「名前?ボクはA328でかまわないよ」

命名 一郎

 

以前、解剖の先生が、切っているところ
をみんなに見せて、「何をしていると思
う?」と問うたところ、皆さん「・・・
?」。

しょうがないから先生、「名前をつけて
んだよ」って。

なるほど。

日時というのは切れ目がないから、1月
、2月といった風に区切ります。

朝鮮半島だって中に線を引いて、「こっ
ちは北朝鮮、こっちは大韓民国ね」と
名前がついた。

名前をつけることは切れ目を入れること。

そういう区切りには何段階もあって、
「生物」→「動物」→「ほ乳類」→
「犬」→「チビ」
と何段階も区切って、どんどん小さなグ
ループに分けていく。

だから名前(=固有名詞)がこういう分
類の最後の区切り。

まぁ、最末端の分類語がチビという固有
名詞。

で、この最末端の分類語だけが人が自由
に選ぶことができて、そして思いを込め
ることができる。

そういうシステム。

まぁ、「ほ乳類」とか「犬」という語に
思いを込めることはできませんからねぇ。

小さくてカワイイから、「チビ」。
これなら思いを込めることがデキル。

昔、予備校に通っていた頃、友人と、
人と名前について議論したことがありま
した。

この頃はワタクシも多感な時期でして、
いろんなことを考えていた。

「名前って単なる分類語なんだから、
小川一番、二番、三番で十分なんじゃね
ぇ?」とワタクシが言うと、友人は
「ボクはそれさえ必要ないなぁ。A328
でかまわないよ。図書館の本みたいだけ
ど」。

そう言ってニヤリと笑う彼を見て、
「あ、負けた」と素直に思いました。

こだわるべきことは名前ではなくて、ヒ
トの在り方そのもの。

そう考えたら、名前は区別できればいい
のかなぁと。

予備校だから、成績上位の生徒の名前を
見たら、「一郎」「太郎」「明子」「和
子」とか、まぁありふれた名前ばかり。

本質がわかっている親は「フツウ」に
読める名前をつけるのか。

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