京都市民が長男の京大進学を喜ばない事情

京都大学

 

ワタクシ、北海道に来る前に、京都市民
をしていた時期がありました。

京都の近所付き合いは大変そうでした。

例えば、近所から「お子さんのピアノ、
お上手やわぁ」とか言われる。

そんな時、「ありがとうございます」と
お礼を言ったりしてはいけません。

こんな時は「うるさくて申し訳ありませ
ん」「ご迷惑をおかけします」と謝るの
が、コツというか、無難。

褒めているようで非難しているから、
素直に喜んではいけないのデス。

ところで、BSの「英雄たちの選択」に
時々出ているコメンテイターで、井上
章一さんって方がいますが、「京都ぎら
い」って本を書いたエライ先生です。

その先生が、「京大生に京都出身者が少
ないのはなぜか」について話していまし
た。

「実を言うと、京都大学の学生にあまり
京都市民がいない。たぶん1割もいない
んじゃないかな。まして創業寛永何年と
かいうようなお家のボンは、数えるくら
いしかいない。でもいくらかはイル。そ
の子たちがみんな口をそろえて、『京大
に入れてよかった。これで親父はオレの
ことをあきらめてくれる』って。つまり
入れなかったら、跡継ぎにさせられる。
そして、京大の大学院までいくと、これ
が『合法的な家出コース』になる。たぶ
ん、違うところに巣をつくって戻ってこ
ない。」

ある京都市民の話によると、「ワレワレ
のところでは、子供が京大に入ったら
近所から同情される。もうあそこ、跡継
いでくれへんわ。賢いことが悪いわけじ
ゃないけれど、まぁ跡継ぎには同志社く
らいが丁度ええ。同志社に行けば、長く
続いたブルジョワ同士のコミュニケーシ
ョンがそこで培われるし、将来この街を
背負っていく旦那にもなれる。だから、
京大に行ったらあかん!」

ワタクシもそういえば思い当たるフシが
あります。

正月に実家に帰ると、家の跡を継いだ弟
にいろいろ言われる。

「兄ちゃんはええなぁ、好きなことをし
て」。

代々続いている我が家で自分たちがどん
なしんどい思いをしているか、兄貴には
ワカルか?っていう思いがあるのだ。

「弟よ!すまん!許してくれ。」

骨は巨大なカルシウムのATM

骨はカルシウム銀行

 

ワレワレ歯医者の仕事は、骨がいつも
関係しています。

歯が動かないのは、骨がしっかり支えて
いるから。

ヒトのカラダを見ても、骨に筋肉とか腱
がついて形をつくっています。

でも、皆さん案外、骨の持つ他の能力を
ご存知ありません。

骨があるから心臓が動く。

実は、骨っていつもカルシウム成分を
溶かして血管を通して、全身へ届けてい
るんデス。

生物が生きている限り動き続ける心臓は
、この骨が溶かされないとスグ止まって
しまうんです。

カルシウムは細胞に届くと電気を帯びて
カルシウムイオンになる。

このカルシウムイオンの増減が、心臓を
動かしている。

Ca2⁺が増えた時、心筋細胞は収縮し、
逆にCa2⁺が減ると心筋が拡張するんです。

まぁこれは、心臓の筋肉だけじゃなくて
全身の筋肉も一緒。

ですから、骨はまさにカルシウムのATM。

硬いばかりじゃない。

巨大なカルシウムの貯蔵庫から日々、
必要な分だけを引き出しているんです。

そして心臓を動かす。

で、気になるのは、骨の中にどのくらい
貯めているのかということ。

成人でだいたい1㎏。

1日に必要なのは1g。
だから骨の中に1000倍のストックがある
と思っていいわけです。

まぁワレワレは、骨の中にカルシウムを
貯金しているわけデス。

腸が使える時には腸を使え!

胃ろう

 

ワレワレ歯医者の仕事はだいたい、口の
中で食物を細かくできるキノウを回復す
るところまで。

そして、飲み込めないのを飲み込めるよ
うにするのは、耳鼻咽喉科の仕事。

すると、細かくなった食物を胃や腸へ
送り込み、栄養分が吸収されます。

何かの病気や顎の骨折などでモノが咬め
なくなれば、鼻から長いカテーテルを入
れて先端を胃に置く方法や、お腹に穴を
開け胃ろうをつくって直接胃に栄養剤を
注入したりします。

まぁこれを、経管栄養(経腸栄養)と
いうのですが、昔、病棟実習でよく見ま
した。

これらは血管に栄養剤を点滴する方法に
比べたら、実は口から飲食しているのに
近いんです。

咬んで飲み込むという作業をショート・
カットしているだけですから。

ところで、長い間栄養剤を血管の静脈内
に点滴したら、腸を使わなくなるために
腸の粘膜が萎縮してしまい、使い物にな
らなくなります。

例えば、宇宙飛行士は重力のない所で
仕事をしますから、筋肉をほとんど使い
ません。

だから筋力が落ちる。

人体というのはかくも簡単にサボリ癖が
ついてしまうんです。

で、医療現場では「腸が使える時には腸
を使え」という格言があります。

可能な限り、静脈ではなく胃や腸などの
消化管に栄養剤を注入せよ、そしてサボ
らずに働かせよ、という意味なんデス。

新聞をとらなくなると、地域に疎くなる。

新聞をとる

 

うちのスタッフに、「もうすぐ神宮祭の
神輿渡御だよね。」と聞くと、「いつあ
るんですか?」

「今週の木曜日だと新聞に載ってたけど
・・・。」

新聞とってないので、スマホで全国の
出来事はわかっても、地域の行事のこと
はわからないという。

いやいや、コレは困った。

地方の新聞社って、新聞とる人が減って
日本でもちょこちょこ潰れそうになって
いるんですが、アメリカでは地方新聞社
けっこう潰れているんです。

で、地方新聞のない地域って、けっこう
税率が高いんです。

要は、政治家が政治家になりましたって
なった時に、地方新聞がない場合はちゃ
んと調べて報道する人がいないから、ち
ょっとずつ税率を上げていくんです。

自分たちの仲間とか、自分たちの関わり
のある会社に仕事発注しないっていうの
で、「うちの地域はお金がありません。
お金がないから教育にも福祉にもお金払
えません。なので教育・福祉にお金を払
うために消費税率上げます」と言って、
消費税を2%位上げることになるんです
けど、なんだかんだでホントの教育や
福祉とかに使われるお金の額はたいして
増えなくて、施設みないな箱モノにお金
が流れて、結果として税率だけが上がっ
ちゃったいうことになる。

こんなのがアメリカの新聞のない地域で
よく起こるんデス。

消費税を上げるのはまぁいいとして、
その地域を監視するシステムというのが
ないと、政治家や関連会社だけがタダタ
ダ肥えるということになってしまう。

せめて皆さん、新聞くらいは最低、とっ
てね。

納豆を食べた犬が「カスタネット状態」に。


「カタカタ」犬

 

こんな話があります。犬の話です。
そして、早とちりの男性の。

以前、納豆を食べたペットの犬(タッ
ちゃんといいます)が突然、カスタネッ
トになった。

突然歯をカタカタ鳴らすようになったん
です。

ペットの飼い主は、「タッちゃん、死ぬ
なよ!」と言いながら、タッちゃんを
抱えて動物病院へ。

涙目で、青ざめる飼い主に先生が言った
言葉は、「異常ありませんよ。納豆がお
いしすぎて興奮しただけです」。

で、ダンナさんは赤面したそうです。

その男性は、「アナフィラキシーショッ
クかてんかん」を疑ったみたいでした。

犬もヒトと同じほ乳類なので、たいして
変わらないと思いますが、ヒトならアナ
フィラキシーショックは血圧低下と呼吸
困難がいっぺんに襲ってくるので、顔色
が悪くなったり気を失ったりします。

てんかんは脳が一時的に過剰に興奮する
病気で、意識がなくなったりけいれんを
引き起こしたりします。

考えられるとしたら、てんかんか。

でもよく見たら楽しそうにシッポを振っ
ていたので、やはりどちらでもありませ
ん。

やはり納豆が美味しすぎたのだ。

「エラ呼吸が肺呼吸に進化した」の巻。

海の動物はある日陸上に上がった。

 

新型コロナウイルスはヒトに感染します
が、他の陸上動物には感染しないのだろ
うか。

もし感染したとしたら、彼らも肺がやら
れるのかなぁとアレコレ考えていました。

じゃあ、肺のないサカナはどうなんだろ
うと。

そんな時、BS「ヒューマニエンス」で
呼吸のことを取り上げていました。

ヒトを含む陸上生物って、そもそも昔は
水の中で暮らしていました。

当時の呼吸といえば、エラ呼吸。
この時、肺なんてなかった。

実はエラ呼吸って、酸素を取り込むこと
では肺よりも効率がいいんデス。

エラの中を覗いてみると、毛細血管の
集列が見えて、ここで水中の微量の酸素
を取り込み、直接血液に送り込んでいる
んです。

それが各地の細胞に送られていく。
そういうシステム。

これが肺呼吸にどこで変わっていったの
か。

おタマジャクシはエラ呼吸で、成長した
カエルは肺呼吸。

アフリカの川に、ポリプテルスっていう
原始的な肺を持つ魚がいるのですが、
エラでも呼吸するし肺でも呼吸する。

水中の酸素も使うし、肺でも呼吸するら
しく、どうもこのポリプテルスの住む川
は季節によって水量が変動する。

するとすぐに酸素不足になるのだ。

エラだけでは足りなくて、空気中の酸素
に頼らなきゃいけない。

食道から肺を分化させた

 

で、この魚、食道を分岐させ、空気の通
り道となる別ルートを作り、肺と気道を
持つようになったのだ。

陸上では水中の20倍の酸素があったので
生きていけたのです。

片付けたつもりが、気がついたら「メルカリ部屋」ができていた。

メルカリ部屋は段ボールがいっぱい

 

うちの奥さんがメルカリにはまって
います。

片付けをしていると、使わないものが
必ず出てくる。

捨てるにはもったいないから、誰かに
譲りたい。

そういうものを素人が素人に売るシス
テムが、メルカリ。

メルカリを通すので、10%の手数料が
かかります。

コレ、すぐれたシステムだと思います。

儲かる仕組みというのがあって、例えば
専門の人は消費者から安く買って、それ
を高く売ります。

クルマのガリバーとか、ブック・オフの
ように。

消費者は買うのが専門。
10円でも安ければ、そっちの店で買う。

でもよく考えてみれば、売るのは素人。
だいたい、売ったことがない。

自分のクルマを売る時、価値がわからな
いので、専門家に安く買い取られます。

ワタクシも昔クルマを売った時、どこの
車買い取り屋さんに聞いても、「それ、
5万円です」と言われました。

どこに行って聞いても「5万円」だと
言われるもんだから、「そうか、このク
ルマの価値は5万円か」と思ってしまい
ました。

どこかの誰かが気づいたんでしょうね、
素人が素人に売れば儲かると。

メルカリを見ていると、同等のクルマが
数十万円でフツーに取り引きされていま
す。

素人は相場がわからないから、売れた商
品を調べて、自分の商品の値段を決める。

高ければ売れ残るし、安ければすぐに
注文が入る。

うちの奥さん、押し入れから要らないモ
ノを引っ張り出して、写真を撮って、メ
ルカリにUPしてますから、片付けるつ
もりが逆に商品で場所を取るようになり
ました。

そして、発送するのに空き箱や段ボール
、プチプチとか必要なのでそれも揃えた
りして、部屋が余計狭くなってしまう。

まるで配送業者だ。

「一軒家なら空き部屋をメルカリ部屋に
できるけど、マンションじゃあね・・」
と、最近嘆いています。

非常事態を乗り切るための迫力

イタリアコロナ

 

新型コロナで死者が数多く出た最初の
頃、イタリアのカンパニア州の知事さん
はコロナの感染が勢いを広げているとい
うのに、大学生らが卒業祝いのパーティ
ーをしたと知るとこう言って怒った。

「火焔放射器を持って国家治安警察隊を
送り込むぞ!!」

また、グアルド・タディーノ市の市長さ
んはこう言った。

「家にいろ!人が死んでいるのがわから
ないのか!1日400人以上死んでるん
だぞ。全員クソだ!バカどもめ!外に出
るな!」

また別の市長は、美容院へ行っている客
を見てこう怒った。

「いくらヘアスタイルがきれいになって
も、棺桶に入ったら誰も見やしないんだ
ぞ!外に出ずに黙って家に引っ込んでい
ろ!」

もう、何と言ったらいいのか、もう
ムチャクチャ。

犬を連れてATMでお金を出そうとしてい
る人を見て、クソ、バカ呼ばわり。

「前立腺肥大の犬なんか連れて列を連ね
やがって!」
と、かわいそうに、何の罪もない犬まで
憎まれる。

イタリアの国民性でしょうか。

でも、非常時を乗り切るには迫力が必要
です。
国民の目を覚まさせなければいけません
からね。

そういえば、飛行機のスチュワーデスさ
ん(今はCAか)、いつも満面笑顔でニコ
ニコしていますが、非常時になれば一転
、お客さんを守るために命令口調になる
よう訓練されています。

「テメエら、わかってんのか?どつくぞ
!死にたくなかったら、アタイの言うこ
とをきくんだよ!」
と、まぁ、こんな感じでしょうか。

コロナ以前にも似たような時代があった。

ブリューゲルの「死の勝利」

 

1960年の後半、ビートルズがヒゲを伸
ばし始めた頃、アメリカではカウンター
カルチャーや反戦運動の嵐、若い人たち
はアイサツする度に抱擁、そして「ラブ
&ピース」が合言葉の熱い時代でした。

ところが1980年代は時代の空気は冷え
込み、人々は抱擁やキスを避けて、なる
べく離れるような姿勢を取り始めた。

エイズのせいです。
お互いにキョリを取り始めた。

今とそっくり。

アフリカ由来と言われるエイズ・ウイル
スが「愛と平和」を壊したのデス。

でも戦争も疫病も、原発事故も、遠く
離れた安全圏にいる者にとっては、まぁ
他人事。
対岸の火事デス。

でも新型コロナは違う。

グローバル化によって、世界のスミズミ
まで広がりました。

どこにも安全圏ってのはナイ。
逃げ場もナイ。
地の果てまで人類全てが当事者になった。

多分こんなのは、歴史上初めてでは?

昔を振り返れば、中世にはペストが広が
り、今まで元気だった隣人が亡くなった。

まるでロシアンルーレット。
次は自分の番かもしれない。

ところで、ブリューゲルの絵の中に
「死の勝利」というのがあって、そこに
描かれているのは、大きな馬車に死者が
山積みになっている風景。

ガイコツ姿の死者があらゆる階級の生者
へと襲いかかり、容赦なくあの世へ送る。
まぁ、身震いするような絵デス。

今回のコロナでは、ニューヨークでは
死体の処理が追い付かず、冷凍トラック
を連ねて死者を収容しました。

まるで「死の勝利」そっくり。
馬車が冷凍トラックに変わっただけ。

ペスト以後は神父さんも教会から逃げ出
すようになり、教会の権威は失われてい
きました。

で、神は死んだわけで、有名な宗教改革
が起こり、人間を取り戻すルネサンスが
イタリアで起こりました。

ペストの後に希望が生まれたのです。

新型コロナ以後はどんな新しいルネサン
スが待っているのか、希望を持ちたいも
のデス。

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