
同じものを見てても、彼は違う世界を見ていた
人は皆、自分の見えている世界の中で生
きています。けれど、その世界は自分が
思っているよりもずっと小さいんです。
勉強するというのは、まだ見ぬ世界の扉
を開けていくこと。

世界の扉を開ける本
歴史を知れば、今の社会の形がわかりま
す。数学を学べば、世界の仕組みの美し
さに気ずきます。言葉を学べば、人の気
持ちに近ずけます。それは点と点が線で
繋がるような体験。そして、気ずくんで
すよ。自分の知らなかった世界がこんな
にあったんだって。

知らない世界
想像を超えた世界が広がっていることを
知った時、それは人生を豊かにしてくれ
ます。勉強していない人間に限って、
「勉強なんかしたってイミねえ!」と言
います。そうじゃないのにネ。ああ、も
ったいない。世界は誰にとっても同じに
見えるわけではありません。世界は見よ
うとしない人には見えないのです。

「勉強なんかしたって意味ありましぇーん!」
ピントの合わない人生の中で、一冊の本
が、一つの言葉が、たった一人との会話
が、焦点を合わせるきっかけになること
があります。そんな体験が世界の解像度
を上げることがあるんですよ。

一冊の本、一つの言葉、たった一人との会話が世界の解像度を上げることがある。
ワタクシにもそんな体験がありました。
もうだいぶ前の話ですが、予備校の寮に
いた頃、ある物理の問題を微分・積分で
解いているヤツがいて、「微積で解ける
んだ、おめ~、スゲーな!」と言ったと
ころ、

「高校2年の時から大学の教科書を読ん
でいたから解けるんだ。ケンさん!(私
は当時、みんなより年上だったこともあ
り、こう呼ばれていました。)、微積使っ
てないの?」とフツーに返して来る。
さも当然だといわんばかりに。これが超
進学校の本当にデキル生徒の実態です。

「微積使って解いてないの?」
こういうヤツと同じ空間にいて、ワタク
シはショックを受けたんですよ。それと
同時にそのことが嬉しかった。フツーに
生活していれば決して出会うことのなか
ったであろう男と、感受性の強い20代の
頃、京都の駿台寮でたまたま出会ったん
ですよ。こんな体験がワタクシを変えま
した。目指す方向は違いましたけど。

彼みたいな男はその寮の中にゴロゴロい
ました。生物が好きなヤツ、数学が好き
なヤツ、クラシックが好きなヤツ、漱石
が好きなヤツ、将棋が好きなヤツ、虫が
好きなヤツ、鉄道が好きなヤツ、星が好
きなヤツ、変わったのでは、古文書を探
して読むのが好きなヤツ・・・。まあ、
飯よりもそっちの方が好きなヤツラです
よ。そいう連中と交わっていくうちにワ
タクシは想像を超えた世界が自分の中に
広がっていくことに気ずいたんです。

彼はその後、当然のように京大理学部に
進学し、今は教授になって、元気にトポ
ロジー(例えば、コーヒーカップとドーナ
ツの本質は同じだという観念)に関する研
究をしているようです。まあ、いわゆる
大好きな物理学者になったわけです。
時々ネットで彼の活躍を追うんですよ。
今日も世の中の役に立つ研究をしている
なあってネ。

大好きな物理学者になっていた。
ほんの短い期間ではありましたが、そん
な連中と話をしているうちに、ワタクシ
も、見えない壁の向こう側に世界が広が
っていることに気ずいたんです。ワタク
シにとっては、まるでビートルズが世界
の壁を塗り替えた瞬間に立ち会ったくら
い大きなでき事だったんですよ。
