、目の色を変えて茶道具が欲し
い、欲しいということになって、手柄を
たてるために必死に戦ったんです。

まぁ、ナポレオンも信長も、人の心の奥
底にある名誉欲を上手に使ったわけだ。

ナポレオン戦争のロシア遠征でロシア帝国がやったコト。

ナポレオン兵は、帰りはボロボロ。

 

今から200年ちょっと前、ロシア帝国が
大陸封鎖令を守らないことを理由に、
フランス帝国のナポレオン1世がロシア
を侵攻しました。

昔の戦争って、A市を攻めて、勝ったら
A市にある食料を食べるんです。

で、ロシアが何をやったかというと、
負けそうになるとその町全部燃やすん
です。

食料も着る服も燃料も、何もかも燃やす。

「食い物ねぇ!寒い!」っていうんで、
次の町を目指す。

そしてロシア軍が撤退しながら戦って、
再び負けそうになると、またその町を
燃やす。

そうやって村を燃やすのを繰り返す。

ナポレオン軍は、勝ってても食べ物ない
んですよ。

そんで雪降って寒いし、泊まる所も着る
服も暖もない。

やっとモスクワまでたどり着いた時には
、もうナポレオン兵、ボロボロ。

つまり、ナポレオン軍をボロボロにさせ
るためにロシア帝国はロシアの町を焼き
ましたっていう戦術(焦土作戦)。

おまけに、シベリア寒気団が襲ってきて
、行きの50万の兵が帰りはたった2万。

一方、ロシア帝国は攻められた土地の
建物全部ぶっ壊し、生活カンキョウ全部
失くして、畑もなくして、そこでロシア
人が生活できなくもしたんです。

で、ロシア人もたくさん死にました。

なので、ロシアはナポレオンに勝って
スゴイって言うけど、ロシアの方がひど
いんですよ。やってる事。

だってナポレオンは軍人しか殺さなかっ
たけど、ロシア帝国は自国のロシア人も
いっぱい殺しているんです。

今のウクライナ情勢を見ていたら、やは
りプータン軍(仮名)はマリウポリの町
全体をぶっ壊して、市民が住めなくして
いる。

住民もたくさん亡くなって、食料も電気
も水道も全部ない。

そして、町からみんな逃げていく。

これも焦土作戦か。
プータン軍(仮名)はかつてのロシア帝
国と重なって見えます。

しみじみ教

結婚して、しみじみ

 

「しみじみ教」という妙な教えが
あります。

もちろんそんな宗教はありません。

これは、あるカトリックの司祭が
書いた詩。

その教えとは、「常にしみじみすべし」
というもの。

朝、新たな1日の始まりにしみじみ。
夜、寝る前に、過ぎし一日を思って
しみじみ。

春夏秋冬、今生かされていることに
しみじみ。

つらいことがあれば、人生だねぇと
しみじみ。

モノゴトや出来事の表面に惑わされず、
その一番深いところにある何かを感じ
取ろうとしみじみする。

どうやら、それは生きるイミと喜びを
味わう方法らしいのです。

聖書には「何を守るよりも自分の心を
守れ。そこに命の源がアル」と書いて
あります。

世の風潮や一時の感情に流されるのでは
なく、うれしい時にはうれしさを、悲し
い時には悲しみをじっくり受け止めるの
デス。

今日は8月29日。
今年ももう半年過ぎたのかとしみじみ。

スタッフもそろってきたなぁと、しみ
じみ。

結婚してよかったなぁとしみじみ。

どんな時でもしみじみしたいものデス。

「白河の関」の巻

白河の関

 

今年の夏の甲子園は、仙台育英高校が
優勝して、とうとう優勝旗が「白河の関
」を越えました。

そして高校野球の白河の関の役割は終わ
りました。

やっと越えましたからね。

あれから108年。
東北民の念願が叶いました。

その「白河の関」ですが、もともとヤマ
ト政権が西日本の奈良だか大阪だか九州
だか、その他どこからか勢力を広げてき
た歴史があります。

で、敵対勢力は東にあって、その方向の
人たちを「蝦夷(えみし)」と呼んで
自分たちとは別の生活圏の人々としてき
ました。

だって、彼らにはまだ稲作文化なんてあ
りませんでしたからね。

稲作をしている所までが日本だよって。
東北地方は当時、日本ではない別の国だ
ったわけデス。

そして、ヤマト政権の北限が「白河の関
」(現、福島県白河市)。

源頼朝も足利尊氏も家康も、天皇に「北
の蝦夷を倒す将軍にしてあげるから、後
は頼んだよ」と言われ、征夷大将軍にし
てもらいました。

当時のヤマト政権は同化政策を進めてお
り、蝦夷の人々とヤマト側の人たちの
交流は深まり、北限は時代ごとに移って
いく。

で、今は稲作は北海道まで行き渡り、ど
こに行っても日本人ばかり。

白河の関のイミはなくなっちゃったのよ。

痛みは命を守る大切なメッセージ

突っつくと痛がるヒドラ

 

歯医者さんに電話がかかってきます。
「歯が痛いんです」。

まぁ、よくある話です。

実は、痛みは脳が作り出しているんです。

ムシ歯になって、それが神経まで到達す
ると、歯が痛いと感じる。

でもそれは正確ではないんです。

歯で生まれるのは痛みではなくて、「よ
くないことが起こった」という信号。

その信号を受け取った脳が、「緊急事態
が発生した」と全身に警報を出す。

それが痛み。

つまり、脳が自分のカラダに何か異常が
起こっている時、脳を持っているその人
に、今やっていることをやめて、そのこ
とに「ちゃんと立ち向かいなさい」「今
すぐやめて早く対応しなさい」と伝える
ために痛みを使っているんです。

脳がつくる痛みは意外とイイ加減で、
まず警告だけ出しておいて、細かい情報
はもっと精密度の高いシステムで後で
ちゃんと送られてくる。

「何かどっか変だぞ。あれっ⁉歯がイテ
ェー」みたいな。

痛みのない方はとってもつらいんです。

先天性無痛症という病気があって、コレ
、痛みを感じることのできない病気。

痛みがないため、例えばヒザを酷使して
壊してしまう。

ヒザの関節が削られて朽ちていっている
ことに気がつかない。

気がついた時にはもう遅く、中がエグれ
て関節の役目を果たさなくなった状態。

原因は感覚神経にあります。
その人には痛みを感じるべき感覚神経が
なかったのだ。

だいたい、痛みは生命が一番最初に獲得
した感覚。

原始的な神経しか持っていないヒドラっ
ていう生き物でも、突っつかれると痛が
るような素振りを見せます。

痛くなかったら敵から逃げられませんか
らね。

痛みは命を守る大切なメッセージなのだ。

「世界史」は世界が1つになっていく過程を学ぶ学問。

アレキサンダーが征服した部分

 

ロシア・ウクライナ紛争を知るように
なって、あっちの世界もなんだかんだ
いって、日本のようなこっちの世界とつ
ながっているんだなぁと思うようになり
ました。

世界という言葉は、同じ意識や文化・
生活を共有する人々の集まり。

古代までは「世界=地球」ではありま
せんでした。

今、「世界中の人々が~」と言いますが
その「世界」は「地球」を指す言葉。

でも「世界=地球全体」になったのは、
ついこの間の話。

古代は「世界」といっても「地球」全体
ではありませんでした。

あのマケドニアの英雄、アレキサンダー
大王が世界を征服したといっても、地図
でみたら地中海付近のヨーロッパ~イン
ドの西側あたりまでの、限られた地域の
話。

自分のまわりで自分たちと同じ生活をし
ていたり、同じ宗教を信じていたりする
人々のことが「世界」でした。

仮に地中海の人々が東アジアの人々の
存在を知ったとしても、たぶんそれは別
世界の話。

古代は地球という1つの世界はなくて、
地球上にいくつもの「世界」があったの
です。

そんないくつもの「世界」同士が時間を
かけて融合していく。

交流したり、戦争したりして、そうして
できあがったのが今の「世界」。

ワタクシの学生の頃の教養部

H大教養部(イメージ)

 

今の学生は、コロナの影響で大学では
リモートによる授業だと聞いています。

ワタクシが大学に入学した頃は、まず
2年間、北18条の教養部で一般教養を
学びます。

ここでは全ての入学生が単位をとって、
それぞれ専門の学部・学科に振り分けら
れて進学していきます。

いろんな教室があって、大講義室という
ところでは当時の理1・理2・理3・
文1・文2?・医・歯・水産の生徒が
混ざって講義を受けます。

当時ワレワレの歯学部は、男子学級と
言われていて、女の子は数名だけ。

ですから、大講義室でエメロンシャンプ
ーの香りの女学生と一緒になるのは、楽
しみの一つでした。

教養部の授業を受けている時、ある教授
がこんなことを言っていたのを覚えてい
ます。

「君たちのクラス、何十人も学生がいて
、何でいつも数人しか授業に出てこない
んだ?まぁ、出席している君たちに怒っ
てもしょうがないんだけどね。うちの学
校で教養部の先生方に評判の悪い学部が
3つアル。どこだと思う?その3つは、
医学部、水産学部、そして君たちの歯学
部だ!」

「昔からそうだけど、この3つの学部の
連中はどうもいかん。最低限の単位と合
格ギリギリのラインを狙ってくる。まぁ
、ハイスコアの点数は確かに必要ないん
だが。進級できればそれでいいとでも思
ってんのかね。」

「それに比べると、理1・理2・理3・
文1・文2の学生はたいしたもんだぞ。
進級するための教養部の点数が自分の
行きたい学科に直接響いてくる。人気の
電子工学科に行きたくても点数が悪けれ
ば、何とも自分の本位ではない学科に進
むことになる。彼らはしっかり授業に
出ているぞ。君たちも将来、「先生」と
呼ばれる立場になるんだから、せめて
学部に上がったらちゃんと勉強するんだ
ぞ。頼んだよ。」

ワタクシが教養時代に覚えている先生の
愛の言葉といえばこれぐらいで、あとは
確かに授業は受けていたんだけど、一体
何やってたんだろう。

たしかにH大の教養部は緩緩(ゆるゆる)
でした。

しかし、歯学部移行後は地獄の忙しい
日々が待っていたのでした。

ちゃんといいようにできているのデス。

「おじいさん忍者」

 

今から400年以上前の関ケ原の戦いで
忍者が活躍していたという記事を見て、
忍者に興味をもちました。

お盆休みということもあって、本屋さん
に行って、最近テレビでよく見かける
歴史家の磯田道史さんの本を数冊買いま
した。

この方、忍者の研究をされています。

磯田さんは「歴史のホント」の真実を知
るために、忍者の子孫のお宅をわざわざ
訪問して、代々家に伝わる古文書を読ま
せてもらっているというのです。

忍者の研究、正直困っているようで、
何しろ忍者は隠れ忍んでいますから、あ
まり資料を残しません。

忍者といえば三重の伊賀者、滋賀の甲賀
者が有名。

で、甲賀者に木村奥之助という「おしゃ
べり忍者」がいて、歴史学者には大変あ
りがたい存在だとか。

「ワレワレ甲賀者(忍者)は、全国に
ネットワークをつくるために薬売りの姿
で全国をまわったり、カゴ屋になって情
報を得たりした。

でも江戸時代になって平和な時代になっ
たこともあり、甲賀者同士は先祖代々、
昔は兄弟のようなものだったが、今は
他人同然のようになり・・・。

それまでは甲賀者といえば、忍びとして
使えるという信用が天下の人たちにあっ
たのに、今では・・・。」

このおじいさん忍者、忍者の世代交代に
悩んでいました。

古文書「甲賀未来記」にそう書いてある
のデス。

こういうミミズのはったような字で書い
てある古文書の中にキラメクような一行
を見つけて、誰も知らない真実を知った
瞬間が歴史家はたまんないんだろうなと
思いました。

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