金山・銀山で戦国の覇権がワカル(前半)

島根県の石見銀山(実際はもっと西側)

先日、石見銀山の話をしたので、今日は
チョットだけ付けたし。
南蛮の資料を見ると家康って宣教師も驚
く大金持ちだったんです。これは家康が
生まれる直前、石見銀山をはじめ、各地
の銀山から大量の銀が採れたのが大きい
。戦国乱世が天下統一に向かっている時
に外国人が次々と日本にやって来る。
戦国以降の歴史の動きは金銀を見るとか
鉱山とかを見るとスゴクわかるんです。
歴史の裏にお金あり!

徳川家康(1542~1616)

三河(名古屋)の家康は甲斐(山梨)の武田
信玄と何度も戦いましたが、一度も勝て
ませんでした。信玄の無類の強さを支え
たのが金。まあ、甲州金。信玄が武功を
たてた家臣にホウビとして与えていたの
がこの金貨。

甲州金

甲斐の国に湯之奥金山、黒川金山など戦
国髄一の産出量を誇る金山があったんで
すよ。信玄はその軍資金に支えられて何
度も家康を打ち負かしました。

甲斐の国の豊かな金山を持つ武田信玄

甲斐の湯之奥金山・黒川金山(オガワ工房)

ところが、信長が南蛮貿易から調達した
鉄砲隊で甲斐の武田氏が滅亡。甲斐とそ
この金山は信長のものに。で、信長ウハ
ウハ。でも、そのわずか3か月後に明智
光秀が本能寺の変で信長を倒した。

やっと甲斐の国の金山を手に入れたのに!

本能寺の変で亡くなった織田信長

待ってましたとばかり領主となって、長
年の憧れであった甲斐の国を手に入れた
のが家康。

憧れの甲斐の国をやっと手に入れた徳川家康

ところが、明智光秀は豊臣秀吉に討たれ
、秀吉が天下を統一した。家康は秀吉と
今戦っても勝ち目はないので、取りあえ
ず秀吉が死ぬまでは辛抱しようと秀吉の
下についた。家康は秀吉に『小田原攻め
で小田原を取ったら、関東をお前にやる
。その代わり、お前の所領の三河国と甲
斐の国をオレによこせ。悪く思うなよ。
家康!』と言われ泣く泣く、金の出る所
領を手放した。

『家康よ、甲斐の金山をよこせ!』と言う秀吉

こうして、三河国と甲斐の国の金山は秀
吉のものに。家康の新たな領地、関東に
は目ぼしい金山がありませんでした。

関東に目ぼしい金山は無かった(オガワスケッチ)

『今に見ておれ!秀吉。』家康は指を握
りしめながら江戸へ赴任しました。

      【続く】

 

ドイツ製、『形が機能に従っている』

ドイツ製鳩時計。機能的に出来ている

ドイツ製に関して、ある賢者がこんなジ
ョークを言いました。
『恒久的な工業製品はドイツ人が発明し
,イギリス人が投資し、アメリカ人が製
品化し、フランス人が装飾し、イタリア
人が宣伝し、日本人が高性能化し、中国
人がコピーし,生き続けている。』と。
全てがそうゆうわけではないでしょうが
、まあ鋭い所に目をつけたジョーク。

ドイツ製かなずち。機能に従っている

なぜ、ドイツで開発される工業製品の多
くが機能的に優れているだけでなく、普
遍的なデザインをしているのか、その答
えはどうやら『形が機能に従っているか
ら』みたいです。

サカナの祖先なんかは最初の頃は球体で
、そのうち前後に口と肛門が出来て、次
に背と腹ができて、左右ができて、今の
形に落ち着いた。ヒレはあるが、シッポ
はない。耳もない。指もない。海の中で
は必要ない。『形が機能に従っている』

形が機能に従って、こういう形態になった

ドイツ製品はキノウ最優先で製品化が進
められているから、デザインに無駄がな
い。無駄な作業をすべてそぎ落として、
スピーディーかつ効率よく生産活動を行
ったら、こいうのが出来た。

クルマならポルシェ911。もう1964年に
開発されて以来、形はずっとそのまま。
『どこか御不満な点がおありですか?』
ってな感じだ。ベンツゲレンデも開発
当初の形のまま。
ドイツ製品にはこいうのがイッパイある。

ポルシェ911。開発当初からこの形。

ベンツゲレンデ。形は昔のまま。

そう言えば、コロナの時に、お世話にな
ったファイザー社のワクチン、あれ、ド
イツのベンチャー企業、ビオンテック社
が作ったものをファイザー社が、会社そ
のものを買い取ってファイザー社製のワ
クチンとして商品化しましたもんね。
(2021年9月1日のブログ『ファイザー社
あれこれ』参照)

ファイザー社の新型コロナワクチン(ドイツ製)

やはり、ドイツ人が発明して、アメリカ
人が製品化する。それを中国人がコピー
したようですが、思った通り、中国製は
あまり効き目がありませんでしたね。

ベルノニア、実は毒とクスリは表裏一体

ベルノニアの茎を食べるチンパンジー

 

ある大学の先生が言っていた話です。
毒とクスリは表裏一体だよ、ってヤツ。
まあ、似た者同士。
使い方によって毒にもなれば
クスリにもなる。睡眠薬も飲み
過ぎたら死んじゃいます。

毒のあるものがクスリになるという話が
あって、それがタンザニアの
チンパンジーが食べているベルノニア
という毒草。

『ゲボ、何、コレ?ニガッ!』
この苦いベルノニアをタンザニア
のチンパンジーたちは次々と
口に運ぶんデス。でも、何で?

実はベルノニアを食べる時期が雨季。
丁度、寄生虫の感染度の高い時期。
サルは火を使わないから生で食べる。
すると、寄生虫がお腹の中で棲息する。
サルは腹を壊す

ベルノニアの葉っぱは毒性が強くて
むやみやたらと口にすると命に
かかわる毒デス。
でも、彼らの口にしている部分は、
毒性の弱い茎の部分。ここはクスリ
になる。寄生虫を麻痺させるのだ。

興味深いはなしがあって、タンザニア
の人たちもベルノニアを下痢などを
治すクスリとして使用しています。

じゃあ、チンパンジーが食べたのを
ヒトが見たのか?ヒトがクスリとして
食べていたのをサルがマネたのか?

進化的に考えたら、やはりヒトが後
なので、ヒトがサルをマネたのだ。

 

 

 

猫は液体である

 

『液体』って、ざっくり言うと
容器に合わせて形を変えるもの。
寒いところに置かれている硬い水飴、
アレ、一見個体のように見えても
長いあいだ観察していると液体のように
流れて容器に合わせて変形するので
実は液体なんです。

物理的に液体を論じると、流動学
流体力学、粘度などのムズカシイ数式が
加わるのでキッチリした定義となると
ややこしいんですが、『容器に応じて
形を変えるのが液体である』という
わかり易い定義なら
『ネコは液体じゃないの?』
ということになる。

友人に猫好きがいて、彼によるとネコは
箱や袋、器など、スキあらば、いろんな
モノに入りたがるとか。
一見、自分の体積よりも小さなものにも
カラダを丸めてきれいにスキマなく
おさまるらしい。

まあ、ネコは個体ですが、
液体でもあるということか。

『猫は液体か?』と論じてイグ・
ノーベル物理学賞を受賞したフランスの
ある研究者。彼、授賞式のスピーチで
いろんな容器にすっぽり納まるネコの
写真を見せて、『写真を見る限りでは
ネコは液体の定義に一致しています。』
と言って場内を笑わせたとか。
ネコは個体なんですけどね。

こういう話題、何かイイねえ。
ホッとします。

優れた編集者は、素材の中からヒカルものを引き出す力がある(後半)

 

吉原で夕刻になると『花魁道中』が始まる。

   【続きです】

まあ、蔦屋重三郎は人江戸時代の視覚文
化を広めた人ですよ。浮世絵・黄表紙・
狂歌絵本とか見て楽しめる本を出版しま
した。みんなが楽しいと思うものを具体
化して、工夫してプロデュースする能力
に長けた人で、面白いだけじゃなくて、
時代を越えて普遍的で魅力のあるものを
造ったんですよ。

山東京伝の黄表紙『浦島太郎に捨てられた人魚が貧乏男に釣り上げられる』

狂歌絵本

蔦重の生い立ちなんですが、7歳の時に
両親が離婚して天涯孤独の身になってし
まった。その重三郎を養子として引き取
ってくれたのは、吉原(東京の台東区に
あった幕府公認の遊郭)で、蔦屋の屋号
を持つ喜多川家。ここは客を遊女屋へ案
内する引手茶屋を営んでいました。

江戸幕府が許した管理遊郭『吉原』

吉原って、もともと江戸に幕府が開かれ
て、間もなく創設を許された管理遊郭で
それから150年程経って、大名や豪商、
江戸の名士が集う社交場になっていまし
た。

『花魁道中』の一場面・NHK大河(べらぼう)

そんな客をもてなすために、店は遊女た
ちに、読み書きや楽器の演奏、茶の湯や
和歌など高い教養を身に付けさせました
。でも遊女たちの多くは親の借金のカタ
として身売りされて来た女性たち。自由
を奪われ、過酷な労働の末、年季が明け
る前に命を落とす者も多かったらしい。

親の借金のカタとして身売りされてきた女性達

名編集者の蔦重は吉原の文化が薫る光の
部分と遊女たちに悲惨な運命を背負わせ
る影の部分を見て育ったんですよ。

      おしまい

優れた編集者は、素材の中からヒカルものを引き出す力がある(前半)

NHK大河『べらぼう』の蔦屋重三郎

NHK大河『べらぼう』は、江戸時代中期
、貸本屋から身を起こした蔦屋重三郎
(蔦重)という青年が出版と言うメディア
を駆使して江戸を面白い町にしようと奮
闘する波瀾万丈の物語だ。

喜多川歌麿の当時三美人

蔦重は江戸時代中期に絵に言葉が添えら
れた本『黄表紙』を出版。笑いとユーモ
アに満ちた絵物はマンガの元祖です。こ
の人、喜多川歌麿や東洲斎写楽を見出し
、斬新な絵をプロデュース。モデルに江
戸の町娘を起用して『会いに行けるアイ
ドルブーム』を巻き起こした。

誰もが見たことのある東洲斎写楽の浮世絵

本当の優れた編集者というのは、素材の
中に潜在的にしかないものを引き出す力
があるんです。

ホントの優れた編集者というのは、素材の中にキラリと光るものを引き出す力がある。

例えば、アマチュア時代のビートルズは
粗削りで、パワーがあって、カッコ良く
てユーモアのセンスもあって、素材が良
かった。まあ、そのまま何も無ければ、
リーゼントで革ジャンを着た、ただの歌
と演奏の上手いバンドで、その内消えて
いった存在。
でも彼らは運を持っていた。

アマチュア時代の素材だけはいいビートルズ

ある日、レコード店に、次から次へと女
の子達が『ビートルズのレコードないで
すか?』とやって来た。で、次々来るも
んだから、そのレコード店の主のブライ
アン・エプスタイン(のちのビートルズ
のマネージャー・プロデューサー)は
『何だ!?』ということで見に行ったら
、何かキラリと光るものを感じたのか、
彼らのことすっかり気に入っちゃって、
これは売れるぞ、と。そしてデビューさ
せた。

ブライアン・エプスタイン

『ビートルズのレコードないですか?』

ただし条件があって、髪はマシュマロカ
ット、スーツを着て、演奏が終わると、
1曲ごとにお辞儀をするんだぞ!と。これ
が紳士の国、英国流。

こうやって売り出したら、世の中が放っ
ておかない。なにしろ素材がいいもんだ
から、ビートルズをロンドンが気ずき、
アメリカが気ずき、世界が気ずいた。

契約は『髪はマシュマロカット』『スーツを着る』『1曲ごとにお辞儀する』

蔦重もエプスタインのように見る目があ
ったので、喜多川歌麿、東洲斎写楽など
を次々とプロデュースしていった。

でも天明の飢饉なんかで庶民の生活が苦
しくなると、お堅い江戸幕府から目の敵
にされ、ついには財産の半分を没収され
るという事態になったんですよ。

       【続く】

アパートの裏の小径が石見(いわみ)銀山街道だった

石見銀山街道、馬がやっとすれ違えるほどの狭い小径です

ワタクシ、広島の実家を時々、ネットの
衛星画像で空から見ています。先日、1
つ驚いたことがありました。今は亡き父
(小川忠志)が実家の近くに小ぶりのアパ
ートを持っておりまして、ワタクシ、少
年オガワは小さい頃、お手伝いによく連れ
ていって貰いました。

で、久しぶりにそのアパートどこだっけ
なあ?と探していたら、ありました、あ
りました。よく見ると、アパートの裏の
ショボい道に『石見銀山街道』って書い
てあるじゃないですか。

『石見銀山街道』と書いてある

『えっ?あのショボい小径が石見銀山街
道の一部なの?・・・そうなの?』

『えっ?あのショボい小径が石見銀山街道?』

と、目が点になり、ホントかどうか、
石見まで続いているかどうか、念のため
衛星画像で追って行きました。すると、
確かに石見地方まで繋がっていた。

石見銀山街道(笠岡道)・実家、府中を通る

スゲー、南蛮貿易の頃、日本の歴史によ
く出てきた石見銀山じゃ!こんな小っち
ゃい事でも、高校生の頃から関心を持っ
ていたなら、もっともっと、日本の歴史
に興味を持っていたに違いない。時代小
説の水戸黄門にも登場する。

水戸黄門の石見銀山の話(第38部・第3話)

でも、よく考えてみたら、少年オガワは
オッサンみたいにそんな古臭いことに興
味を持つはずがない。もし持ってたら、
元歴史大好き少年、磯田道史氏に近ずけ
たかもしれない。彼はお隣の岡山県で少
時代を過ごした。

山の方に向かう石見銀山街道

ところで、石見銀山って何か?っていう
と昔、昔の16世紀、鉄砲がポルトガル人
によって、種子島に伝来されたと、歴史
の教科書に書いてあります。その時たま
たま、鉄砲が伝来したと思われています
が、実はそうじゃないんです。日本に偶
然持ち込まれたと思われてきた鉄砲は日
本の銀を手に入れる為の商品。その頃日
本で一番たくさん銀が発掘されたのが石
見銀山。

スペイン人ザビエルもポルトガルに遅れて来た

ポルトガルの商人達は火薬や弾の原料の
鉛や硝石を日本に持ち込み、代わりに日
本の銀を持ち帰ったんです。まあ、これ
が南蛮貿易の始まり。

これがポルトガル人によって日本に鉄砲
が伝来した本当の理由。

金山、銀山の奪い合いを中心に戦国時代
の覇権を考えると、実はわかりやすいん
ですよ。近いうちにブログに書いてみよ
うかな。

 

 

ミクロの毛が生えたら細胞分裂が止まった

波平さんの毛

 

毛、と聞いてまず思い出すのは、
髪の毛などのよく見える毛。
でも、目に見えない毛もあるんです。

以前、BSの『ヒューマニエンス』
という番組を見ていたら、ミクロの毛
(一次せん毛)が生えたら、細胞分裂が
止まるんだよ、と誰かが言っていた。
ちょっと詳しく言うとこうだ。

細胞分裂するとき、中心体と言うんです
けどこの中心体が染色体を引っ張って
来て、そのあと分裂して
この中心体はどこに行くかというと
消えて、細胞はもう分裂しなくなった。

これが毛の根元になって毛を
生やすんです。
中心体がなくなったら毛が生えた。
つまり、細胞分裂の始まりは
中心体が分かれて染色体を引っ張ること
から始まる。

 

 

中心体が消えると毛が生える

 

実は、この中心体こそ一次せん毛の
根っこ。分裂が終わると一次せん毛が
生えて来てそれ以上の分裂を抑制する
のだ。

もし、この毛が生えて来なければ
分裂は限りなく続き、
ガン細胞になってゆく。こりゃあ、
大変だ。
毛が生えて分裂を止めなければ。

未来の教科書

で、ちょっと調べてみた。
小、中、高の教科書には細胞の模式図に
一次せん毛がまだ、載っておりません
でした。もちろん、ワタクシも昔の生物
の教科書の細胞の絵に毛が生えている
のを見たことありません。

でも、こんな大発見、
きっと未来の教科書には載ると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「熱伝導」をさつまいもを煮る授業で体験させた伝説の教師

空気の温度差が気流を生み、風になる

大正時代の話なんですけど、ある公立
学校に伝説の天才教師がいました。それ
が、旧明石女子師範学校附属小学校(現
神戸大学付属小学校)の及川平治先生。

及川平治先生

例えば、小学5年生の「熱」という単元。
フツーは教科書に基づいて金属球やアル
コールランプなどの実験器具を使って
授業を行うのですが、コノ先生、それを
大胆にアレンジ。

「今日は皆さんにサツマイモを煮てごち
そうする。食べる気にばかりならないで
、イモを煮る順序と仕方を研究せねばな
らんよ」。

『今日は熱の話だよ。』

なんと及川先生、特別な実験器具を使わ
ずに、さつまいもでこの単元の授業を行
ったのデス。

まずは生徒たちにカマドに火を起こさせ
、部屋を暖めさせる。

カマドに火を起こさせ、部屋を暖める。

「部屋の戸を開けてごらん。空気はどち
らから流れてくる?」
児童、「外から冷たい空気が入ってきた
ぁ~」。
先生は内と外の空気の温度差が気流を
生み、風を起こすのだと、自然の仕組み
を室内で再現してみせたのです。

内と外の温度差が気流を生み、風を起こす。

そしてイモが煮えてくると、子どもたち
にカマドの口を閉じさせ、火が消えるの
を確かめさせる。
燃焼には空気が必要だと、カマドを通じ
て学ばせた。

そして、「あぁ、熱い!熱い!」
「さぁ、そのおイモの熱はどこから来た
のかな?」
「う~ん、おイモの熱はお湯からきてい
て、そのお湯はナベで暖められたもの。
そうか!カマドの火から熱は伝わってき
たんだ!」
「そう、それが熱の伝導というものなん
だ」。

カマドの火から熱が伝わって来た。それが熱の伝導というものだ。

この先生、イモを煮るという体験を通し
て、風の流れや燃焼、熱伝導といった
科学の基本原理を学習できると考えたん
です。

遠い昔、ワタクシが習った先生で、例え
ば「これは鉄だ。だから重い。重いから
持ち上げにくいのだ」っていう風に教え
る教師がいましたが、多分これは教え方
が悪い。

これは鉄で持ち上げにくいね。これをヒトは重い、と言うんだよ。

及川先生ならきっと、「これは鉄で、
持ち上げにくいネ。これを人は重いって
言うんだよ」と言うはず。

人は概念に出会って言葉をつけるのだ。

『立春大吉』と書いた紙を、玄関の内側に貼った

我が家の玄関の中(うちの奥さんの自筆)

節分も終わって、暦の上で春がやって来
ました。ここから新しい1年が始まりま
す。うちの奥さんが『立春大吉』と書い
た紙を玄関の内側に貼っていた。聞くと
、立春の日に、『立春大吉』と書いた紙
を玄関の内側に貼ると、良い1年になる
と言う。友人の家でやってたらしい。
それをマネた。

鬼は家の中に入ったのに、勘違いして出て行く

縦に書いた『立春大吉』と言う字は左右
対称なので、表から見てもウラから見て
も『立春大吉』と読める。鬼が玄関に立
春大吉のお札が貼ってある家に入りまし
た。ふと振り返ると、同じように立春大
吉と書いてあるお札が目に入りました。
(ウラから見ている)『あれ?オレ、まだ
家の中に入ってなかったっけ?』と勘違
いをして、家の中から外へ出て行きまし
た。つまり、鬼はせっかく家の中に入っ
たにもかかわらず、Uターンして出て行
っちゃった。

ウラ側から透かして見ても『立春大吉』

話は戻って、『字、うまいじゃん!』と
褒めると、彼女は書道3段なので、高校
生にも教えることが出来るのよ、と言っ
ていた。

(イメージ)

ところで、その人の気持ちが運を変える
と言います。節分も過ぎたことだし、明
るく笑えばいい。笑いは運を呼び込みま
す。笑顔は奇跡を呼び込み、笑顔でいる
と運気が良くなります。暗い顔をしてい
るヤツの所には誰も近ずかないし、だい
いち一緒にいてもちっとも楽しくない。

悲しみや辛さはいつまでもベットリとそ
の人について回ります。でも、そんなも
んだと思っていれば、何時までたっても
、新しい春はやってこない。ワタクシも
心を入れ替えてニコニコしよう。

笑いは運を呼び込む

せめて、お笑い番組でも見て、ゲラゲラ
笑わせて頂こう。面白かったことを想い
出して笑うのもイイ。『笑う門には福来
たる』と言うではないか。

昔、天のお星さまになった、うち奥さん
のバアさんが言っていたスゴイ一言が忘
れられない。
『暗い女は捨てられる!』

ブログ一覧