2023年 11月 の投稿一覧

関ヶ原の戦いの西の武将、小川祐忠がワガ祖先?(前半)

関ヶ原の戦い

なぜか身近に感じて気になる戦国時代の
武将がいます。

誰かというと、あまり有名じゃないんで
すが、関ヶ原の戦いの時に石田三成の
西軍についた、小川隊の小川祐忠(すけ
ただ)。その時、松尾山の麓に陣を構え、
小早川秀秋の動きをずっと気にかけてい
ました。

主君は浅井長政→信長→明智光秀→秀吉。
氏族は、滋賀県の近江小川村出身。
この人、ほとんど負け組の人生でした。
彼に代わってお話します。

小川祐忠プロフィール

「しかし参ったなぁ。本当に小早川秀秋
は寝返るのかなぁ。目の前で戦う西軍の
宇喜多勢や大谷勢は善戦している。いや
、善戦どころか西軍有利の展開。友人だ
が東軍についた藤堂が言うには、西軍の
小早川秀秋は東軍に寝返るやもしれぬ。
この関ヶ原の合戦で負けてしまったら、
オレの人生は“負け犬”のままじゃないか

霧が晴れたら、秀秋の眼下には東西陣営が・・

過去を顧みる武将の小川祐忠

 
ああ、思い出してしまった。オレにとっ
ての最初の負け戦さを・・。あれは1570
年『姉川の戦い』だった。浅井長政の
配下にあったオレはあの合戦でも優位に
進めながら、横から徳川家康の野郎が
入ってきたせいで、負け戦になっちまっ
た。その後の信長の野郎に対しての『近
江一向一揆衆の戦い』もオレは結果とし
て降伏して、人質7人も差し出して許さ
れたのよ。その後、明智光秀軍団の一角
にいたが、今度はよりによってあの『本
能寺の変』だ。秀吉との『山崎の戦い
』でも明智勢にいたオレは負け戦を経験
した。なんとか許されて、今度は秀吉の
直臣となったんだが。」

     【続く】

ヒロシのぼっちキャンプ

『ヒロシです。』でブレイクした、キャ
ンプ芸人、ヒロシのぼっちキャンプはこ
んなにふうに始まる。

12月初旬、静岡県富士山麓のキャンプ場
にやって来たヒロシ。ほどよく冬枯れし
た風情のある居場所を見つけ、テントの
設置を済ませると、持参した本を取り出
して読み始める。それは、少年時代に読
みふけって以来、付かず離れず、いつも
ヒロシの傍にあったという愛読書。

冬の森に夕暮れが迫る頃、憧れと人生に
ついて、ヒロシの問わず語りがはじまる
・・・。

ヒロシさん、もともとは仕事のストレス
を発散するためにキャンプしてたんだけ
ど、今はキャンプ自体が仕事になっちゃ
って、逆にストレスが溜まるらしい。

趣味を仕事にすると、全然、楽しくなく
なります。それに、行きたくない場所に
も行かなくちゃならないし、寒いし、
暗いし、ゆっくりできないし、それに
カメラ回ってるから、何かボソボソ言わ
なきゃならねぇ。それに何と言っても、
スタッフさんに気を使わなきゃならない
から、気の休まる暇がない。

ホンネは、森の中じゃなくて『ちゃんと
した家で寝てぇ!』もう、飽きた。
結婚したいし、家庭持ちてぇし、オレ、
もう50(歳)だし・・・。

お気持ち、お察し申し上げます。
くれぐれも、クマに襲われぬよう、お気
をつけ下さい。

『解散なんかしていません、みんな死んじゃったでけで。』

クレージーキャッツ(目立つヤツが真ん中)

昭和のお笑いグループ、クレージーキャ
ッツの最後の砦、犬塚弘さん(享年94歳)
が先日、身まかられた。犬塚さん『お笑
いができない』生真面目な性格。

このグループには強力なリーダーシップ
でメンバーを引っ張ったハナ肇、スーダ
ラ節の「こりゃまた、失礼いたしました
っ!」で一躍メンバーいちの人気者にな
った植木等、『ガチョーン!』のギャグ
の谷啓など、個性豊かなメンバーに囲ま
れながら、犬塚さんはバンドで担当した
ウッドベース同様、しっかり地に足を着
けてテンポを刻むバランサー的な役割。
決して出しゃばったりしない。

犬塚さん、生真面目な役が多かった

まあ、『ドリフターズ』で言えば、
高木ブー。『ビートルズ』で言えば、
リンゴ・スター。犬塚さん、お笑いメン
バーなのに、お笑いが出来なかった。

無責任シリーズ

映画、『無責任シリーズ』好きだったな
あ。高度成長期の雰囲気プンプン。
昭和戦後のニッポン。犬塚さんはウソを
つけない真面目キャラ。まわりが無責任
な連中なので、いつも引っ張り回される
役。

無責任男の役、植木等(運転手)

ワタクシ、自分の親が見ていた風景をこ
の無責任シリーズを通して、味わって
いました。こういうのを見ると、今は亡
き父、母を想い出すんですよ。

で、この犬塚さん、よく言ってたのが
『解散なんかしていません、みんな死ん
じゃっただけで。』

大好きだったんだろうな、クレージー・
キャッツ!

サッカー界の『監督3年周期説』

サッカー界には『監督3年周期説』とい
うのがあります。簡単に言えば、ひとり
のカントクが、ひとつのクラブを率いる
周期は3年が理想ということ。その間に
好成績を残しても、3年を超えて引っ張
ってしまうと、マンネリ化で成績が下が
ってしまう。3年ごとにカントクを入れ
替えて行くのが、長期的にチーム力を高
く保つコツ。そして、カントク側に立っ
ても、高いモチベーションを保ち続けら
れるらしい。

例えば、Jリーグで松本山雅を8年間、
反町監督が率いてきましたが、次の
布啓一郎監督になると、リーグ戦半分
を残して解任。

松本山雅の反町監督

J1のガンバ大阪も10年間、西野監督が
率いましたが、辞めた後、すぐJ2に降格。
デモ、逆パターンもある。

J1ガンバ大阪の西野監督

ミハイロ・ペトロビッチ監督(現コンサ
ドーレ札幌監督)が6年間、サンフレッ
チェ広島を率い、後を受けた森保監督
は就任1年目からJ1連覇。とうとう、
日本代表監督にまで登り詰めました。

日本代表監督にまで登り詰めた森保監督

川崎フロンターレも風間監督が5年チー
ムを率いて、後から引き継いだ九鬼監督
が直後、J1連覇。まあ、こっちの方が
レアケースなのですが・・・。
ひとりの監督の手でひとつの色に染めら
れたチームは別の監督がそのまま継承し
ても、そう簡単に出来るものではありま
せん。

川崎フロンターレの風間監督

 北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・
ペトロビッチ監督(通称ミーシャ)は今季
で6年目を終えました。そしてコンサド
ーレ札幌はJ1残留7年目を果たしまし
た。ワタクシ、コンサドーレをもうかれ
これ20年くらい見ていますが、ミーシ
ャはJ1とJ2を行ったり来たりのエレ
ベーターチームを6年間も残留させたの
ですからスゴイ手腕だと思う。

コンサドーレのミハイロ・ペトロビッチ監督

まあ、Jチーム60チーム中、13~15番目
ですからネ、ミーシャはお金のない中、
よくやってると思う。ジンクスでは長期
政権の後、陥落が待っているということ
ですが、でも、ミーシャの後を引き継い
だ森保監督はJ1を連覇して、日本代表
監督にまで登り詰めました。

さあ、ここはフロントの腕の見せ所。
伸るか反るかの大博打。

『どうする、フロント?』

 

 

名医とヤブ医者はどう違う?


資格を持たないが名医のブラック
ジャック

「なんとめでたいご臨終」の著者で訪問
医の小笠原文雄先生が、以前こんなこと
を言っていました。

研修医1年の時、上司に「小笠原、名医
とヤブ医者はどう違うか言ってみろ!」
と謎かけをされた。

そこで小笠原先生は「診断を間違えたり
診断は正しくても治療が下手なのがヤブ
きちんと診断し、きちんと治療し、心の
ケアをするのが名医」と答えた。

小笠原文雄先生

すると上司に「アホか、お前は!」と怒
鳴られた。上司はこう言いました。
「確かにヤブはお前の言うとおりだ。
しかし、お前の言う名医は並の医者でし
かない。ホントの名医はその後何が起こ
るか読む。先まで読んで、こういう症状
が出たらこういう処置をするようにと、
前もって看護師に指示を出し、治療計画
を立てておく。たくさんの症例を経験し
医師としてのスキルが身についていれば
将来どんな事が起こりうるのかワカルの
だ」熟練の医師になればなるほど忙しく
ない、というのを初めて知ったというこ
とです。

名医はどんな事が起こり得るか予想出来る

ホントそうだと思う。
ワタクシ、名医でも何でもないただの街
の歯医者ですが、若い頃は確かに忙しそ
うにバタバタしていましたが、いろんな
臨床経験を積んでくると、チョットは予
後がある程度予測できるため、先回りで
きるようになったような気がします。

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