水戸黄門は『徳川家康』の孫だからスゴイ。

江戸幕府初代将軍・徳川家康

山岡荘八の『徳川家康』は昭和25年~
昭和42年まで20年近くかかって書か
れました。そして、40年くらい前に
NHK大河ドラマ『徳川家康』にもなり
ました。

山岡荘八の『徳川家康』全26巻。彼の作品ほど家康のことを絶賛して描いている作品はない。この作品を読めば、誰だって家康のファンになるはずだ。ワタクシもなった。

最初から最後まで生きている人はたった
一人。しかも脇役『天海』という正体不
明の謎の坊さん。一回目に出て来て、家
康の葬式(75歳)まで立ち会うわけです
よ。伝説によると、107歳まで生きたら
しい。まあ、家康の第6子、結城忠輝は
92歳まで生きたから有り得るか。

天海は家康を小さい頃から知っており、75歳で逝った家康の葬儀にも立ち会った。

で、思うのが、当時でも世論の支持がな
いと、天下国家は取れないのではないか
と。自分の方に風が吹いてくるまで待っ
ていたのでは?
信長がいる時に信長、秀吉がいる時には
秀吉ということで、待たざるを得なかっ
た。だから最後、豊臣家の処分(大坂夏
の陣)は自分も歳だし、焦ったのかなあ。

大坂夏の陣で家康は豊臣家を滅ぼした

家康は亡くなった後は、秀吉が天明神に
なっている向こうを張って、権現になっ
た。遺体を久能山から日光へ持って行っ
た。日光に行って、大権現になった。
大明神の秀吉と大権現の家康はあっちの
世界でも争っているのか。子孫たちの思
いが強かったのかなあ。『神君家康公』
ですからねえ。

家康(大権現)・秀吉(大明神)

ワタクシの父親が若かった頃、昭和20年
代の話ですが、その頃日本は戦争に負け
、独立前で、アメリカ、ソ連に挟まれて
いて、日本の国はこれからどうなるんだ
ろう?と父は日本の国の先行きを心配し
ておりました。

敗戦国日本はアメリカかロシアのどちらかに支配される予定だった。結果的に戦後7年間、アメリカの支配下だった。

今考えると、それは何か三河の国の運命
に似ているような気がするんです。
織田(アメリカ)と今川(ソ連)に挟まれて
三河(日本)は緩衝地帯になっていた。
今思えば、民主主義のアメリカと同盟を
結んでよかったなあと勝手に思うんです
よ。

家康の三河は織田と今川に挟まれていた。

ところで、テレビで『水戸黄門』の再放
送を毎日やっていますが、水戸光圀が何
であんなに偉いのかわかりました。確か
に天下の副将軍だから偉い?いやいや、
ワタクシ、気がついたんですよ。

水戸光圀は実は徳川家康の孫

答え『水戸光圀は徳川家康の孫だから』
水戸光圀の頃の将軍は5代将軍綱吉。
水戸光圀の父、頼房は家康が御歳70歳く
らいの時に生まれた子供。フツーは孫の
子の曽孫(そうそん)、あるいは孫の孫の
玄孫(やしゃご)ですよ。家康が駿府で
息を引き取る時、天海をはじめ、主な重
臣、家族が集まった。そこに5,6歳くら
いの子供がいました。それが水戸光圀の
父、頼房。そこには37歳のお兄ちゃんで
将軍の座から退いた、元2代将軍・徳川
秀忠が同席していました。

 

水戸黄門(光圀)は徳川家康の孫。

『ぼくのおじいちゃん、明治天皇』だっ
て言ったら、ビックリするでしょ。当時
『おじいちゃんが家康』ってのはビック
リするほど凄いことなんですよ。

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