
札幌市中心部洪水シミュレーション

豊平川大洪水(昭和56年)
札幌を代表する川と言えば、市内中心地
を流れる『豊平川』。実はこの川には約
50本の橋が架けられているんですよ。
今回は代表的とも言える3つの橋のお
話です。

豊平橋・東橋・一条大橋
①豊平橋。
豊平川に最初に架けられた橋が国道36号
線を通る『豊平橋』。
1871年(明治4年)吉田茂八と志村鉄一が
渡守をしていて渡船場の近くの分流に造
られました。最初は強度の弱い丸木橋だ
ったので、洪水で1ヶ月ほどで流されちゃ
った。明治時代には豊平村や白石村に入
植者が増加して、札幌中心部へ農作物を
運ぶルートとして豊平橋は必要だったん
ですよ。

明治5年の頃の豊平橋
開拓使本庁舎を手掛けたアメリカ人技師
N・Wホルトが設計した本格的な橋が
1875年に完成したのですが、木造のため
、2年したら洪水で流されちゃった。そこ
で1898年に鉄の橋が作られ、これでどう
だ!と。これも『暴れ川』と言われた豊
平川の流れには耐え切れず、また流れち
ゃった。頭から煙が出るほど『流れない
橋』を考えた。そして1924年(大正13年)
3年の月日をかけてやっと豊平橋が完成。
今回のはアーチが3つ並ぶ『3連アーチ
橋』だ。これは良かった。やっと流れな
い橋が完成したんですよ。

大正13年完成の3連アーチ橋
でも時代は変わり、市電や自動車の交通
量が多くなると、1966年(ビートルズが
初めて日本武道館でコンサートをした年
)に車線数を増やした現在の橋に架け替え
られたんですよ。仮橋を含めると、今回
のが23代目。
②東橋。
国道12号線に架かる橋で、1890年(明治
23年)、北1東4から白石方面を結ぶ道路
の木造橋として完成しました。名前の由
来は札幌の東に位置するのと、後の大正
天皇が東宮(皇太子)になられたのにちな
んで東橋と名ずけられた。

木造だった頃の東橋
白石村は1971年、戊辰戦争後に仙台藩
白石城片倉家の旧臣らが入植し、リンゴ
栽培をはじめとする農業で栄えていまし
た。東橋が架かることで、物資の運搬が
スムーズになり、白石村の人口が増えま
した。現在の東橋は2013年製。

2013年に架け替えた現在の東橋
③一条大橋。
この一条大橋が架かったのは1924年
(大正13年)『3連アーチ橋』と呼ばれた豊
平橋が完成したのと同じ年です。きっか
けは1920年にススキノ遊郭が上白石(現在
の白石地区)に移転したことで、有数の歓
楽街化したススキノ地区と上白石を繋ご
うと地元の人達の要望と寄付によって、
この一条大橋ができたんですよ。今の橋
は1969年に架け替えられたもの。

1965年の一条大橋

現在の一条大橋
橋の下の河川敷には野球場やテニスコー
トが整備されました。そう言えば、うち
のチビスケも中高時代、東西線のバスセ
ンター前で友達と待ち合わせをして、一
条大橋の河川敷の南1条テニスコートで
楽しそうに遊んでいました。今でこそ、
将棋をやっていますが、中高時代は硬式
テニス部だったんですよ。

一条大橋の河川敷にある南1条テニスコートと南1条少年野球場。