2020年 11月 の投稿一覧

「多くの州で昨夜の私のリードが魔法のように消え始めた!」

大統領選挙

 

街ですれ違っても「品のいいおじいさん
」といった程度で、気づかない人が多そ
うなBイデン氏(仮名)と、100メート
ル先ぐらいでもわかるほど強烈なオーラ
をまき散らすTランプ氏(仮名)。

カナダ南国(仮名)で大統領選挙が
始まりました。

テレビで見ていたら、この1ヶ月間は
Tランプ氏の言動ばかり目につきました。

このT氏、何を言い出すかわからない
面白さがあります。

だからテレビは終始T氏を映します。
すると、みんな見てくれる。

まるでT氏のことをシンプルに好きか
嫌いかを問う選挙のようです。

それはともかく、州ごとに選挙人を奪い
合うオセロのような開票速報は、見てい
ても飽きませんでした。

世界中を巻き込んだショーみたいで。

ひとひねりした演出として見れば、うま
くできています。

昨日は接戦でした。

Tランプ氏は「多くの州で昨夜の私の
リードが魔法のように消え始めた」と
言っていました。

それにしても、T氏、負けそうな展開を
予想して、またあの政治手法を用意。

「システムが不調なのは邪悪な人間が
システムの働きを妨害しているからだ。
悪いのは誰だ。そいつを特定して排除
しろ」というもの。

この場合、悪いのは「郵便投票を含めた
選挙そのものが不正だ」というコト。

まず敵をつくって、そこに憎しみを集中
させる。

これはわかりやすい。

ワルモノを特定してつぶしても、それで
もうまくいかない時には「その陰に隠れ
てすべてを操っている真のワルモノがい
る」という話にもっていけるからです。

次の標的を探すだけで、絶対に失敗とか
反省というのはナイ。

いつも敵を追いかけているワケだから、
脈拍が高まって、体温が上がって・・。

今回はそんな展開の選挙だったような
気がします。

七帝戦のコト。

七帝柔道

 

今年はコロナ禍で中止になりました
けど、「七帝戦」というのがあります。

旧帝大の一番の特権は、七帝戦に出られ
る可能性があるというコト。

七帝戦って、7つの旧帝国大学の全体育
会系クラブによる対抗戦。

毎年6~9月にかけて開かれ、主管大学
は毎回持ち回り。

北大→九大→阪大→京大→東大→東北大
→名大→北大・・・の順にローテーショ
ンする。

7年間大学に在籍したら、全国にすべて
行けます。

ワタクシの所属していたH大の公認卓球
部は、全学、医、歯、水産学部の計4つ
あって、そのうち七帝戦に出れるのは
全学卓球部ダケ。

全学のレベルは道内の大学リーグでは
1部の下位あたり。

ワタクシは辺境の歯学部卓球部だったの
で、指をくわえて見ていました。

この七帝戦、お勉強ができる国立大学の
お遊びと侮ることなかれ。

大学の大会では高校時代にインターハイ
で活躍していた強豪選手たちとも対戦す
るため、はるか格上の相手にも勝てるよ
うに必死で練習するんデス。

東京6大学リーグで連敗記録ばかりが
報道される東大野球部も、七帝戦での
試合を見れば、しっかりと練習をこなし
真剣に野球に取り組んでいることがワカ
ル。

6大学リーグは、相手がプロ予備軍な
連中ばかり。
東大野球部は決して弱くはありません。

ところで、「七帝柔道」という、七帝戦
に限る名物の柔道があります。

これは、「待て」がなく、寝技中心の
ルール。

大学へ入学する柔道部員は初心者が多く
、寝技なら短期間で技術の向上が望めま
す。

ところが、立ち技は才能・経験に左右さ
れる。

寝技中心の七帝柔道では、番狂わせが
よく起こります。

七帝戦を観ていたら、そこには、まじめ
なやつも、面白いヤツも、頭の良いヤツ
も、アホなヤツも、本当に個性的で多様
な連中が勢ぞろいしています。

もう60回くらいの歴史があって、優勝
回数は京大・東北大が15回、東大7回、
北大は3回。

運が良ければ大学4~6年の間、主管校
にあたり、地元で七帝戦が楽しめます。

ふだんは全学って同じH大内にあるので
すが、練習も別々にしているので、別々
の大学って感じ。

でも七帝戦ともなればうちの代表なの
で、全力で応援していました。

「山科にお嫁に行ったら東山が東にないやんけ」

洛中(上京・中京・下京)から見て東山は奥にアル

 

先日ある旅行会社が、「日本でいちばん
行ってみたい街はどこだ?」というアン
ケートをとったら、3位が函館、2位
札幌、そして1位が京都という結果が
出ました。

旅行会社が統計をとっているので、やっ
ぱりその辺へみんなに行ってもらいたい
のかなと思ったりもします。

実は京都はワタクシ、住んでいたことが
ありまして、でもその頃は古い街だなぁ
くらいしか思っていませんでした。

若いこともあって、関心もたいしてなか
ったものですから。

でも今なら、京都の歴史にも多少興味が
あります。

オッさんになったんだなぁと思う。

京都の洛中で生まれ育った老舗の令嬢の
話デス。

そのお嬢さん、若い頃、いい縁談があっ
てもいつも平気で断っていました。

30過ぎたある日、久しぶりに縁談が
やってきた。

「とうとう山科の男から縁談があったん
や。もうカンニンしてほしいワ」

経済的な水準が下がったということでは
ありません。
地理的な条件が落ちたのだという。

「山科の何がアカンのですか?」

「そやかて、山科なんかに行ったら、
東山が西の方に見えてしまうやないの」

確かにその通り。

東山の山並みは、洛中から眺めれば東側
に広がっている。

東山と呼ばれるようになったのも、その
ため。

そして山科は東山のさらに奥、その南東
に位置している。

あそこまで行けば間違いなく東山は西の
方にその姿を現す。

でも、それの何がつらいのか。
暮らしていくのに不都合なところはどこ
にもないではないか。

東山のウラ側を眺めて過ごすだけのこと。

洛中に生まれて育った者には、洛外に
住むということが耐えられなかったのか
もしれません。

たしかに、洛外に行けば怨霊がうじゃ
うじゃ住んでオルと信じられていた時代
ですからねぇ。

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