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洛中京都人の常識(後)

梅にウグイス

(前日からの続きです)

勘違いもあれば、場違いもアル。
京都の老舗には『場違いの部屋』と言う
のがあって、その部屋で待ってても
待てど暮らせど誰も来ません。
客を追い返すための『場違いの部屋』。

例えば襖絵で言うと
『梅にウグイス』が正解。
『桜にウグイス』という何百万円もする
襖絵の部屋があるんですが、
何も知らないと客は立派な部屋通された
と勘違いする。

しかし、その
『場違いの部屋』に通されたら、
1時間たっても、2時間たっても
老舗の主人どころか誰も出てきません。

『(遅せーな)スミマセ~ン。
誰かいませんか?まだですか?』

『場違いの部屋』に通されたのは
『場違いの客』という意味。
『梅にウグイス』はあるけれど
『桜にウグイス』はないのです。

まだまだあります。

『お子さん、お元気でよろしおすなあ』
➡『あんたんとこの子供、うるさくて
  迷惑じゃ!』

『よろしいなあ』
➡『どうでもよろしい』

『いい時計してまんなあ』
➡『あんた、時計見なさい。
 もうこんな時刻じゃ。早う帰れ!』

『どないしはったん?』
➡『あんた、本気?』

あ~、怖い。今はもう少ないかも
しれませんが、ワタクシが洛中に
住んでいた頃は確かにありました。

それにしても京都人は
自分達の価値を上げるのが
上手いなあ、と思う。

洛中京都人の常識(前)

京都と言えば、東寺の五重塔

昔々の話ですが、京都に住んでいた頃、
非・京都人のワタクシはいろんな勘違い
をしていました。

京都は応仁の乱が大きな時代の節目。
老舗とは応仁の乱くらいからの
長~い歴史がないと
ホントの老舗とは言えません。

テレビで東京の店が
『創業60年の老舗』と自己紹介して
いるのを見て京都人は大笑いする。
『そんなん、老舗ちゃう、老舗と言える
のは5、600年まえからや。』と。

東京圏ではエスカレーターは
左側に立つ。大阪圏では右側。
しかし京都では『前のひとが
右なら右、左なら左に立つ』
前の人と同じ側に立つのが京都流。
何事もいじらない。しきたりが大切。

割烹の店では次の客が来るまで
帰らない。
自分の他に客がいない場合、
自分が帰ると店がガラガラになって
印象が悪い。

そんな時、つぎの客が来るまでは
カウンターにいるのが京都人。
『ほな、また来るわ。』
と言って帰る。

『おこしやす』と『おいでやす』
には違いがあります。
『おこしやす』は
山を越えてわざわざ来て下さった
大切なお客様、というイミで
『おいでやす』は一見客に使われる。

山を越えて来てくれる客とは
昔は地方の大名。
『大名』と『町人』では扱いが
違って当然と考えるのが京都人。

『3代住んで江戸っ子』なら
『10代住んでやっと京都人』   

(長くなりそうなので本日、これまで)

 

武士たちは別の世界を持ちたいんですよ。蔦重と山東京伝の場合。

家康のつくった江戸の平和

家康がつくった江戸時代は平和でした。
でもね、江戸には当時ヨーロッパにあっ
た宮廷はなかったし、サロンもなかった
。文化人がいろんな所に集まって、そこ
では会話が中心だから、気のきたことを
言えたり、みんなを笑わせたり、驚かせ
たりするような人がだんだん、こう世の
中で頭角を現すんですよ。

江戸のベストセラー作家・山東京伝。気の利いたことを言ったり、笑わせたり、驚かせたりした。

だけど、そういう文化が江戸には、それ
も幕府内にはなかったんでしょうね。そ
れを発散する場所として武士たちは吉原
に行き、蔦屋重三郎みたいな連中と階級
を越えて付き合っちゃう。黄表紙とかだ
と、まあ1000円以下、500円くらいで買
えちゃう。

そんなのを読みたいから、識字率がバン
バン上がった。面白いものに飢えている
ところに、面白いのが来て、無風状態の
規制しない幕府がコレ、やばいなと気ず
き、娯楽を禁止し始めたってところです
かね。

当時、ロンドンの識字率20%、江戸60%

まあ、『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげる
さんも昭和の時代に目を付けられてしま
った。あと手塚治虫さんもそう。マンガ
が悪書だとやられているんですよ。こん
なものはイケナイってね。ただそういう
抑圧があればある程、創作家たちはもっ
といいもの描こうと思うけどね。

水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』は政府に目を付けられた。

手塚治虫のマンガ『火の鳥』こんなの悪書だからイケナイって。

蔦屋重三郎(蔦重)と山東京伝もそうでし
た。こんな質素倹約の時代に庶民を楽し
ませる本が出せるのだろうか?蔦重が戯
作者の山東京伝に相談したら、

『遊郭で暮らす遊女たちのリアル生活を
描く小説を出すってのはどう?これまで
華やかな非日常世界として、遊郭は描か
れて来ました。でも遊女の視点に立てば
、そこは抜け出そうにも抜け出せない苦
界。そんな遊郭の現実を描く物語なら禁
令に触れることはない。』

山東京伝の『錦之裏』は遊郭で暮らす遊女のリアル生活を描いたのだが、こんなのイカンということで捕まって手鎖50日。

で、山東京伝が『錦之裏』を発売した途
端、蔦重は奉行所に摘発され、本は絶版
を命じられた。遊郭を舞台にした小説を
出版したこと自体が禁令違反だって。こ
の摘発は役人側の業界への見せしめの狙
いがあったみたいで、そこで恰好のター
ゲットは今、ブイブイ言わせている版元
の蔦重と作者の山東京伝で、京伝は手鎖
50日、蔦重は財産の半分を没収されたん
ですよ。

山東京伝の黄表紙

武士たちは別の世界を持ちたかったので
すが、お侍さん達が商人化したら、江戸
幕府の作った封建制度が音をたてて崩れ
ます。そりゃあ、江戸幕府は終わりを告
げますワ。いかん!イカン!

腸がない動物はいません。

アメーバ

 

腸は、消化・吸収だけでなく、免疫キノ
ウ・ホルモン分泌と、たくさんの働きを
します。

でもなぜこんなに多くのキノウを持って
いるかというと、実はそれは動物の進化
の歴史にあるんデス。

脳・心臓・腸のうち、動物の進化過程で
最初にできたのは実は腸なんです。

動物は植物と違って、太陽の光からエネ
ルギーを作る光合成ができないので、他
の生物からエネルギーを奪う「消化」と
いう方向に進化しました。

そのために真っ先に必要な器官が、腸だ
ったのです。

骨が初めてできたのが5億年前だから、
10億年位前に多細胞生物がたくさん登場
しました。

最初の頃は、口と腸と肛門というシンプ
ル構造。
まぁ、アメーバみたいなヤツ。

ここから魚類、両生類、ハ虫類、鳥類、
哺乳類、そして人類が誕生。

進化していくうちにだんだん腸の背側に
脊ズイの原型が発達して、その先っぽが
膨らんで脳になった。

だから腸が最初。
腸がない動物はいないのデス。

「てんかん」は、脳の活性化が上がってワァーッとなっちゃう。

 

滅多にないことですが、患者さんで
意識を失う方がいます。

以前、「先生、私たまに意識を失うこと
があるんです。でも気にしないで下さい。
10秒~数分で戻りますから」と言われた
ことがあります。

ある日ブラッシング指導をしていた時、
急にその方、反応がなくなって、眠った
ようになった。

そして約十秒後、「先生、すいませんで
した、今気を失っていました」と、他人
事のように。

最初の頃は驚きました。

音もなくやってくる。
コレ、「てんかん」です。
昔からあります。

ソクラテスもそうでした。

プラトンの「シンポジオン(饗宴)」の
中に書いてあるのですが、ソクラテスが
階段を上がりかけて途中で急に立ち止ま
ったり、道を歩いている時、突然パッと
止まってしまう。

ソクラテスは時々、小発作を起こしてい
たらしいのデス。

「てんかん」の小発作というのは、その
瞬間に頭の中が空白になる。

それですぐ治まるんですけど、何かある
んですね。
きっと頭の中で何かが起こっている。

幻覚があったり、幻聴があったり、人に
よって違うと思うけど。

イシキがなくなっちゃいますから大変
です。

まぁ最近はギリシア時代とは違って、
いいクスリがありますから、ほとんど
問題ありません。

「てんかん」はどうも脳の活性化が上が
って、ワァーッとなっちゃう。

そうすると脳全体がケイレンするので、
結局統制とれなくなってバッタリいって
脳のブレーカーが落ちる。

しばらくすると勝手にブレーカーが
上がる。

「聖書」の場面がありありと見えるとか
、「聖書」の言葉が聞こえてくるとか昔
の本によく出てくるけど、まぁアレ、信
心深い人に多いんでしょうけど、ああい
う凡人にない才能って、てんかん気質と
結びついているんじゃないかな。

江戸の田沼時代はよかった、恋川春町の場合(後半)

 

浅間山大噴火と前年の凶作が合わさって天明の大飢饉

 

      【続きです】

でも、『黄表紙』で新たな展開を始めた矢
先、天明3年(1783年)7月、浅間山の大噴
火、前年からの冷害により、凶作が深刻
化。およそ30万人の餓死者が出た。これ
が天明の大飢饉。で、老中の田沼意次が
辞め、新たに松平定信が老中に就任。

定信が出したのが、質素倹約。ぜいたく
禁止が武士だけじゃなくて、町人まで徹
底的に行われた。

松平定信(左)と田沼意次(右)

まあ、これには狙いがあって、結局、農
民がどんどん江戸に出て行くと、農村が
ガラガラになってしまう。それから江戸
にはいろいろな娯楽がある。だから、一
回江戸に出たらもう戻りたくない。する
と、年貢も思う様に取れなくなってしま
う。飢饉の影響もあって、多くの農民が
江戸に流入。農民を田畑に帰し、これま
で通り、年貢、米を作らせるには、江戸
が魅力的な町であってはならない。定信
はそう考えた。

農民がみんな江戸に向かうと、米を作る人が減って年貢(税収)が減る。

そんな世相を題材に、蔦重は狂歌仲間に
黄表紙が出せないか、執筆を持ちかけた
。その一人が恋川春町。

恋川春町

彼は『オウム返し文武二道』を描いた。
舞台は平安初期。醍醐天皇を補佐する菅
秀才は兵を鍛え直す為に、源平時代から
源義経、源為朝、室町時代から小栗判官
を呼び出し、指導を依頼する。

『しかし、私たちはずっと後の者ですが
、宜しいのですか?』

『ここは黄表紙の世界だから、気にする
でない!』

『オウム返文武二道』源義経・源為朝・小栗判官門人の武芸の稽古。

こんな感じで黄表紙はドンドン売れた。
しかしですよ、『オウム返し文武二道』
を描いた恋川春町は急死。幕府から出
頭命令が出ていたので自決したという
ウワサなんですよ。今みたいに民主主
義じゃないですから、本を出すのも命
がけだったんですね。

      おしまい

江戸の田沼時代は良かった、蔦唐丸、四方赤良など(前半)

『耕書堂』

江戸の田沼時代は商人にとってイイ時代
でした。名編集者の蔦屋重三郎は34歳の
時、日本橋通油町に『耕書堂』と言う店
を構えました。

『黄表紙』は現代のマンガのルーツ

ところで、蔦屋重三郎って名前は一般名
みたいなもんで、養子として引きとって
貰った家の家号が蔦屋。蔦屋って言う苗
字は当時そこら中にありました。今のど
こにでもある田中さんみたいなもんです
。重三郎の重は、お父さんの名前が重助
で、3番目に生まれた男の子なので、
重三郎。

NHK大河『べらぼう』の蔦屋重三郎

まあ、それはいいとして、蔦重は吉原の
小さな貸本屋から一流どころと肩を並べ
る版元に成長したんですよ。で、その頃
、蔦重は江戸で流行していた狂歌を詠む
仲間と親交していました。武士から町人
まで幅広くね。

例えば、四方赤良(よものあから)、この
人武士の大田南畝(なんぽ)と言う人で幕
府勘定方の役人。

四方赤良は幕府勘定方の武士・大田南畝

手柄岡持(てがらのおかもち)、酒上不ら
ら(さけのうえのふらら)も武士。

宿屋飯盛(やどやのめしもり)は町人で旅
館の主人。

宿屋飯盛は町人で旅館の主人

そして、蔦唐丸(つたのからまる)、これ
が蔦屋重三郎の狂歌師としてのペンネー
ム。

蔦唐丸は蔦屋重三郎の狂言師のペンネーム

身分の差を越えて交流する狂歌仲間。そ
こで、優れた文才の持ち主と出会った、
蔦重は彼らに執筆を依頼するようになっ
たんです。

当時、蔦重が出版に力を入れていたのが
『黄表紙』。絵を中心に余白に洒落や風刺
を効かせた文章をつずった絵物語。現代の
マンガのルーツなんですよ。

       【続く】

『裁判所ですが、院長先生いますか?』

怖ろしい電話がかかって来た

先日、裁判所からうちの歯科に怖ろしい
電話がかかって来ました。

『裁判所ですが、院長先生いますか?』

スタッフ
『先生、裁判所からお電話です。』

『先生!裁判所からお電話です。』

ドキッ!裁判所?何か悪い事したっけな
あ?思い当たるフシはないぞ。クルマの
来ていない道路を赤信号を、無視して歩
いたアレか?小学生や子供のいる前では
大人としてルールを守っているんだけど
・・・。いったい、何だろう?怖わっ!

『いったい、何だろう?怖わっ!』

恐る恐る電話を取ってみると、
『裁判所のレセプト審査のものです。
先日、うちの職員の○○が、貴歯科医院
にかかったと思いますが、レセプトに6
月生まれなのに、8月生まれと記載され
ておりまして、カルテを直しておいても
らえませんか?』という内容でした。

カルテ

な~んだ、レセプトの記載ミスか!
カルテを引っ張り出して調べてみたら、
ホントに8月生まれと書いてある。
レセプトってのは氏名・性別・生年月日
・保険者番号・被保険者番号のどれか一
つでも記載が間違っていますと、返却さ
れるんですよ。

裁判所のレセプト審査の方々、お手を煩
わせてしまって、誠に申し訳ございませ
んでした。

『警察の者ですが・・・』

『税務署の者ですが・・・』

『警察の者ですが・・・』とか
『税務署の者ですが・・・』とか、まあ
こんな怖ろしい電話、オオカミの電話よ
りもコワイんですよ。心臓に悪いんです
よ、ホント。

せなけいこの『おおかみのでんわ』

『○○ちゃん、悪いことをしていると、オオカミから電話がかかって来るわよ。』『ママ、お願いだから、オオカミに電話して来ないでって言って!』

吉原遊廓では『ありんす言葉』を使う

吉原遊女は『ありんす言葉』を使う

江戸吉原遊女の日常生活の話です。吉原
では農家の貧しい娘を買って来る。ブロ
ーカーは買った娘を吉原に引き渡す。
そして『ありんす』と言う言葉などを学
ばせる。吉原のことを外の人は『ありん
す国』と呼ぶ人もいる。どこの農村から
連れて来られたか知らない、いろんな場
所から、いろんな事情をかかえて来た女
の子が吉原にいます。

吉原ではスタートラインは皆同じ。遊女
たちの出身地を隠すために、あえて遊郭
方言の『ありんす言葉』を作って、それ
を女の子が小ちゃい頃、先輩遊女が教え
込むんですよ。

『ありんす=あります、~です』
『おいでなんし(いらっしゃい)』、
『わっち=わたし』
『主=あなた様』
『あがり=お茶』
『馴染み=慣れ親しんだ人』。

NHK大河『べらぼう』高級遊女の花魁・花の井

高級遊女は3回来ないとコトをしない。
初回(目も合わさない)、
2回目(裏を返す、同じ女郎を指名する)
3回目(馴染み)

馴染みになったらコトにおよぶ。

17歳頃になると、正式に遊女となって、
ここから正式にお客を待つ。ところで、
遊女たちの運命は次の3パターン。

江戸時代後期の吉原

①身請け。コレ、客としてやって来た、
メチャメチャ金持ちの人がいて、その遊
女の生涯の稼ぎを全部負担して結婚。こ
れがあると何年目であろうと吉原を脱出
できる。でもこれはごくごく一部。NHK
大河『べらぼう』にでて来る花魁・花の
井は全盲の高利貸し・鳥山検校に
1億4000万円で身請けされた。

1億4000万円で身請け

②死亡。無縁仏として、近くの浄閑寺に
葬られた。吉原の遊女を継ぎから次へと
葬るから投げ込み寺とも言われたとか。
この頃の吉原遊女の平均年齢が22歳。

③年季明け。10年勤めあげれば、吉原を
出ることもできるし残ることもできる。
実家が引き取ってくれないこともある。
幕府非公認の遊郭・岡場所の私娼になる
こともあった。

まあ、こんな感じでありんす。

足抜け(脱走)しようとするとひどい目にあう。

ところでね、昭和の金持ち奥様の口癖と
いうイメージの強い『~ざます』も元は
と言えば、遊女の言葉なんですよ。

ガン細胞だけが消える、『光免疫療法』

光免疫療法

理論上、ガン細胞だけをピンポイントで
壊し、正常な細胞を傷つけない光免疫療
法があります。『第5のガンの治療法』
コレ、標的のガン細胞に微小なダイナマ
イトを仕掛けて、あとはスイッチを押し
て爆破する。ただ、それだけ。極めてシ
ンプル。

ダイナマイトを仕掛けて爆破する

ガンの治療法では、標準療法と呼ばれる
『外科療法』『放射線治療』『化学療法
』そして、この前ノーベル賞を取った、
本庶佑先生のオプジーボで有名な
『ガン免疫療法』などがあります。
で、この『光免疫療法』が5番目のガン
治療法と言うわけです。

光免疫療薬を投入して光を照射する

まあ、化学や医学の発見には偶然がつき
もの。ニュートンの重力の法則も、偶然
リンゴが木から落ちるのを見て、コレ、
『地球が引っ張ってんじゃねえ?』と
気ずいた。

ニュートンは重力の法則を偶然、気ずいた

コペルニクスの地動説もそう。望遠鏡で
太陽や月、惑星などを観察していたら、
みんな自転していて、ひょっとして地球
も自転してるんじゃねえ?と言うものだ
し、

コペルニクス。地球も他の星と同じく自転?

ジェンナーのワクチン発見だって、牛痘
にかかった人間は、その後、天然痘にか
からないと言う農民の言い伝えを天然痘
の予防に使えないかと研究したら、でき
たワケだし、そう考えると意外とみな
シンプル。

牛痘にかかった人は天然痘にかからない?

この「光免疫療法」の発見もやはり偶然
。もともと、治療法を研究していたわけ
じゃなくて、ガン細胞の表面にくっつく
物質を使って、細胞だけを『光らせる』
研究をしていたら、あまりよく光らずに
ガン細胞が壊れちゃった。光らせるのが
目的なら、確かに実験は失敗。でも、こ
の光、ガン細胞に効いた。まあ、硬貨に
は裏表があり、表は使えないけど、裏が
使えた。

硬貨の表は使えなかったが、裏が使えた

どうやら、光らせる薬を作っていたら、
その副作用の方が、他の病気の治療に役
に立ったというコトのようです。

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