関ヶ原の戦いの西の武将、小川祐忠がワガ祖先?(前半)

関ヶ原の戦い

なぜか身近に感じて気になる戦国時代の
武将がいます。

誰かというと、あまり有名じゃないんで
すが、関ヶ原の戦いの時に石田三成の
西軍についた、小川隊の小川祐忠(すけ
ただ)。その時、松尾山の麓に陣を構え、
小早川秀秋の動きをずっと気にかけてい
ました。

主君は浅井長政→信長→明智光秀→秀吉。
氏族は、滋賀県の近江小川村出身。
この人、ほとんど負け組の人生でした。
彼に代わってお話します。

小川祐忠プロフィール

「しかし参ったなぁ。本当に小早川秀秋
は寝返るのかなぁ。目の前で戦う西軍の
宇喜多勢や大谷勢は善戦している。いや
、善戦どころか西軍有利の展開。友人だ
が東軍についた藤堂が言うには、西軍の
小早川秀秋は東軍に寝返るやもしれぬ。
この関ヶ原の合戦で負けてしまったら、
オレの人生は“負け犬”のままじゃないか

霧が晴れたら、秀秋の眼下には東西陣営が・・

過去を顧みる武将の小川祐忠

 
ああ、思い出してしまった。オレにとっ
ての最初の負け戦さを・・。あれは1570
年『姉川の戦い』だった。浅井長政の
配下にあったオレはあの合戦でも優位に
進めながら、横から徳川家康の野郎が
入ってきたせいで、負け戦になっちまっ
た。その後の信長の野郎に対しての『近
江一向一揆衆の戦い』もオレは結果とし
て降伏して、人質7人も差し出して許さ
れたのよ。その後、明智光秀軍団の一角
にいたが、今度はよりによってあの『本
能寺の変』だ。秀吉との『山崎の戦い
』でも明智勢にいたオレは負け戦を経験
した。なんとか許されて、今度は秀吉の
直臣となったんだが。」

     【続く】

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