吉原遊郭の『花魁(おいらん)』ー初めは格下でしたー(上)

札幌のすすきの

『すすきの』って札幌にありますが、コ
コ昔は『すすきの遊郭』と呼ばれていま
した。国が北海道を開拓する時、東北、
北陸など近場の農家の二男坊、三男坊が
札幌に働きに来た。でも、冬場になると
、仕事がなくなるので、男は皆、東北、
北陸の地元に帰っちゃう。

『すすきの遊郭』の北側には堀・土塁があったそうで、前面の道よりも5メートルほど下がっている。

また来年来るかと言うと、来ない者もい
。すると、働き手がいなくなる。そこで
国は困って、『そうだ、女性の力を借りよ
う!』ということで、国は『すすきの遊
郭』を作って、そこに女性を集め、男に
稼いだ金を使わせ、地元に帰さないよう
にしたんですよ。
まあ、『すすきの遊郭』は働き手である男
を田舎に帰さない為の装置ってわけだ。

突き当りの建物よりも5メートルほどセット・バックして手前の建物が建てられている。

それより以前に江戸に『吉原遊郭』とい
う『すすきの遊郭』のお手本の遊郭があ
りました。ここは『夢と魔法の不夜城』。

幕府公認の管理売春所なので、ほぼ外の
権力が吉原遊郭内に及びません。お侍さ
んも現実の世界から逃げたいんですよ。
そこに行けば、ほぼ自由なので、武士も
町人もペンネームを持って身分の垣根を
越えて交流できる。いわばサロンだ。

吉原大門の場所では、昔は監視約が遊女が逃げ出さないように見張っていましたが、現在ではその場所に吉原交番が立っている。

250m四方の中に一万人が住み、その
半分が遊女だったトカ。門は一つだけで
遊女が逃げ出さないよう、しっかり監視
。遊郭の周りには幅10メートルの堀があ
り、これも遊女が逃げ出せない為の装置
。吉原遊郭は11回も火事があったらしく
、そのほとんどは遊女が絡んでいたトカ

吉原大門から見た仲之町通り

そもそも、吉原ってのは、最初は元吉原
(日本橋人形町)。火事があって、新吉原
(現台東区千束)に移転したんですよ。

火事で現・台東区千束に移転した。

そこにいる遊女のランクは上級から下級
までいくつかあって、まあ、ちまたでは
『太夫の方が上?花魁の方が上?どっち
?』と言う人がいますが、18世紀前半
(江戸時代前半まで)と18世紀中盤以降と
では話が違うんですよ。

元吉原の頃は5つのランクに分かれていた(オガワデザイン事務所)

元吉原の頃は5ランクに分かれていて、
上から太夫・格子・散茶・局・切見世。
『太夫』ってのは律令制度に由来する五
位の貴族の通称を太夫(たいふ)と言いま
す。森鷗外の作品にあるでしょ、『山椒
大夫』あの大夫(太夫)。

森鷗外の『山椒大夫』

ワタクシ、『山椒大夫』という小説を読
んで、平安時代末期ってホント怖ぇーな
あ、と思いました。何たって、京都以外
の地方では人さらいがフツーにその辺に
ゴロゴロいましたもの。NHK大河『光る
君へ』で紫式部が京を出て地方に下る時
いつも男を従えて旅をしたでしょ。さら
われるんですよ。そして売り飛ばされた
んです。女の一人旅は。

地方では人さらいがゴロゴロいました。

       【続く】

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