陰陽師・安倍晴明の話(占事略決)②

 

北斗七星の力を借りる。

    【続きです】

安倍晴明の前の陰陽道の第一人者は師匠
の賀茂保憲(かものやすのり)でしたが、
この師匠が亡くなった後、安倍晴明が出
て来て、いろんな改革をしたんですよ。

例えば、天皇や貴族が新しい家に引っ越
しする際に行う儀式の『兎歩(うふ)』。
北斗7星を含む9つの星の名『天逢、天内
、天衡、天輔、天禽(てんきん)・・・』
を唱えながら、独特の足運びでステップ
を踏む。これは天の星の力を使って、空
き家などにはこびる鬼を追い払う奥義。

独特のステップで鬼を追い払う『兎歩(うふ)』

賀茂保憲・師匠の死後の2年後、晴明
58歳の頃、彼は『占事略決』と言う本を
出しました。ここに書いてあるのは貴族
たちの関心を引く占いの数々。

安倍晴明の『占事略決』

例えば、『子供を男女どっちか占う』と
かまあ、どっちみち当たるかハズレるか
2分の1の確率なんですけどね。
『病や祟りを占う』、『逃げた家畜を探し
出す方法』、馬とかタカとかがよく逃げ
出すんですよ。『待ち人来るかどうか』、
ホント、何でも屋さん、便利屋さんみた
いなもんです。

陰陽師は『何でも屋さん』『便利屋さん』

この書物が出たら、安倍晴明の名が都中
で広く知られるようになったんですよ。
で、遅まきながら、人気陰陽師の地位を
手にしたんです。前の席が空いたので60
過ぎて世の中で有名になった、アンパン
マンの生みの親、やなせたかし氏みたい
なもんです。

60歳を越えてアンパンマンで売れっ子になったやなせたかし氏

で、この本は学問としての体系というよ
りも、人類共通のものとか、人間どれだ
け時代を経ても、人間の本質が変わらな
い限り、悩みというものは変わらないか
ら、それで他人の人がやるよりも早くや
らなければダメだということもあったの
では?あせったのかな?

安倍晴明は『占事略決』で売れっ子陰陽師に。

『占事略決』の内容ってのは、知ってる
のは晴明だけじゃなくて、他の人も知っ
てたんですよ。

そして、藤原道長の時代になる。
一条天皇が即位すると、安倍晴明は大抜
擢を請け、陰陽寮を離れ、一条天皇直属
の蔵人頭陰陽師になった。大出世です。
この時、一条天皇は7歳でカラダも弱く
、周囲を心配させていたので、晴明は
『泰山府君祭』という今までに無かった
儀式を取り入れた。

『泰山府君祭』という儀式を初めて取り入れた

一条天皇が病気がちなので、泰山に登っ
て、そこに泰山府君さんが命の手帳を持
っていて、その人に交渉して、新しい天
皇の寿命を書き換えてもらえば、長く生
きられる。中国の神様ですから権威があ
るんですよ。

泰山は中国にある霊山。死者の魂がたどり着く場所。

コレ、室町時代の第3代将軍、足利義満
もこの儀式をやったというんですからね
。『われわれ室町幕府は天皇と同じよう
な儀式を組み込んだ政権である』ってん
で、それを飾り立てるために陰陽師が使
われたって言う話もあるんですよ。

       【続く】

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