「出遅れた人たち」は、世界がどうなっているか知ろうとする。

レースに途中から参加

 

世界に遅れて登場した人たちは、「世界
ってどうなってんの?」とひたすら知ろ
うとします。

ずっと前から、生まれる前から、その世
界はありますからね。

たとえば100メートル競争。

大人たちは「ヨーイ、ドン」でスタート
します。

ところが、途中で生まれてきた子供たち
、出遅れた子供たちは、途中から100メ
ートル競争に加わります。

とりあえずみんな走っているから、周り
をキョロキョロ見ながら走る。

そのうち、ゴールに向かってみんな走っ
ているんだな、というルールになんとな
く気づく。

そして、大人と一緒にゴールに向かう。

後から生まれた子供たちは、大人のつく
った社会にそうやって入っていきます。

宗教家ではおシャカ様がその「出遅れ」
じゃないかな。

王子様として暮らしていれば別に不自由
なかったのに、「世界はいったいどうな
ってんの?」と知りたくなって、それを
追求していたら自分に戻った。

知りたがるのも欲で、欲なんて早く捨て
た方がいい。
そういう結論になった。

それに対して、イスラム教をつくった
ムハマンドは出遅れではありません。

何しろ、信仰は山をも動かす、という人
ですから。

キリストは知りません。
早く死にすぎた。

でも、どちらかといえば出遅れではない
と思う。

世界を追求するよりも愛で世界を変える
ことを望んだから、そんなことを望むか
ら殺された。

出遅れた人たちは世界がどうなっている
か、まず知ろうとするんです。

 

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