教育には税金かかりません。

「ちゃんと勉強しといたほうがエエよ」(イメージ)皆さんもそう思っていると思いますが、ワタクシも、親が子どもに残してやれる最高の財産は教育だと信じています。

財産、資産なんて、吹いたら飛ぶようなもので、なくなるもの。

でも、頭ん中に入った「知力」は、決してなくなりません。

所得の高い富裕層がなぜ教育を世襲させようとするのかというと、日本って国、相続税がビックリするほど高い。

で、現金や財産を世襲させても、二代目、三代目あたりでなくなるようにできています。

でも、教育には税金はかかりません。

だからみんな必死になって教育にお金をかけようとする。

そういうことをうちのチビスケに言ったら、ちゃんと勉強するようになるかなぁ。

まぁ、今のうちに勉強しておいた方がエエよ、という話デス。

咬み合わせを調整したら、指が暖かくなってきた。

指先が暖かくなってきた(イメージ)ちょっと前の話ですが、ピアノ演奏家の患者さんがいました。

最近、左の指がケンショウ炎になって、指の動きが悪くなったという。

演奏会もあるし、困った。

年のせいかなぁと言っておられました。

その先生の演奏会も終わり、来院されました。

みると、義歯は壊れていて、奥でものを咬めない状態。

咬み合わせを調べてみた。

赤い紙、黒い紙で調べたら、奥歯であたっていない。

どこで咬んでいたの?と聞くと、前歯だと。

で、前歯付近が崩壊していました。

前歯は肉食動物とは違い、咬むようにできていません。

そこで奥歯の咬み合わせをつくりました。

すると、ワタクシも驚いたのですが、その患者さんは左の指が暖かくなってきたとおっしゃいました。

血の流れがよくなってきたのです。

「左肩にも力が入る。左指にも力が入る。

こんな感覚、久しぶり!」と喜んで帰っていらっしゃいました。

咬み合わせを治したら肩こりがなくなったというのはよくある話ですが、指先に血が戻ってきたというのは初めてでした。

学校の歯科検診は、あくまでも簡易検査です。

ムシ歯というものは、突然できるものではありません。

ムシ歯は、「穴があくかな?」「元に戻ろうかな?」という間を揺らぎながら、結果的に歯に穴が開いた状態のことをいいます。

その揺らいでいる状態、言い換えれば少し歯が軟らかくなった状態で放っておけば、まだ元のように硬い歯になるかもしれない。

そういう時に、学校の歯科検診で、ムシ歯をチェックする針でケンサする。

これが実は歯がムシ歯になるようにトドメを刺すような行為になることもあります。

熱心な学校歯科医ほど、「よ~し、子どもたちのムシ歯が小さいうちに見つけるぞ」と入念に探針を使い、歯をケンサします。

そして、プスッと穴をあけて、「ハイ、ムシ歯」という感じでムシ歯のところにチェックを入れることもあります。

そしてムシ歯の場所が増えていく。

そうとは気づかずに。

でもこの学校検診は、あくまでも簡易ケンサ。

そこで、詳しくは歯医者さんに行って診てもらってネという、歯医者さん宛ての手紙をもらう。

そして歯医者に行ったら、「う~ん、微妙だね」と、その先生によって裁量が違う。

予防中心の考え方の先生なら、「ちょっと様子をみましょうか」と言って、生活習慣の指導をする。

治療ありきの先生なら、「ハイ、削りましょう。」と言って、サッサと削る。

ちなみにワタクシは予防派。

目的地は一緒なんですけどネ。

西日本(広島)豪雨、入れ歯ははめて避難して下さい。

広島はこういう地形が多い連日、テレビのニュースで西日本の河川の氾濫、民家の水没、山崩れ等を報道しています。

避難される方は、入れ歯ははめて避難してください。

皆さんのご無事を祈るばかりです。

先日、ワタクシの実家のある広島に安否の確認をしました。

弟に連絡したところ、「とりあえず大丈夫だよ。でも避難勧告が出された」という。

心配です。

広島の地形は、山が多くて平地が少ないので、川のそばに民家が密集しています。

昔、秀吉が水攻めしたほど。

山と川に囲まれています。

その広島の地質は、花こう岩の上にのっかっていて、その花こう岩、ある程度水を含んでも耐えてくれるのですが、一定量を超えると一気に崩れるという性質をもっています。

今回は、長期にわたる豪雨で地盤がゆるんで、山崩れが起きました。

たしか2年前も同じ山崩れが起きた。

この一連の豪雨報道で、米朝会談問題、サッカーワールドカップペルギー戦の検証、オウム真理教麻原教祖の処刑、日大アメフト問題、紀州のドン・ファン怪死事件等のお茶の間の話題がぶっ飛びました。

こういう自然災害が起こると、文脈が違ったものになってくる。

何しろ、命こそが第一優先ですから。

リードすることには慣れていないのデス。

ベルギー戦で赤い悪魔に同点ゴールを決められたサッカーワールドカップのベルギー戦、後半10分に日本がまさかの2点リード。

しかしその後3点取られてゲームオーバー。

いろんな評論家がああだ、こうだと言っております。

サポーターのワレワレも、いろんな思いをもったと思います。

まぁ、悔しいけどとても幸せな2週間でした。

ワタクシも試合を終わって、何であのような結末を迎えたんだろうと考えていました。

内田樹さんという日本の思想家が「日本辺境論」という本を書いているのですが、その中に民族の成り立ちというのがあります。

ワタクシ、「あっ!もしかしてこれかな?」と思いました。

日本人にはサッカーの技術はあるけれど、その反面、サッカーでの劣等感が常につきまとっています。

だって、歴史あるサッカーの世界へ途中から入れてもらったわけですから。

ホントのサッカー文化はどこか他のところでつくられたもので、自分のところでつくったものではない。

何となく劣っているのではないかという意識を日本人はなんとなく持っています。

だから、強豪国を真似して研究する。

ヨーロッパの新知識の輸入と消化吸収に忙しい。

「きっとアイツらはもっとすごいはずだ」と。

でも、想定外のリード。

後半30分どうすればいいのかわからなくなったと西野監督は言っていた。

おそらくこれは、始めから自分たちを中心にひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境民族のひとつ(日本)としてスタートした民族の違いからくるのではないかと思いました。

まぁ、ワレワレ日本人って、キョロキョロして何か新しいもの、もっと優れたものはないかと外の世界に絶えず求めてきましたからねぇ。

リードすることには慣れていないのデス。

アンパンマンの積み木を待合室に置きました。

まるやまファミリー歯科の待合室の子どもコーナーに、アンパンマンの積み木をそろえました。

ワタクシ、朝早く来て、ポンと置いて知らん顔していたのですが、あまりに小さくて存在感がなかったせいか、スタッフは誰一人気づきませんでした。

でも、待合室で待っている3才に満たない子どもはすぐ気づいてくれました。

なんだか、「やったぁ!」って感じでウレシイものです。

その子は黒色と紫が好きと言っていた。

何でと聞くと、バイキンマンの色だからだと言う。

バイキンマンの良さがわかるんですね。

アンパンマンが成功したのは、バイキンマンの功績が大きいと思う。

初期のアンパンマンに登場する悪役は、パンチがなくて面白みに欠けていました。

でもバイキンマンが登場すると、話がぐっと引き締まった。

甘いものにはちょっと塩を入れるといい。

「毒」は絶対に入れてはいけません。

子どもは傷つきますからねぇ。

おもしろい話にしようと思ったら、ちょっと怖くしたり、ちょっと悪を入れてやるといいのデス。

年を重ねると歯が黄ばんでくるのは?

患者さんからよく、「歯が黄色くなった気がするんですが・・・」と聞かれることがあります。

もちろん人間は生き物なので、年を重ねるうちに細胞の中の水分がだんだん少なくなってきて、劣化する。

それでカラダ同様、歯も加齢化し、歯のエナメル質の構造も徐々に劣化してくる。

最初歯が白いのは、歯の表層のエナメル質が白いから。

若い時にはこのエナメルが分厚いのですが、年を重ねていくうちに薄くなっていき、その下にある象牙質という黄ばんだ色の層が透けて見えてきます。

研磨剤入りの歯磨剤を使うと着色はとれます。

そして、歯がきれいな白に戻ったような気がします。

しかし、継続して使えば、どんどん歯の表面を薄くしてしまいます。

結果として、「白い歯」をうたい文句にした歯磨剤を使い続けることで、歯は黄色くなるのです。

研磨剤配合の歯磨剤は、たまに使うことが基本です。

死体は武器になる。

(イメージ)解剖の先生の養老孔子(仮名)さんが言っていました。

「死体は武器になる」と。

ある時、教室にヤクザが乗り込んできました。

ヤクザはなかなか帰ろうとしない。

養老先生、しょうがないから別の部屋に行って何やら持ってきた。

そして机の上に「ドン!!」と放り出した。

それは、解剖中の人体標本の手。

ヤクザはビックリして退散しました。

ああいうのを出されると、人間というのはガクッときて対応できなくなります。

突然身体の一部が目の前に出されるという状態は、彼らの行動パターンに入っていませんからねぇ。

世間の文脈というのは、生きた人間にあるのです。

そこに死んだ人間のモノが出てきたら、文脈がガラリと変わって違うものになってしまう。

「ボクはねぇ、ヤクザの弱点は経験的にわかっている。だから死体というのは武器になるんです。」

診療中、北大交響楽団の学生さん達がやってきた!

ポスター

受付付近診療中に、北大交響楽団の学生さん達が3人やってきた。

どうやら、7月7日(土)に札幌コンサートホールKitaraで第135回北海道大学交響楽団定期演奏会を開催するらしいのです。

目玉は、チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」。

で、ポスターを貼らせて下さいということでした。

その場で、待合室受付の下に貼りました。

学生さん、「そんないい場所に貼っていただいていいんですか」。

「イイんです。」ワタクシが決めるからいいのです。

カワイイ後輩達にお願いされたら、そりゃあ誰だって応援したくなりますワね。

どうやら「やる気のスイッチ」が入ったようデス。

決勝戦を見つめる(イメージ)ここに2人の中学生がいます。

2人とも小学4年生になって一緒にテニスを始めました。

2人しかいないもんだから、いつも一緒に練習していた。

子どもによってモチベーションは様々。

一人は、テニスがおもしろくて、没頭。

どんどん力をつけていきました。

もう一人はテニスだけに集中できない性格らしく、さぼったり、途中で遊びに行ったり、将棋を指したり、死んだふりをしたり・・・。

二人は違う中学校へ入学し、ある時久しぶりにテニスの大会で会いました。

一人はその学校のエースになり、上級生のシード選手を次々と破り、決勝まで進みました。

もう一人の方は一回戦でボロ負け。

ヘコんでいました。

負けた彼は決勝で戦っている昔のパートナーを横目で見ながら、ボソッと一言。

「何でオレ、あの頃テニスを放り投げて、あんな鬼ごっこに夢中になってたんだろう。あいつみたいに一生懸命やっていれば、オレだって今頃は・・・・。」どうやら、「やる気のスイッチ」が入ったようデス。

目の前でみんなの注目を浴びて、決勝で戦う昔の相棒を見て、何か思うところがあったのでしょう。

1つ気づき、1つ成長したようです。

ちなみに、一回戦でボロ負けした彼は、このブログに時々登場する、うちのチビスケです。

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