【続きです】
まずは都造り。碁の目状に道を整備。
今の札幌の街造りも、縦・横ラインで
とても見やすいのですが、これは京都
をマネたもの。京都は唐の長安をマネ
た。桓武天皇はこれを取り入れた。
また、朝廷の服属を拒む東北の蝦夷討
伐もやった。
そして、即位から25年たって、桓武天
皇は69歳を迎えました。もうカリスマ
経営者みたいなもんです。桓武天皇の
前で二人の貴族による論争が繰り広げ
られました。
『今、天下が苦しんでいるのは、都の
建設と蝦夷の平定です。この2つをやめ
れば、民は安心するでしょう。』
これを桓武天皇は受け入れた。徳政相
論って後に言われるんですけどね。
ワタクシ、この話を聞いて、桓武天皇や
ったな!と。もしかして最初から仕組ま
れていたんじゃないかなと。部下の言う
ことを取り入れて、『や~めた!』って
言う風にしたのでは?
聞く耳を持つ天皇だって皆にアピールし
たのでは?
まあ、とにかく国難をこのようにして乗
り切ったんですよ。その3か月後、桓武
天皇崩御。
今、ロシア・ウクライナ戦争をしている
張本人の○ーチンさん、周りのみんなイ
エスマンになちゃった。桓武天皇の徳政
相論をやればいいのに。
部下が『もうウクライナ侵攻は止めて下
さい。今やめれば、あなたは各国から取
り敢えず感謝されますよ。』
『そうだな、皆がそう言うのであれば、
武器も弾薬も傭兵もショボくなったこと
だし、そろそろウクライナ侵攻をやめる
か。』
でも、まあ○ーチン氏、革命家の桓武天
皇の話、知らないだろうな。
おしまい。
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