【続きです】
1970年代にインドは新たなパートナーを
見つけました。それがソ連。中国とイン
ドという対立の中でソ連に助けて貰おう
と言うもくろみ。
当時、米とソは対立中(冷戦)。中国が米
にくっついたので、え~?っと言うこと
で余計、ソ連はインドとくっついた。
インドとソ連がくっついた
ところが、1991年、ソ連が崩壊するんで
すよ。インドはソ連が無くなったことで
アメリカに対抗する仲間を失いました。
それで、ルックイースト政策として韓国
・日本に接近。中国以外であればよかっ
たかな・・・と。
ソ連崩壊・倒れるレーニン像
90年代、インドは生まれ変わる。インドは1950年~80年代まで低迷。国を閉じていた。外資も入れなかった。インドは民主政治だったんだけど、政治的には社会主義政策でした。1991年、湾岸戦争で、出稼ぎがダメになるわ、石油が高騰するわ、そんな中で、マン・モハン・シンが財務大臣になると、中国の鄧小平が改革したのに遅れて、シン外務大臣は規制撤廃・外資参入OK!改革開放をやった。その結果、90年代に成長が始まるんですよ。そして、90年代に核を保有しちゃった。
シン外務大臣は全方位外交を展開した
インドはアメリカ・日本と仲良くなる外交
もちろん、最初はアメリカが黙っちゃい
ません。アメリカがインドに経済制裁を
食らわすんですよ。ところがインドは
『アメリカはん、言うてますけど、中国
がうちに攻めて来たんや。中国は核保有
国ですよ。そんな中国に、ああた、ワレ
ワレ60年代に攻め込まれていますのや。
中国に攻め込まれないためには、核を持
つしかないでしょうが。戦勝国だけが核
を持つのって、おかしくねえ?非常任理
事国に差別でしょうが。そんなの、ホン
トの平和条約じゃねえ。』そう言って、
核実験やって、核持っちゃうんですよ。
インド核実験に成功
アメリカ、何も言えねえ。
さて、時は過ぎてアメリカ一時代に入り
アメリカは軍事的にコワイことはない。
で、商売のことを考え始めた。
2000年代、アメリカはインドに『核保
有する代わりに、原発売らせて貰えない
か?』と近ずいたんですよ。もしこれが
実現すれば、インド、人口多いし、アメ
リカぼろ儲け。
インドの原発?
ところが、そうは問屋が卸さない。
インドは法律の作り方がチョット違いま
して、『原子力発電所が事故を起こして
しまったら、賠償をどこがするか?
電力会社だけじゃなくて、メーカーも賠
償する。つまり、インドでアメリカ製の
原発が事故を起こしたら、アメリカも賠
償する。』で、アメリカはインドに手出
しできなくなっちゃった。
アメリカは怖くなってインドに手を出せない
アメリカはインドのマーケットに入るの
が怖くなったので、ここぞとばかりに原
発を推進したのはロシア。だから、イン
ドとロシアの結びつきは武器だけじゃな
くて、石油というエネルギー、原発でも
結びついているんです。
インドはロシアと仲良くする外交
インドは中国と仲良くする外交
インドはアメリカを利用し、あるときは
ロシアを利用し、うまくバランスをと
って今がある。つまり、全方位外交。
インドは現在、モディ首相が改革して
伸びています。
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