先日、石見銀山の話をしたので、今日は
チョットだけ付けたし。
南蛮の資料を見ると家康って宣教師も驚
く大金持ちだったんです。これは家康が
生まれる直前、石見銀山をはじめ、各地
の銀山から大量の銀が採れたのが大きい
。戦国乱世が天下統一に向かっている時
に外国人が次々と日本にやって来る。
戦国以降の歴史の動きは金銀を見るとか
鉱山とかを見るとスゴクわかるんです。
歴史の裏にお金あり!
三河(名古屋)の家康は甲斐(山梨)の武田
信玄と何度も戦いましたが、一度も勝て
ませんでした。信玄の無類の強さを支え
たのが金。まあ、甲州金。信玄が武功を
たてた家臣にホウビとして与えていたの
がこの金貨。
甲斐の国に湯之奥金山、黒川金山など戦
国髄一の産出量を誇る金山があったんで
すよ。信玄はその軍資金に支えられて何
度も家康を打ち負かしました。
ところが、信長が南蛮貿易から調達した
鉄砲隊で甲斐の武田氏が滅亡。甲斐とそ
この金山は信長のものに。で、信長ウハ
ウハ。でも、そのわずか3か月後に明智
光秀が本能寺の変で信長を倒した。
待ってましたとばかり領主となって、長
年の憧れであった甲斐の国を手に入れた
のが家康。
ところが、明智光秀は豊臣秀吉に討たれ
、秀吉が天下を統一した。家康は秀吉と
今戦っても勝ち目はないので、取りあえ
ず秀吉が死ぬまでは辛抱しようと秀吉の
下についた。家康は秀吉に『小田原攻め
で小田原を取ったら、関東をお前にやる
。その代わり、お前の所領の三河国と甲
斐の国をオレによこせ。悪く思うなよ。
家康!』と言われ泣く泣く、金の出る所
領を手放した。
こうして、三河国と甲斐の国の金山は秀
吉のものに。家康の新たな領地、関東に
は目ぼしい金山がありませんでした。
『今に見ておれ!秀吉。』家康は指を握
りしめながら江戸へ赴任しました。
【続く】