明治34年の古地図を見てたらわかった!

まるやまファミリー歯科付近の地形が昔どうなっていたのかを知りたくて、明治34年の古地図を見ていたら、いろんなことがわかりました。

以前から不思議に思っていましたが、北1条通りが西20丁目~25丁目にかけて、道路が斜めになっています。

これは、1条西20丁目交差点のところに今サンクスがありますが、明治の頃はここから札幌競馬場に向かって川が流れていたので、札幌側の北1条通りはここで行き止まりだったのデス。

西25丁目にある円山小学校付近は昔は円山村(藻岩村)だったので、東西に勝手に通りができていました。

西20丁目も西25丁目もどちらも今は北1条通りなのですが、西25丁目の北1条通りは西20丁目よりも50m北に位置していたので、それを線で結ぶと自然と道は斜めになる。

つまり、ブラタモリ見ててわかったのですが、西20丁目の札幌村と西25丁目の円山村を合わせたら微妙に道のラインがズレるので、それを補正するために西20~25丁目が斜めになったのです。

これはおそらく正しいと思う。

興奮して今夜は眠れそうにありません。

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