2025年 9月 の投稿一覧

日記の魔力

京都駿台のカリスマ講師・表三郎センセ

京都駿台のカリスマ講師・表三郎氏が
60歳頃書いた『日記の魔力』っていう本
があります。ワタクシが在籍していた頃
(バブルのちょっと前)は表センセ、確か
40歳くらいでした。当時は硬い言葉を
使って講義(雑談?)をしていましたが、
きっとまた硬い話だろうと覚悟をして読
み始めたのですが、60歳の表センセ、
何と、表現が柔らかい。センセも成長し
ていたんですよ。歳を取って、マルクス
を捨てたんでしょう。日記のことをこん
な風に書いてあった。

日記には魔力のようなものがあって、上
手に活用すれば、日記はその人の人生を
成功に導く『魔法の道具』にもなるんで
す。日記は書くものであるのと同時に読
むものなんです。なぜ『記録』するかと
言えば、あとで読み返して役立てる為。

日記というものは書いた後に読むものである

日記は『日々の記録』。昔の船乗りたち
は、どんなズボラな人間でも必ず航海日
誌をつけていました。命がかかわったそ
んな当時の航海日誌を見ると、そこには
『考えたこと』など何も書かれていませ
ん。日々の出来事をあるがままに淡々と
記録しているだけ。『起床朝7時、目覚ま
し時計どおりに起きる。』これでいいん
です。それだけで十分貴重な記録になる

船乗り達は命を守る為、必ず航海日誌を書いていた。

歴史家の磯田道史さんが大学生の頃、あ
る武士の家計簿を見る機会がありました
。そこには淡々と日々の記録が書いてあ
った。例えば、『朝ごはんは、味噌汁に
たくわん、そして茶碗一善の玄米』武士
はこんな生活をしていたに違いないと、
そこからヒントを得て、それを卒業論文
にしました。

のちにそれが映画になって、映画『武士
の家計簿』には、当時一般武士は何を考
え、どんな生活をしていたのかが描かれ
ています。気持ちも感情も、何も書いて
ない淡々とした日々の記録から読み取れ
るんですよ。

武士の日常を描いた映画『武士の家計簿』

ところで、人間の一生は『問いのレベル
』で決まると言ってイイと昔の偉い人が
言っておりました。『問い』を持つのはと
ても大切。『問い』を頭の中のファイルに
口を開けて保管しておくと、ある日、突
然『ああ、そうか!』と腑に落ちること
があるんです。あるいは納得すること、
さらに言えば、悟ることがあるんです。

『問い』を頭のファイルに口を開けて保管しておく。

日記を書いていると、よくそんなことが
起こります。ワタクシだって、こんなし
がないブログを書いていても起こるんで
すから。なぜ起こるかと言うと、考えて
から書くから。それで日記を書いている
と、自分が何者であるかを知ることがで
きるんですよ。

ほぼ毎日ブログをグダグダ書いている。

私たちは他人の心を知ろうとする時、そ
の人の言動を観察するじゃありませんか
。それと同ことを自分に対してもすれば
いいんです。すると自分が何者であるか
がワカル。

日記を書いていると、自分は何者であるかワカル。

日記をずっと書いていると、量が質に変
化して来るのがワカるんです。さなぎが
蝶になる時だって、いきなり蝶になるわ
けではありません。さなぎの中で少しず
つ変態が進んでいるんですよ。羽化はそ
の最終段階の一瞬にすぎません。

いきなり蝶にはなりません。さなぎの中で、少しずつ変態が進んでいる。

ある日突然変わるってのは、実は変化で
はなくて、他人の意見を受け入れたに過
ぎません。まあ、日常こそがその人を造
っているので、日常の行動を記録するこ
とが重要なんですよ。だから、日記をつ
けることをお勧めします。

       おしまい

世界情勢が不安定になれば、金の価格が上がります

中国人は、資産を金(ゴールド)で持つ人が増えている。

世界情勢が不安定になればなるほど、金
の価格が上がります。インフレになれば
なるほど、金の価格は上がる。経済危機
が起きれば、これも金の価格が上がる。
戦争が起きれば、これまた金の価格が上
がる。戦争のリスクを考えると金が上が
る要素しかないんです。

中国は今、不動産不況だから不動産で持つなんて、ちょっと怖くてできない。

今、ほら中国、金に釘ずけですって。中
国人が金を買いまくっています。だって
人民元なんて使えないでしょう。中国元
なんて、いつ紙っぺらになるかワカラナ
イ。しかもATMからフツーに偽札が出て
来るんですから。もう人民は人民元の紙
幣なんて、だれも信用していません。

中国ではATMから偽札が出ることがよくある

中国の人民元の偽札

もともと中国人って華僑。やっぱり現物
です。金は中国人、みんな大好きで、宝
飾店は去年から客足途切れず。不動産不
況だから、不動産なんかはチョット怖く
てできない。だったらもう安全資産です
。中国の不安が高まれば高まるほど、み
んな金を買い始めます。

中国人は不況になれば、皆、金を買い始める

今年の中国のGDPは4,6%と言ってます
けど、この世で信じられないモノは、中
国による統計と石で出来た生卵。で、ち
ょっと見識のある人ならば、誰だってこ
の数値、もっと低いだろうと思っていま
す。校内大会なのに、全日本選手権とか
言ってるのと一緒。

校内大会なのに

全日本選手権だと言っているのと同じ。

この前、ソ連が崩壊した時、統計を見て
みたらビックリしました。数値があきれ
るくらいデタラメだったんです。共産主
義国にはよくある話で、民主主義国とは
違って、審議する機関がないですからね
え。

共産主義国には数値の違うことがフツーにある

③歳を重ねたあとの同窓会には行かないって言う人の話

老後の同窓会

     【続きです】

同窓会はその現実を突きつける場となっ
てしまった。こうして同じクラスに集ま
ったハズなのにもはやお互いに別の世界
の住人になっていることを突きつけられ
る。それぞれが違う人生を選び取って来
た結果なのです。

お互い別世界の住人になっていることに気ずく

いくらテーブルを囲っても、もうそこに
は『かつての私』はいないのです。クラ
ス会は思い出を語る場ではなくて、むし
ろ『隔たり』を突きつける機会になりま
した。私たちをホントに切なくさせるの
は距離や年月の問題ではなく、心そのも
のの違いなのだと。人生がそれぞれ違う
方向に流れ、優先順位も様変わりした。

いくらテーブルを囲っても、そこには『かつての私』はいないのです。

作家・向田邦子さんはこう言ってた。
『同窓会で一番驚くのは、みんな昔と同
じ顔をしているのに、まるで違う人にな
っていることだ。時の流れはヒトを変え
てしまうだけでなく、最も美しい思い出
はもう二度と戻らない。そんなのはあの
過ぎ去った時代にだけ存在するのだ。』

作家・向田邦子;時の流れはヒトを変えてしまうし、最も美しい思い出はもう二度と戻らない

私たちは同じ人達に再会できたとしても
、あの頃の自分にはもう出会えません。
人生は短いのですから、うわべだけのつ
き合いや意味のない集まりに時間を浪費
する必要はありません。自分が本来属さ
ない輪に無理やり溶け込もうとすること
もないのです。

残された人生はもう短いのです。

自分を殺してまで他人に合わせ続けるこ
との方がよほどコワイのです。残された
人生はもう短いのですから。

      おしまい

②歳を重ねたあとの同窓会には行かないって言う人の話。

 

歳を取ってからの同窓会

              【続きです】

実際、みんなと再会してみると、過去は
すでに記憶の中にあるだけのもので、ど
んなに美しい思い出であっても、再び息
を吹き返すことはないのだと悟るのです

過去はすでに記憶の中にアルだけのものと化す

作家・遠藤周作さんが言っていました。
『同級生と会うたびに思うのは、みんな
違う人生を歩んできたという事。同じ教
室にいた頃は気ずかなかったけど、人そ
れぞれ違う価値観を生きているんだ。何
年も同じクラスにいたハズなのに、再会
すると、まるで他人のように感じられる
相手もいるんです。相手が変わりすぎた
わけでもなく、ただこちら自身ももはや
昔の自分ではないから、それだけのこと
なんですよ。』

作家・遠藤周作氏

人は同じ道を歩くとは限りません。ある
ものは遠方で奮闘し、あるものは地元で
安定を選ぶ。地道に暮らす人もいれば、
野心を抱いて頂点を目指す人もいる。

ある者は遠方で奮闘し、野心を抱いて頂点を目指すヤツもいる。

実業家・孫正義氏も若い頃の友人につい
てこう語っています。『学生時代の友人
とはもう話が合わなくなった。みんなそ
れぞれ違う世界で生きているから当然と
言えば当然だけど。かつて同じペンを握
っていた手は、今は仕事で荒れた手とビ
ジネスの場でひんぱんに握手を交わす手
に分かれているのかもしれない。』

実業家・孫正義氏;学生時代の友人とはもう話が合わなくなった。手の使い方も違う。

表面上は友情は変わらないと言ってみて
も、いざ対面すると、埋められない空白
があることに気ずかされる。話題も自然
と二つの方向に分かれます。不動産や株
式投資、子供のインターナショナルスク
ールなど。成功を手にした者たちの話が
止まらない。数字やビジネスチャンス、
華やかな将来像を語る声に満ちている。

かつて同じペンを握っていた手は今は仕事で荒れた手と、ビジネスの場でひんぱんに握手を交わす手に分かれているにかもしれない。

一方、黙り込む人もいます。語りたくな
いワケではない。ただ自分の生活が地味
で派手な取引も豪華な旅行の自慢話もな
いから、誰も興味を示してくれないと分
かっているからです。

一方、黙り込む人もいます。地味な生活をしている私に、誰も興味を示してくれないと分かっているからです。

     【またまた続く】

①歳を重ねたあとの同窓会には行かないって言う人の話

歳を取ったあとの同窓会

作家の村上春樹さんは,同窓会に一度も
出席したことがないという。その理由
が『過去は過去として、大切にしまっ
ておきたい』からだと言う。
まあ、同窓会や古い友人との集まりは、
時には喜び以上に複雑な感情をもたらす
ことがありますからねえ。旧友に再会す
ると、誰もがつい比較したり、自慢した
がるものです。

今回もノーベル文学賞の電話を待つ村上春樹氏

俳優の所ジョージさんは『昔の友達と会
うとね、みんなオレはこんなに成功した
っていう話ばっかするんだよ。でもね、
ホントに幸せな人はそんなこと言わない
もんなんだよ。』
いざ再会してみると、あの幼い頃の会話
や遠い夢は跡形もなく消え、暗黙のうち
に比較が始まってしまいます。

多趣味の所ジョージさん

タレントの明石家さんまさんも『みんな
昔の話をしているようで、実は今の自分
を自慢してるんや。あの頃は貧乏やった
けど今は・・・って言う話になるんや。
いつの間にか視線は身に着けている服、
乗ってるクルマ、住んでる場所や家を品
定めするように巡り、最近はどう?収入
は?家買った?といった話に及んでしま
うんや。』

タレントの明石家さんまさん

まあ、一見無邪気に思える質問の中に実
は深い探りが含まれていて、社交辞令の
ようでいて、相手を評価するモノサシに
なってしまう。もはや真心のこもった語
り合いを求める人はおらず、他人より優
位に立てればイイ、そんな空気が漂って
しまう。

棲んでいる場所・家・クルマを品定めするようになる。

暖かいはずの同窓会は、実は華やかな仮
面をかぶった人達が演じる舞台へと変り
果てる。そして別れ際、誰もが元の生活
へと戻っていく。思い出はもう誰も開か
ない古い本の様に静かに眠り続けるので
す。

真心のこもった語り合いを求める人はいない。

本来なら人と人とを繋ぐ再会。しかしそ
こにあるのは、『酒の強さを競う場』酒
の強い人は賞賛される。弱い人はカラカ
ワレ、気力が続くまで永遠と続く宴。
『みんな揃っていたのに、誰もそこには
いなかった。』という空虚感だけが残る
のです。

酒の強さを競う場と化す

                         【続く】

デジタル教科書を使って授業をしてみたら・・・

先生、昔の通りに紙の教科書を持ち板書する。

先生が板書する。それを生徒がノートと
る。教科書を開く、そこを見る、線を引
く。これで記憶が定着していく。

以前はデジタル教科書で授業をしていました。

ある小学校の先生が6年生の授業をしま
した。この先生、今でこそ紙で授業をし
てますけど、以前はデジタル教科書で授
業をしていました。そしたら端末操作で
つまずく生徒も目立ち、授業がスムーズ
に進まないことがありました。

デジタル端末を使ったら、授業がスムーズに進まなかった。

『は~い、じゃあiPad開いて下さ~い!
』とか言って、

『先生!電源が入りません!』とか

『通信、つながりません!』とか

『バッテリー、切れました!』

『先生!電源が入りません。』『バッテリー切れました!』

『フリーズしてま~す!』とか40人一斉
に立ち上げたら、一人や二人フリーズし
てもおかしくありませんよ。

『フリーズしてま~す!』

『パスワード、忘れました!』とかいち
いち中断。

『あっ!落としました。割れちゃいまし
た。』

『先生!オガワ君がYouTube見てま~す』

『先生!オガワ君がYouTube見てま~す!』

いろいろ起きるワケですよ。これ、紙だ
ったら、『ハイ、教科書、何ページ開い
て!』『先生、そのページありません!』
とか『教科書、開けません!』とかない
じゃありませんか。一人でもいたら、授
業が止まっちゃいますからね。

だから実際そういう端末で授業してみた
けど、よく中断して
『ああ、こりゃダメだ!紙がいい!鉛筆
がいい!』ってふうに考えを変えたワケ
です。現場のセンセがやってみて、やっ
ぱダメだ!と紙の授業に戻ったワケです

『ああ、こりゃ、ダメだ!紙がいい。鉛筆がいい!』

ほら、中国でね、EV車買った人と一緒
ですよ。みんなほとんど後悔して、もう
二度と買わねぇって言ってるワケですか
ら、実際使った人がどう思っているかが
大切なんですよ。

中国ではEV車買った人が後悔して二度と買わねぇと言ってるのと同じです。

デジタル先進国だったフィンランドがデ
ジタル教科書を使ったら、子供たちの能
力がバク落ちで、デジタル教科書から紙
の教科書に戻したって言うじゃありませ
んか。

デジタル先進国のフィンランドがデジタル教科書を使ったら、子供たちの能力がバク落ちで、紙の教科書に戻した。

デジタル教科書を使って、成績が上がる
って調査はほぼ皆無なんですよ。

『ミス』は、気をつけるものじゃなくて、防ぐものなんです。

歯医者さんの治療システムって、
ミスしないようにつくられています。

一つひとつの動作に全て理由があって、
大学ではこれを修得、訓練しました。

ミスしないような治療システムが作られている

ところで、世の中では「ミスじゃん、
許してよ、仕方ないじゃん、反省してる
よ」・・・・そう思っている人は大事な
仕事を任せてもらえません。
つまり、つまらない仕事ばかりになる。

『ミスしちゃった!許してよ。』そういう人は大事な仕事を任せて貰えません。詰まらない仕事ばかりになる。

人間はミスする生きモノ。キカイじゃな
いからうっかりミスすることもあります
。でもこれをどうやって防ぐかが大切。
電車の運転手さんもそうだけど、飛行機
のパイロットもそう。着陸する時タイヤ
を出し忘れたら大変なことになる。

うっかり、着陸時にタイヤを出し忘れると乗務員・乗客は全員死んでしまう。

お医者さんだって歯医者さんだって、ミ
スしないように気をつけるっていう程度
ではダメなわけで、だからこそ、どうや
ってミスを防ぐかを必死に考えたり研究
したりするのデス。

ミスをしないように気をつけるのは当たりで、どうやってミスを防ぐのか必死に考える。

ミスというものは気をつけるものじゃな
いんです。防ぐものなんデス。ミスを防
ぐ方法を考え、練習した結果、ありゃ頭
良くなっちゃった、ありゃ重要な仕事を
任された、という順番なのです。

『ミス』ってのは防ぐものなんです

日本の中世では、身分の高い子・頭のいい子・お金持ちの子は僧侶になっていた。

 

中世では頭のいい子は僧侶になった。

江戸時代末期の頃は、全国に寺小屋が
15000もあったんです。寺小屋が重要な
点は庶民の教育。ヨーロッパでは確かに
エリートのスゴイ人達は沢山いるんです
けど、江戸時代には成人庶民の識字率は
4割くらい。よく世界一だと言う人がい
ますが、そこまではない。

江戸時代、寺小屋は全国に15000あった。

北欧は8割を超えていますから、ドイツ
・イギリスには識字率では勝てない。
イタリアの上、ベルギーの下くらいかが
江戸時代の日本の位置。チコラと言う人
がいて1850年頃、そういう識字率の研究
をしっかりしておられた。

江戸時代、識字率はまあまあ高かった。

じゃあ、寺小屋以前まではどうしていた
のかというと、例えば鞍馬山に入った
牛若丸(源義経・平安時代末期)を見ただ
けでワカルんですが、彼は子供の頃、お
寺に預けられるでしょ。そうすると、お
寺に預けられた階層だけが非常に高度な
今で言ったらラテン語までワカル程度の
教養を身につけているわけですよ。漢字
ばかりなのに、お経をすらすら読めるエ
リート、中世のエリートはすごいんです

鞍馬山に預けられて学問を修得していた牛若丸(源義経)。

その他の人達はどうかと言うと、識字率
が低いんですよ。紙なんか一生見たこと
のない庶民もいっぱいいた中で、寺院で
高度な教育を受けた人は哲学的な話を漢
字の状態で読んでそのまま理解した。こ
の段階で頭のいい子は次々と僧侶になっ
た。まあ、お金持ちの子しか学べない。
今なら頭のいい子は東大か医学部を目指
すんでしょうけどね。

家康も駿河の今川義元のもとで人質生活
をしていた時も確か、臨済寺の僧侶の
雪斎(せっさい)から学んでいた。この坊
さん、今川家の軍師・政治顧問・そして
有能な武将を兼ねていた。今川義元は幼
い家康を人質でありながら、大器の相を
見て取り、戦乱の世を救う人物に、ある
いは今川家の跡取りの軍師として育て上
げようとしたんでしょうね。

医学部

家康も天下を取るチャンスがなければ、
その辺の僧侶として一生を終えていての
かもしれません。

家康は今川義元のもと、僧侶雪斎に学んだ。

そう言えば、室町幕府13代将軍・足利
義輝の弟、義昭も興福寺の僧侶になっ
ていましたもんね。兄ちゃんが暗殺さ
れたら、次期将軍になってくれ、と引
っ張りだされた。お金持ちや身分の高
い人、つまりエリートは中世の頃は皆
、僧侶になってたんですよ。

僧侶で終わるつもりだったのに、いきなり将軍になってくれ、と引っ張り出された室町幕府最後の第15代将軍・足利義昭。

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