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ウチの御先祖様、移動していなければ、縄文人!

私の生まれた広島県の『土生町』

ワタクシの実家は広島県の東部の『土生
(はぶ)』と言う地名。小さい頃、うちの
辺り、何で土が生まれた場所って書くん
だ?ってワケわかりませんでした。
ウチの御先祖様の墓は代々『釈迦院』と
言う寺に葬られてきました。資料(土生
の郷土)『著・小川忠志』を探し出して
調べていたら、戦国大名のウチの殿、元
秀吉の家臣、福島正則の時に修復工事し
たと書いてあった。まあ、1600年くらい
。ふ~ん、そうなんだぁー!

元秀吉の家臣、戦国大名の福島正則(ウチの殿)

で、いつ頃建立されたのか調べてみたら
源頼家の頃って書いてあった。頼家と言
えば、鎌倉幕府を作った源頼朝の長男。
まあ1192年(いいくにつくろう鎌倉幕府)
の頃。スゲー!歴史に出て来るじゃん。

鎌倉幕府を作った源頼朝の子、源頼家

色気を出してもうチョット調べてみたら
近くから弥生土器が出て来たと書いてあ
った。『ええっ?そうなの???』

頭、クラクラして来た。無表情で目だけ
で字をを追ってたら、縄文土器も出て来
た、と書いてあった。

『うちの祖先、縄文人なんだ。』
人はビックリしすぎると、無表情・無反
応になってしまう。
うちの御先祖様、移動していなければ
縄文人。

 

因幡の白ウサギと○○平さんは,一緒(後半)

    【続きです】

これは古事記に出てくる『因幡の白ウサ
ギ』の話です。因幡の白ウサギは、か弱
いウサギちゃんが虚勢を張る話です。

ウサギは島(島根の隠岐の島)に住んでい
て、陸(鳥取の因幡)に渡ろうと思うワケ
ですよ。

『どおーしようかなー?』と思った時に
ふと、思いついたのがワニ。で、ワニに
ケンカ吹っ掛けるんです。君たちの仲間
と僕の仲間、どっちが多いか比べようぜ
と。絶対ボクの仲間の方が多いもんねっ
て言うワケですよ。そうすると、ワニく
んは『何だと!オレの仲間の方が多いに
決まってるぜ!』と粋がるわけです。

別にどっちが多くたっていいじゃんと思
うんだけどネ。
弱そうなウサギちゃんがボクの仲間の方
がが多いもん、って言うもんだから、
ワニちゃん、カッカして、よおし、じゃ
あ比べてやろうじゃねえか!ってなるわ
けです。

『何だと?じゃあ、比べてやろうじゃねえか』

『じゃあ、まず、君たちの数を先に数え
るから,ハイ、ちゃんと並んで!』って
なるわけですよ。『よーし、じゃあ、
並んでやろーじゃねえか。』獰猛なワニ
くんが、ちっちゃなウサギの言うコトに
従って律儀にピターッと並ぶ。

『ハイハイ、そこ出過ぎ!もうちょっと
詰めて詰めて!』みたいに。
『これでいいか?これでいいか?』みた
いな感じで。『じゃあ、これから数える
よ。おとなしくしててね。』って、ウサ
ギちゃんが
『1匹、2匹、3匹、4匹・・・』
っていう風に。

『1匹、2匹、3匹、4匹、・・・』

数えて行って、最後もう陸地に行きかけ
ていたワケですよ。最後の1匹の所で、
ウサギちゃん、本音が出ちゃった。
『バーカ!うそピョン、ただ渡りたかっ
ただけだヨーダ!』って。

渡り切った上で言えば、ウサギは陸地で
は速いワケですから、逃げ切るコトが出
来たワケです。
『君達、騙されたんだよー!』って、最
後の1匹の所で言っちゃった。そしたら最
後の1匹が『何だと!』っと言ってガブッ
!とウサギに噛み付くんですよ。
そして、皮を剥いだ。要するに、本音を
言うのが早かった。

『何を!』と言って、最後の1匹が嚙み付いた

最後は多分、笑いを堪えるのが大変だっ
たんでしょうね。『コイツ、バッカじゃ
ねえの?』って感じ。この獰猛なワニが
か弱いウサギの言いなりになって、並ん
じゃったんだから『もう、コイツら、
バッカだなあ!』と思いながら笑いを堪
えることが出来なかった。つい耐えきれ
なくなって『うそピョン!』って言っち
ゃった。それで最後にの1匹にガブって
やられた。

そしたら、そこへ大国主の命が通りかか
って、『どうした?』と言って、治し方
を教えてくれる。
コレが『因幡の白ウサギ』

 

 

 

○○平さん、『世界制覇、狙ってる!』って言うの、ちょっと早かったんじゃないかな?中国はさらに弱い国にお金を配り始めました。そして、中国の軍港とか作ったりして、もう明らかに世界の覇権国になることを公言したようなものなんです。それを知って、ワニのトランプさんが、『何だと!』っと言ってウサギの○○平さんにガブっと噛み付いた。『ヒィー!』

だから○○平さんは『因幡の白ウサギ』
と一緒。

因幡の白ウサギと○○平さんは,一緒(前半)

中国の野望・一帯一路

今の中国を、因幡の白ウサギに例えると
とてもわかりやすいんです。昔、誰かが
言ってた話。あくまでも、お話です。

中国は毛沢東の後、文化大革命をして、
鄧小平が改革開放路線をして、兎に角、
富めそうなヤツラに先に金持ちになって
貰おうと。そして、中国が世界の富を牛
耳れば、世界は動かせると。ただ、中国
はいつも弱い国、発展途上の国、貧乏な
国というイメージだった。そしてその路
線を江沢民(第5代国家主席)とか、
胡錦濤(第6代国家主席)が受け継いで来
たわけです。

中国のトップ指導者たち

胡錦濤の時なんか、世界に冠たる経済大
国になったんだけど、『いやいや、まだ
まだです。見て下さい、うちの国民を。
みんな貧しいでしょ。』と言いながら、
だいたい中国はそんな世界制覇の野心な
んて無いからって、まったく色気を見せ
なかった。そして、最強の帝国になった
時、『フッ、フッ、フッ!』と言う。
これが中国の改革開放の時からの狙いだ
ったんですよ。中華思想ってのは『中国
が世界の中心である』って言う思想です
からねえ。

『うちの国民、みんな貧しいでしょ!』

次に○○平が国家主席になった時、色気
見せちゃった。『ウチら、世界を動かし
っちゃおうかなー』みたいな。だって、
『太平洋の西側はワレワレ中国が担当す
る』って言っちゃったんだから。

黙っていればいいものを、言っちゃった

中国の野望に世界が気ずき、アメリカは
そんなコトはさせねーぞ。もう中国から
はモノ買わねーし、売ってもやんねー。

『中国からは買わねーし、売らねーぞ!』

そして、中国は『ヒィー!』ってなちゃ
った。そして次回、因幡の白ウサギの話
になっていくのです。今日はおしまい。

       【続く】

 

京都『鳥辺野』の話をしたら、スタッフがビビった

右下が鳥辺野

スタッフが家族旅行に行くと言う。
どこへ?って聞いたら、『京都の清水寺
とか、金閣寺とかに行って・・・』
まあ、当たり障りのないコースですな。
でも、その辺り、昔、何があったかを
知るとゾッっとするハズだ。

京都では人が亡くなると遺体を野ざらし
にして、あの世に見送りました。
そのまま朽ちる風葬が主流で、
遺体を鳥が食べて処理するので『鳥葬』
とも呼ばれたんです。

特に平安時代は人口が12万人くらい
だったので、遺体をどうするのかは
大問題。
天皇、皇族の住む洛中には死人を
置いてはいけない決まりなので、
葬送の場所は自然に洛外へと
広がっていく。

でもあまりにも遠いと
人手と金がかかるので、洛中から
あまり遠くない場所が選ばれました。
その中でも葬送地として一番キボの
大きかったのが、清水寺のある辺りの
『鳥辺野』。
今の大谷墓地のある辺りです。

清水寺あたりの『鳥辺野』。大谷墓地。

今も鳥辺野の入り口を示す『六道の辻』
の石碑が立っているのですが、
この辻を境に北側は『この世』、
南側は『あの世』というワケです。

鳥辺野は山の木の枝に遺体を掛けて
鳥が食べやすいように処理して風葬
にする。そこから、鳥辺野という地名
になりました。

高校生の時に古文で習った吉田兼好の
『徒然草』に
『あだし野(化野)の霧、鳥辺山の煙』
とありましたが、まさにその鳥辺野。

人の世のはかなさを綴っていて、
今では葬送地の代名詞になっています。

平安時代の時の権力者、藤原道長が
火葬されたのも鳥辺野。
(偉い人は火葬でした)。

源氏物語の中でも
桐壺の更衣(光源氏の母)や、
葵の上(光源氏の正室)、
夕顔(美女)などの葬送先も
鳥辺野。

清水寺の舞台の下あたりが鳥辺野

京都で『野』がつく場所は、だいたい
風葬の地。
嵐山のあざし野(化野)とか、
金閣寺あたりの蓮台野(紫野)とか。

で、実はね、清水寺のあの舞台から下にある
鳥辺野に遺体を放り投げていたらしいよ
っていう話をすると
うちのスタッフ、ビビっちゃって・・・。

でも、それも含めて
京都の魅力なんだよなあ。

いちばん速い子をちゃんと表彰した後で、先生は教えなきゃいけない。

   一番盛り上がる、かけっこ

 

2年前はコロナのエイキョウで、学校の
行事など、ことごとく中止になりました。

3月の卒業式、4月の入学式、遠足、
運動会等々。

3密になるのも困るし、長期自粛期間の
埋め合わせに授業時間を確保しなくては
なりません。

この時期は気候もよくて、本来であれば
小学生は運動会の練習をしているもので
すが、ちょっと寂しい。

小学校の運動会で以前、順位をつけない
ことがありました。

それ、良くない。

速い子、遅い子、走るのが好きな子と
イヤな子がいていいのだ。

ただし、いちばん速い子をちゃんと表彰
した後で先生はこう教えなきゃいけない。

後ろからトラが追いかけてきたら、ビリ
の子が食われる。

ゴールでトラが待ち受けていたら?

でも、ゴールでトラが待ち伏せしていた
ら一等の子が食われるよ、と。

生物は多様性があるのが自然。
勝った方が生き残るとは限らない。
ということを教える。それが本来
の教育。と、ワタクシ、勝手に思ふ。

教員免許を持たない超一流の素人教師たちの「文化学院」

与謝野晶子の文化学院

ワタクシ、時が許せば行ってみたい学校
があります。それが、大正10年に東京
神田にできた「文化学院」。
ここは今でいう、中高一貫の女子校の
はしり。芸術家たちがつくった学校。
「私立学校」です。与謝野晶子が創設し
ました。3年目にして日本初の男女共学
校。

この学校が面白いのは、当時の各界を代
表する知識人や文化人、まぁ与謝野晶子
も含めた、教員免許を持たない超一流の
素人教師たちが次々と教壇に立ったこと。

名曲『赤とんぼ』を作った山田耕作

作家の川端康成、随筆家の小林秀雄、社
会運動家の平塚らいてう、法学者の吉野
作造、詩人の萩原朔太郎、物理学者の寺
田寅彦、音楽家の山田耕作など、そうそ
うたるメンバーだ。

社会運動家の平塚らいてう

肝心の晶子の授業なんかは、作品に没頭
するあまり生徒たちのことをすっかり忘
れて、一人で古典を読みふけってしまう
ありさま。そういう晶子の姿に生徒たち
は釘付けになったトカ。

与謝野晶子

評論家の小林秀雄なんか、メチャメチャ。
まず、時間通りに来ない。20分くらい遅
刻してくる。来たと思ったら、黙ってタ
バコを吸い始める。2本目を吸い始める。
吸い終わる。そして教室の中をギョロッ
と見渡して、「ワタシに何か訊きたいこ
とはないか?なければ今日の授業はこれ
で終わり。じゃあ、帰る」。

随筆家・小林秀雄

これはつまり、生徒の方は聞かなきゃな
らない。これをやってくれと言われれば
、ヤル。すごくいい教育だと思う。
だいたい、芸術と教育は相性が悪いワケ
で、芸術というものは教えられないもの
の典型。芸術家ってのは技術よりも感覚
であったり、センスであったり、まぁ、
こんなのは教えられない。でも触れるこ
とはデキル。

芸術を教えることはできないが、触れることはできる。

まぁ、ここは学校というよりサロンに近
いかな。そこに行けばすばらしいものが
ある。こういう学校がボチボチでき始め
たということは、大正時代って平和ない
い時代だったんだろうなぁと思う。

人間の家に馬・牛・犬がきて家畜になった話。

 

イソップ物語デス。

イソップ物語は、神様が人間を創られた
時から始まります。
神様が人間を創られた時、人間の寿命は
もっと短いものでした。
それが長くなったのにはワケがあります。
ある冬にモウレツな寒波がきて、動物た
ちは飢えと寒さで死にそうでした。
一方、人間は家を建てて食物を蓄え、火
を燃やして暖かく暮らしていました。

ある時、馬がやってきて、「家に入れて
下さい。寒くて死にそうです」と頼みま
した。
人間は頭を働かせて、「その代わりに君
の寿命を少し分けて下さい」と取り引き
して馬を家に入れました。

次に牛が、その次に犬がやってきて、
馬と同様に少しの寿命と交換で助けて
もらいました。

馬・イヌ・ウシが次々とやって来た

その結果どうなったと思いますか?
馬も牛も犬も人間の家での楽な暮らしか
ら離れられず、家畜になりました。
そして人間は、思惑通り寿命が長くなっ
たのデス。

ところが神様からいただいた寿命の間
(子供の頃)は、無邪気で素直でイイの
ですが、馬からの寿命になると、馬力は
あっても高慢でいばり屋になり、次に牛
の寿命になると自分は働かずに口先で命
令する怠け者になり、最後の犬の寿命に
なると、自分によくする人にはしっぽを
振り、そうでない人には怒りっぽくて、
すぐ噛みつくようになるのです。

高慢・威張り屋・怠け者・ゴマすり・噛み付き

ちょっとクセのある大人のこと、老人の
ことを考えてみると、ホント、イソップ
の言うとおりだなぁと思いました。

馬や牛や犬になりたくないワレワレは、
神様から寿命をいただいた子どもたちか
ら学ばなければなりません。

エサにあるものを混ぜたら、全部メスに変わった!

ホルモンの受容体

 

ホルモンが働く上で重要なのが、ホルモ
ンを受け取る受容体。

細胞にはいろんな受容体があって、その
形に合ったホルモンを受け取るという仕
組みがあるんデス。

近畿大学水産研究所で、チョウザメの
性別を全部メスにすることに成功しまし
た。

チョウザメの卵といえば、世界三大珍味
のキャビア。

全部メスだとたくさんキャビアが採れる
んです。「たくさん作りてぇ~!」

すべてのチョウザメをメスにしたエサっ
て何?

実は、大豆から抽出された大豆イソフラ
ボン。

大豆イソフラボンとチョウザメ

 

これを溶かして、エサによく混ぜて、
ふ化した直後からチョウザメに与えたん
です。

すると、8ケ月後、お腹の中から卵巣が
・・・。

全てのチョウザメが卵巣を持ち、つまり
性別がメスになっていたんです。

でも、何で?

そのカギは、その分子構造にあって、実
は大豆イソフラボンというのは、女性ホ
ルモンによく似た分子構造をしているん
です。

ホルモンの受容体はいつホルモンが来る
か来るかと待ち構えています。

そこに女性ホルモンに似た物質がやって
くると、待ってましたとばかり、ほぼ
無条件で結合してしまう。

まぁ、大豆イソフラボンをいわば性を
決定する女性ホルモンと錯覚し、メスへ
とカラダを作り替えたんです。

女性ホルモンと大豆イソフラボン

 

「えっ⁉たったそれだけ?大豆イソフラ
ボンを与えただけでメスになるの?」

魚って、実は割と簡単に性転換が起こり
やすい生き物なんですが、いろんな受容
体の中でも、女性ホルモンの受容体は
一番甘いんです。

ですから、大豆イソフラボンは女性ホル
モンに似ている?といっても実際見ると
たいして似てないと思うんですが、あの
程度のものでも反応してしまうんデス。

ちょっとした変異株でも勘違いして抗体
を作ってくれますし・・・。

 

「太陽ママと北風コドモ」?

絵本作家のあきびんごさんの書いた「太
陽ママと北風ママ」という本があります。
そこに、「大切に育てられた子」と「じ
ゃけんに育てられた子」の話が書いてあ
りました。それによると、

どういうわけか、親が大切にして手塩に
かけて育てた子よりも、親からじゃけん
にされ、放っておかれながら育った子の
方が強く育ち、大人になると世の中で活
躍するようです。

世の中で活躍するのに必要なのは、親の
手塩よりも強く生きる力で、その力は、
じゃけんにされた子どもの方が育つらし
い。太陽ママは子供の可能性を信じるこ
とができます。

「この子は自然が育てているから、私に
はわからない自然の知恵を持っているに
違いない。その力を信じよう。」
というもので、まぁ、子どもというより
自然の力を信じるのです。まぁ、「孟母
三遷」です。

太陽ママ

これに対して北風ママは、「この子は私
が産んで育てている。この子のことは私
が一番よく知っている」と思い込んでい
ます。
その上、子どもの短所ばかり見えますか
ら、「もしこの子に私がついていないと
ますますダメになる」と思い込んでしま
う。
親は自分自身の長所と子どもの短所しか
見えませんので、失敗を聞く耳を持ちま
せん。

北風ママ

これが「太陽ママと北風ママ」のお話の
一部。
で、これは子どもが聞く耳を持つ場合。
子どもが聞く耳を持たなかったらどうな
んだろう。
続編「太陽ママと北風コドモ」を是非
書いていただきたい。

『JAL、すげぇー!』(現場は一流)  (後半)

      【続きです】

2007年8月20日に沖縄で、台湾の飛行
機が駐機場(ヒコーキが待機する所)
で、炎上する出来事がありました。
当時、いろんなヒコーキ会社の人々がそ
こで働いていました。突然、台湾のヒコ
ーキが炎上したので大騒ぎになり、各ヒ
コーキ会社の人達、みんな協力しあって
消火活動をして、やっとのことで爆発を
食い止めました。の様に見えました。
後で映像を見返してみると、消火活動を
していたのは、何とJALの関係者・整
備士の方達ばかり。他のヒコーキ会社の
人達、一体どこへ行っちゃったの?

中華航空機炎上。JALの整備士ばかり現場で頑張っていた。

JALは日頃から、こう言う事故を想定
して訓練していたのです。で、当時S山
さん(仮名)、JALの現場の最高責任者
で、たまたま、那覇市内で、作家の渡辺
淳一さんと打ち合わせ中でした。
その打ち合わせ中、突然携帯が鳴り、
空港部の部下から『S山部長、大変です
!私の目の前で今、中華航空機が炎上し
ています!』

中華航空機炎上

で、S山さん、『君の目の前ってのは
滑走路か?誘導路か?それとも駐機場か
?』部下、『駐機場41番スポットです』
というやり取りの後、駐機場なら空港閉
鎖にはならないな、と考えながらすぐ空
港に戻った。と、おっしゃっていた。

航空管制部

トップが何も指示しなくても、現場は今
何をすればいいのかわかっていたのだ。
整備士はボーイング社が頼りにするほど
優秀、客室乗務員は折り紙付き、空港も
優秀。経営、営業は知らないけれど、
    『現場は一流』
それがJALのすごいところ。

 

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