最新情報

アパートの裏の小径が石見(いわみ)銀山街道だった

石見銀山街道、馬がやっとすれ違えるほどの狭い小径です

ワタクシ、広島の実家を時々、ネットの
衛星画像で空から見ています。先日、1
つ驚いたことがありました。今は亡き父
(小川忠志)が実家の近くに小ぶりのアパ
ートを持っておりまして、ワタクシ、少
年オガワは小さい頃、お手伝いによく連れ
ていって貰いました。

で、久しぶりにそのアパートどこだっけ
なあ?と探していたら、ありました、あ
りました。よく見ると、アパートの裏の
ショボい道に『石見銀山街道』って書い
てあるじゃないですか。

『石見銀山街道』と書いてある

『えっ?あのショボい小径が石見銀山街
道の一部なの?・・・そうなの?』

『えっ?あのショボい小径が石見銀山街道?』

と、目が点になり、ホントかどうか、
石見まで続いているかどうか、念のため
衛星画像で追って行きました。すると、
確かに石見地方まで繋がっていた。

石見銀山街道(笠岡道)・実家、府中を通る

スゲー、南蛮貿易の頃、日本の歴史によ
く出てきた石見銀山じゃ!こんな小っち
ゃい事でも、高校生の頃から関心を持っ
ていたなら、もっともっと、日本の歴史
に興味を持っていたに違いない。時代小
説の水戸黄門にも登場する。

水戸黄門の石見銀山の話(第38部・第3話)

でも、よく考えてみたら、少年オガワは
オッサンみたいにそんな古臭いことに興
味を持つはずがない。もし持ってたら、
元歴史大好き少年、磯田道史氏に近ずけ
たかもしれない。彼はお隣の岡山県で少
時代を過ごした。

山の方に向かう石見銀山街道

ところで、石見銀山って何か?っていう
と昔、昔の16世紀、鉄砲がポルトガル人
によって、種子島に伝来されたと、歴史
の教科書に書いてあります。その時たま
たま、鉄砲が伝来したと思われています
が、実はそうじゃないんです。日本に偶
然持ち込まれたと思われてきた鉄砲は日
本の銀を手に入れる為の商品。その頃日
本で一番たくさん銀が発掘されたのが石
見銀山。

スペイン人ザビエルもポルトガルに遅れて来た

ポルトガルの商人達は火薬や弾の原料の
鉛や硝石を日本に持ち込み、代わりに日
本の銀を持ち帰ったんです。まあ、これ
が南蛮貿易の始まり。

これがポルトガル人によって日本に鉄砲
が伝来した本当の理由。

金山、銀山の奪い合いを中心に戦国時代
の覇権を考えると、実はわかりやすいん
ですよ。近いうちにブログに書いてみよ
うかな。

 

 

ミクロの毛が生えたら細胞分裂が止まった

波平さんの毛

 

毛、と聞いてまず思い出すのは、
髪の毛などのよく見える毛。
でも、目に見えない毛もあるんです。

以前、BSの『ヒューマニエンス』
という番組を見ていたら、ミクロの毛
(一次せん毛)が生えたら、細胞分裂が
止まるんだよ、と誰かが言っていた。
ちょっと詳しく言うとこうだ。

細胞分裂するとき、中心体と言うんです
けどこの中心体が染色体を引っ張って
来て、そのあと分裂して
この中心体はどこに行くかというと
消えて、細胞はもう分裂しなくなった。

これが毛の根元になって毛を
生やすんです。
中心体がなくなったら毛が生えた。
つまり、細胞分裂の始まりは
中心体が分かれて染色体を引っ張ること
から始まる。

 

 

中心体が消えると毛が生える

 

実は、この中心体こそ一次せん毛の
根っこ。分裂が終わると一次せん毛が
生えて来てそれ以上の分裂を抑制する
のだ。

もし、この毛が生えて来なければ
分裂は限りなく続き、
ガン細胞になってゆく。こりゃあ、
大変だ。
毛が生えて分裂を止めなければ。

未来の教科書

で、ちょっと調べてみた。
小、中、高の教科書には細胞の模式図に
一次せん毛がまだ、載っておりません
でした。もちろん、ワタクシも昔の生物
の教科書の細胞の絵に毛が生えている
のを見たことありません。

でも、こんな大発見、
きっと未来の教科書には載ると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「熱伝導」をさつまいもを煮る授業で体験させた伝説の教師

空気の温度差が気流を生み、風になる

大正時代の話なんですけど、ある公立
学校に伝説の天才教師がいました。それ
が、旧明石女子師範学校附属小学校(現
神戸大学付属小学校)の及川平治先生。

及川平治先生

例えば、小学5年生の「熱」という単元。
フツーは教科書に基づいて金属球やアル
コールランプなどの実験器具を使って
授業を行うのですが、コノ先生、それを
大胆にアレンジ。

「今日は皆さんにサツマイモを煮てごち
そうする。食べる気にばかりならないで
、イモを煮る順序と仕方を研究せねばな
らんよ」。

『今日は熱の話だよ。』

なんと及川先生、特別な実験器具を使わ
ずに、さつまいもでこの単元の授業を行
ったのデス。

まずは生徒たちにカマドに火を起こさせ
、部屋を暖めさせる。

カマドに火を起こさせ、部屋を暖める。

「部屋の戸を開けてごらん。空気はどち
らから流れてくる?」
児童、「外から冷たい空気が入ってきた
ぁ~」。
先生は内と外の空気の温度差が気流を
生み、風を起こすのだと、自然の仕組み
を室内で再現してみせたのです。

内と外の温度差が気流を生み、風を起こす。

そしてイモが煮えてくると、子どもたち
にカマドの口を閉じさせ、火が消えるの
を確かめさせる。
燃焼には空気が必要だと、カマドを通じ
て学ばせた。

そして、「あぁ、熱い!熱い!」
「さぁ、そのおイモの熱はどこから来た
のかな?」
「う~ん、おイモの熱はお湯からきてい
て、そのお湯はナベで暖められたもの。
そうか!カマドの火から熱は伝わってき
たんだ!」
「そう、それが熱の伝導というものなん
だ」。

カマドの火から熱が伝わって来た。それが熱の伝導というものだ。

この先生、イモを煮るという体験を通し
て、風の流れや燃焼、熱伝導といった
科学の基本原理を学習できると考えたん
です。

遠い昔、ワタクシが習った先生で、例え
ば「これは鉄だ。だから重い。重いから
持ち上げにくいのだ」っていう風に教え
る教師がいましたが、多分これは教え方
が悪い。

これは鉄で持ち上げにくいね。これをヒトは重い、と言うんだよ。

及川先生ならきっと、「これは鉄で、
持ち上げにくいネ。これを人は重いって
言うんだよ」と言うはず。

人は概念に出会って言葉をつけるのだ。

『立春大吉』と書いた紙を、玄関の内側に貼った

我が家の玄関の中(うちの奥さんの自筆)

節分も終わって、暦の上で春がやって来
ました。ここから新しい1年が始まりま
す。うちの奥さんが『立春大吉』と書い
た紙を玄関の内側に貼っていた。聞くと
、立春の日に、『立春大吉』と書いた紙
を玄関の内側に貼ると、良い1年になる
と言う。友人の家でやってたらしい。
それをマネた。

鬼は家の中に入ったのに、勘違いして出て行く

縦に書いた『立春大吉』と言う字は左右
対称なので、表から見てもウラから見て
も『立春大吉』と読める。鬼が玄関に立
春大吉のお札が貼ってある家に入りまし
た。ふと振り返ると、同じように立春大
吉と書いてあるお札が目に入りました。
(ウラから見ている)『あれ?オレ、まだ
家の中に入ってなかったっけ?』と勘違
いをして、家の中から外へ出て行きまし
た。つまり、鬼はせっかく家の中に入っ
たにもかかわらず、Uターンして出て行
っちゃった。

ウラ側から透かして見ても『立春大吉』

話は戻って、『字、うまいじゃん!』と
褒めると、彼女は書道3段なので、高校
生にも教えることが出来るのよ、と言っ
ていた。

(イメージ)

ところで、その人の気持ちが運を変える
と言います。節分も過ぎたことだし、明
るく笑えばいい。笑いは運を呼び込みま
す。笑顔は奇跡を呼び込み、笑顔でいる
と運気が良くなります。暗い顔をしてい
るヤツの所には誰も近ずかないし、だい
いち一緒にいてもちっとも楽しくない。

悲しみや辛さはいつまでもベットリとそ
の人について回ります。でも、そんなも
んだと思っていれば、何時までたっても
、新しい春はやってこない。ワタクシも
心を入れ替えてニコニコしよう。

笑いは運を呼び込む

せめて、お笑い番組でも見て、ゲラゲラ
笑わせて頂こう。面白かったことを想い
出して笑うのもイイ。『笑う門には福来
たる』と言うではないか。

昔、天のお星さまになった、うち奥さん
のバアさんが言っていたスゴイ一言が忘
れられない。
『暗い女は捨てられる!』

『下顎呼吸』『息を吸って亡くなる』『息を引き取る』

下顎呼吸ってのがあります。亡くなる直
前に見られる呼吸なんですが、『何か、
おじいちゃん、言いたがってるよ。』
『きっと、こういうことを言いたかった
に違いない。』と亡くなったあと、看取
った人達は皆、ああだ、こうだと言いま
す。でも、この現象を穏やかな状態だと
言う専門家もいるんですよ。

脳内麻薬と呼ばれる物質があって、コレ
自分たちにストレスがかかった時、エン
ドロフィンが出ることが分かっているん
です。

脳内麻薬の1つ、エンドロフィンは苦しみや痛みなどを感じた時に分泌される神経伝達物質。まあ、モルヒネと同じような作用です。さらにエンドロフィンは血液中に酸素が不足した時にも分泌量が増えるんです。

まあ、マラソンで長く走り続けていると
、酸素が不足気味になって、気分が高ま
って来る『ランナーズハイ』もエンドロ
フィンが出てくるからと言われますが、
そのエンドロフィン。

酸素不足でエンドロフィンがドバッーと出る

最期の時は下顎呼吸になりますけど、そ
の時には呼吸と言ってもほとんど機能し
てない呼吸なので、その時には血液中の
酸素濃度はほとんど落ちて、脳内麻薬の
エンドロフィンが大量にドバァーと出て
来るので、穏やかな気持ちでいられるん
じゃないかと。

かくして、下顎呼吸は無呼吸になりまし
て、パクパクと、はあ・・と言って亡く
なるんですよ。『あの時、おじいちゃん
は何を言い残したかったんだろう?』と
残された人達は胸に手をあてて考える。

酸素濃度が低くなるとエンドロフィンが大量にドバァーと出る(オガワメモ)

吐いて終わりじゃなくて、吸って終わり
と仏教でよく言われます。
『吐いて生まれて、吸って終わる』『息
を引き取る』って言葉がありますが、
まさにその通り。

ワタクシも人が亡くなる直前にはエンド
ロフィンが大量にドバァーと出るのを知
らなかったので、父ちゃんが亡くなる時
苦しそうで可哀そうだなと思っていまし
た。

『あとはオレに任せてくれよ。』

看取る側が『苦しく亡くなったんだ。』
と思うんじゃなくて、この話を知ってい
れば『父ちゃんは皆が来てくれて幸せだ
ったんだ。行ってらっしゃい。あとは何
も心配せずにオレに任せてくれよ。』と
送り出したに違いありせん。

 

渡辺さんちは『鬼は~外』の豆まきをしなくてイイ

渡辺さんちは、豆まきしない

円山テニスクラブで雑談している時に、
隣のヤツが『オレの友達で変わってる
ヤツがいるんや。節分でも豆まきしない
って言うのよ。な、変やろ。そいつ、
渡辺って言うんやけどな。』と言ってた
。『知らん。』『何それ?』『怖わっ!』

豆まきしなくてイイと言われているのが
『渡辺さん』。実は、平安時代、『望月
の歌』で有名な藤原道長の頃の話で
『大江山の鬼退治』って言う伝説がある
んですよ。

渡辺綱らが酒吞童子を仕留める

どんなのかと言うと、京都福知山の大江
山を拠点とする鬼、酒吞童子(しゅてんど
うじ)が多くの鬼達を従えて都を荒らし回
っていた。そこで、道長の家臣の源頼光
(らいこう)が『頼光四天王』(渡辺綱、
坂田金時、卜部、碓井)らを連れて鬼退
治に行き、見事、酒吞童子を仕留めたっ
て言う伝説。

でも本当はネ、頼光って関白道長にいろ
んなプレゼントを贈って、冠位をチョッ
トずつ上げた軍事貴族としては有名なん
だけど、武芸で活躍したっていう記録は
どこにも残ってないんですよ。

関白・藤原道長。頼光は賄賂を贈って出世した

後に書かれた『平家物語』に、頼光のあ
る子孫が天皇を亡霊から救ったって書い
てあります。
源頼光にはどの様な武勇伝があるんだ?
って訊かれたんですが、うちの御先祖の
頼光様はプレゼント作戦で出世した、っ
ていうのでは恥ずかしい。天皇もブラン
ドに護衛してもらったという事にした方
が拍が付く。

ここはひとつ、御先祖様の源頼光は、武
芸は大した事ないけど、大した事にして
酒吞童子をやっつけたとか、土蜘蛛をや
っつけたっていう武勇伝をひとつ作って
おこう、と考えたんじゃないかな。そし
たらお互いウィン・ウィンだし。まあ、
あくまでも伝説、と歴史家の磯田さんは
言っておりました。

頼光四天王・土蜘蛛をやっつける

話は戻って、後日、酒吞童子の手下の鬼
どもが渡辺綱らに仕返しをしようとした
んだけど、返り討ちにあい、腕を切り落
とされちゃった。それ以来、鬼達は渡辺
一門を恐れるようになり、渡辺姓の子孫
にも近ずかなくなったと言われています

だから、渡辺一門には鬼が来ない。
だから、『鬼は外!』をしなくてイイ。

坂田金太郎

渡辺さん同様、坂田さんにも鬼が近ずか
ないので、豆まきをしなくてイイそうで
す。『頼光四天王』の一人、坂田金時は
幼名を『金太郎』と言って、猿とキジと
犬を連れて、鬼ヶ島に鬼退治をしたとい
う伝説がありますもんね。いや、あれは
桃太郎か!間違えました。失礼、失礼。
いずれにしても、鬼は坂田一門も苦手。

ちなみに、名字に『鬼』のつく鬼塚さん
鬼頭さん、九鬼さんなどの家は『鬼は外
!』とは言いません。言うと自分たちを
追い出してしまうので。『鬼は内!』
『鬼も内!』『福は内!』と言うらしい。

今度、患者の渡辺さんが来られた時に訊
いてみよう。『節分の日に、豆まきしま
すか?』って。

後日、勇気を出して渡辺さんに訊いてみ
た。すると、バッサリ、
『豆まきするよ!父ちゃんも、母ちゃん
も爺さんもバアさんも、昔から豆まきや
ってた!先生しないの?』
『・・・・・・・・』

訊く相手を間違えた。

(少し話を盛ってあるところがあります)

インフルエンザが侍なら、新型コロナは忍者

『コロナはもう風邪と変わんない』と誤
解している人が多いと思います。確かに
患者数はインフルエンザの方が多いです
が、死者はコロナの方が数倍以上なんで
すよ。だから、新型コロナは『感染して
はいけない病気』

やはり最も効果的な対策はワクチン。今
冬、インフルエンザが猛威を振るってい
ます。それに比べれば、コロナは・・・
と思ってしまうかもしれませんが、これ
は大間違い。だいたい、インフルエンザ
とコロナは感染の仕方が違うんですよ。

インフルエンザは切れ味の鋭い刀を持った侍

まあ、肺の表面を焼き尽くすインフルエ
ンザウイルスを切れ味の鋭い刀を持った
侍だとすれば、気が付かない間に毛細血
管から入り込み床下に潜み込むように広
がって行くコロナは忍者だ。

コロナは気が付かない間に毛細血管から入り込み床下に潜む忍者

更に言えば、地面を焼き尽くすのがイン
フルエンザ。ゲリラ豪雨のように地下の
下水道やマンホールを水浸しにしてしま
うのがコロナ。

地面を焼き尽くすのがインフルエンザ

コロナはゲリラ豪雨のように地下の下水道やマンホールを水浸しにしてしまう。

肺炎を起こせば、肺の中に水が溜まり、
溺れてしまうのだ。

こんな目に会いたくなければ、ワクチン
なのかなあと思う。

 

チビスケの安否の情報が、意外な所から入って来た!

 

半年前から一人暮らしをしておる。

うちのチビスケは、7月から家を出て一
人暮らしをしておる。初めての一人暮ら
しなので、何から何まで初めてずくし。

この前のお正月、チビスケが半年ぶりに
家に帰って来た。ヤセこけていた。ちゃ
んと食べてる?ちゃんと大学行ってる?
情報が何もないもんだからチビスケの母
親が機関銃のごとく次から次へと訊いて
くる。『ああ』とか『まあ』とチビスケ
相変わらず必要最小限の返事だ。その日
は栄養をたっぷり摂らせ、大学付近の自
分の巣に帰らせた。

『食った、食った、ゲップ!』たっぷり食わせ、自分の巣に帰らせた。

で、ここからが本題です。

2,3週間して、『メール』や『ライン』
でおチビにウチの奥さんが連絡をしたの
ですが、何日経っても、ウンともスンと
も、一向に返事が来ない。それどころか
『未読』のマーク付き。気ずいてもいな
いようだ。

チビスケに張り切ってメールした.『今日は返事来るかな?』

うちの○○ちゃん、生きているのか?大
丈夫か?ちゃんと息しているのか?行方
不明ってことはないよね!とワタクシに
しきりに訊いて来る。

ワタクシ『わからん!』

待てど暮らせど返事が来ない

ある日、予期せぬ所から、うちのチビス
ケの情報が入って来た。こんな事ってあ
るんですね。ビックリしました。

たまたま月曜日の朝、うちの奥さんが新
聞(道新)を読んでいたらしいんですよ。
で、うちの奥さん、何を見たのか、嬉し
そうに、ワタクシに『ライン』を送っ
てくれたんですよ。何て書いてあったと
思います?

嬉しそうにラインを送って来た。

『○○ちゃん、元気にしているみたいよ。』

『何でわかるの?』

『新聞に載ってたから。』

『新聞に?・・・何それ?・・怖わっ!』

それがこの記事。

2位がチビスケさん(H大1年)と言う記事が載っていた。

日曜日(前日)の『道新杯全道学生将棋』
でうちのチビスケが2位になったと載っ
ていた。何てヤツだ!公共の媒体を使っ
て、安否を知らせるなんて!

『でも良かった、生きていたんだ!』
そこで、うちの奥さん、張り切ってチ
ビスケにメールしたんですよ。

『全道で2位になったんだってね、
おめでとう!』ってね。

ところが、待てど暮らせど、いまだに
返事が来ないんですよ。

水戸黄門は『徳川家康』の孫だからスゴイ。

江戸幕府初代将軍・徳川家康

山岡荘八の『徳川家康』は昭和25年~
昭和42年まで20年近くかかって書か
れました。そして、40年くらい前に
NHK大河ドラマ『徳川家康』にもなり
ました。

山岡荘八の『徳川家康』全26巻。彼の作品ほど家康のことを絶賛して描いている作品はない。この作品を読めば、誰だって家康のファンになるはずだ。ワタクシもなった。

最初から最後まで生きている人はたった
一人。しかも脇役『天海』という正体不
明の謎の坊さん。一回目に出て来て、家
康の葬式(75歳)まで立ち会うわけです
よ。伝説によると、107歳まで生きたら
しい。まあ、家康の第6子、結城忠輝は
92歳まで生きたから有り得るか。

天海は家康を小さい頃から知っており、75歳で逝った家康の葬儀にも立ち会った。

で、思うのが、当時でも世論の支持がな
いと、天下国家は取れないのではないか
と。自分の方に風が吹いてくるまで待っ
ていたのでは?
信長がいる時に信長、秀吉がいる時には
秀吉ということで、待たざるを得なかっ
た。だから最後、豊臣家の処分(大坂夏
の陣)は自分も歳だし、焦ったのかなあ。

大坂夏の陣で家康は豊臣家を滅ぼした

家康は亡くなった後は、秀吉が天明神に
なっている向こうを張って、権現になっ
た。遺体を久能山から日光へ持って行っ
た。日光に行って、大権現になった。
大明神の秀吉と大権現の家康はあっちの
世界でも争っているのか。子孫たちの思
いが強かったのかなあ。『神君家康公』
ですからねえ。

家康(大権現)・秀吉(大明神)

ワタクシの父親が若かった頃、昭和20年
代の話ですが、その頃日本は戦争に負け
、独立前で、アメリカ、ソ連に挟まれて
いて、日本の国はこれからどうなるんだ
ろう?と父は日本の国の先行きを心配し
ておりました。

敗戦国日本はアメリカかロシアのどちらかに支配される予定だった。結果的に戦後7年間、アメリカの支配下だった。

今考えると、それは何か三河の国の運命
に似ているような気がするんです。
織田(アメリカ)と今川(ソ連)に挟まれて
三河(日本)は緩衝地帯になっていた。
今思えば、民主主義のアメリカと同盟を
結んでよかったなあと勝手に思うんです
よ。

家康の三河は織田と今川に挟まれていた。

ところで、テレビで『水戸黄門』の再放
送を毎日やっていますが、水戸光圀が何
であんなに偉いのかわかりました。確か
に天下の副将軍だから偉い?いやいや、
ワタクシ、気がついたんですよ。

水戸光圀は実は徳川家康の孫。初代・東野英治郎の黄門様『かっ、かっ、かっ!』と笑う。

答え『水戸光圀は徳川家康の孫だから』
水戸光圀の頃の将軍は5代将軍綱吉。
水戸光圀の父、頼房は家康が御歳70歳く
らいの時に生まれた子供。フツーは孫の
子の曽孫(そうそん)、あるいは孫の孫の
玄孫(やしゃご)ですよ。家康が駿府で
息を引き取る時、天海をはじめ、主な重
臣、家族が集まった。そこに5,6歳くら
いの子供がいました。それが水戸光圀の
父、頼房。そこには37歳のお兄ちゃんで
将軍の座から退いた、元2代将軍・徳川
秀忠が同席していました。

 

水戸黄門(光圀)は徳川家康の孫。

『ぼくのおじいちゃん、明治天皇』だっ
て言ったら、ビックリするでしょ。当時
『おじいちゃんが家康』ってのはビック
リするほど凄いことなんです。
孫、孫の子供、孫の孫が同席していたら
そりゃあ、孫が一番偉いワケですよ。

ワタクシが9歳の夏、TBSテレビで
『水戸黄門』の第1話が放送されました
が、うちの、今は亡き父が必ず見るもん
だから、ワタクシも横に座って見ていま
した。

今は亡き父と一緒に『水戸光圀』を見ていた。

毎週月曜日のよる8時から始まり、8時
45分頃になると、『そろそろかな?』と
皆んな期待し始める。助さんが懐から印
籠(いんろう)を出し、こう言い始める。

『ええい!この紋所が目に入らぬか!ここにおわすは天下の副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ!ええい、頭(ず)が高い、控えおろう!』

『ええい、控えおろう!この紋所が目に
入らぬか!ここにおわすをどなたと心得
える?怖れ多くも天下の副将軍、水戸光
圀公に在らせられるぞ!ええい、頭(ず)
が高い、控えおろう!』

これを見て、日本全国の視聴者の皆さん
スッキリして、気持ちよく火曜日の朝を
迎えたんですよ。

代替わりの時が一番危険な瞬間

4月は年度替わりで、会社でも学校でも
トップの交替がよくあります。天皇も時
々、入れ替わります。令和の天皇の即位
は譲位でした。譲位って前の天皇が生き
ているうちに位を譲るっていうヤツ。

基本は天皇が崩御し亡くなる。で、新し
い天皇を用意する。それで位が替わって
いくってのがフツーでした。

初心者の天皇は不安定

でも『譲位』というシステムを創った。
なぜ必要だったか?『代替わり』は一番
危険な瞬間なんです。だって、誰が王様
かわからないから、どこに権力があるか
分からないし、そんでもって『代替わ
り』の時によく謀反が起きています。
だから譲位してしまえば、その関係が
ズルズルと続いて行くので、グッと安定
感が増すんですよ。

なるほど、将軍・徳川家康がまだ元気な
うちに息子秀忠に将軍職を譲った訳がわ
かった。あの頃は関ケ原の戦いの後で、
家康に恨みを持っていた残党の浪人連中
がたくさん生き残っていて、仙台には伊
達政宗もいて、『あわよくば徳川将軍家
をやっつけよう。』と企んでいました。
いつ謀反を起こすかわかったもんじゃ
ありません。

いつ謀反を起こすかわかりません

家康が駿府から睨みを利かせていれば、
将軍家(普通人の秀忠)もグッと安定感が
増します。

勉強になるなあ。

ブログ一覧