日記の魔力

京都駿台のカリスマ講師・表三郎センセ

京都駿台のカリスマ講師・表三郎氏が
60歳頃書いた『日記の魔力』っていう本
があります。ワタクシが在籍していた頃
(バブルのちょっと前)は表センセ、確か
40歳くらいでした。当時は硬い言葉を
使って講義(雑談?)をしていましたが、
きっとまた硬い話だろうと覚悟をして読
み始めたのですが、60歳の表センセ、
何と、表現が柔らかい。センセも成長し
ていたんですよ。歳を取って、マルクス
を捨てたんでしょう。日記のことをこん
な風に書いてあった。

日記には魔力のようなものがあって、上
手に活用すれば、日記はその人の人生を
成功に導く『魔法の道具』にもなるんで
す。日記は書くものであるのと同時に読
むものなんです。なぜ『記録』するかと
言えば、あとで読み返して役立てる為。

日記というものは書いた後に読むものである

日記は『日々の記録』。昔の船乗りたち
は、どんなズボラな人間でも必ず航海日
誌をつけていました。命がかかわったそ
んな当時の航海日誌を見ると、そこには
『考えたこと』など何も書かれていませ
ん。日々の出来事をあるがままに淡々と
記録しているだけ。『起床朝7時、目覚ま
し時計どおりに起きる。』これでいいん
です。それだけで十分貴重な記録になる

船乗り達は命を守る為、必ず航海日誌を書いていた。

歴史家の磯田道史さんが大学生の頃、あ
る武士の家計簿を見る機会がありました
。そこには淡々と日々の記録が書いてあ
った。例えば、『朝ごはんは、味噌汁に
たくわん、そして茶碗一善の玄米』武士
はこんな生活をしていたに違いないと、
そこからヒントを得て、それを卒業論文
にしました。

のちにそれが映画になって、映画『武士
の家計簿』には、当時一般武士は何を考
え、どんな生活をしていたのかが描かれ
ています。気持ちも感情も、何も書いて
ない淡々とした日々の記録から読み取れ
るんですよ。

武士の日常を描いた映画『武士の家計簿』

ところで、人間の一生は『問いのレベル
』で決まると言ってイイと昔の偉い人が
言っておりました。『問い』を持つのはと
ても大切。『問い』を頭の中のファイルに
口を開けて保管しておくと、ある日、突
然『ああ、そうか!』と腑に落ちること
があるんです。あるいは納得すること、
さらに言えば、悟ることがあるんです。

『問い』を頭のファイルに口を開けて保管しておく。

日記を書いていると、よくそんなことが
起こります。ワタクシだって、こんなし
がないブログを書いていても起こるんで
すから。なぜ起こるかと言うと、考えて
から書くから。それで日記を書いている
と、自分が何者であるかを知ることがで
きるんですよ。

ほぼ毎日ブログをグダグダ書いている。

私たちは他人の心を知ろうとする時、そ
の人の言動を観察するじゃありませんか
。それと同ことを自分に対してもすれば
いいんです。すると自分が何者であるか
がワカル。

日記を書いていると、自分は何者であるかワカル。

日記をずっと書いていると、量が質に変
化して来るのがワカるんです。さなぎが
蝶になる時だって、いきなり蝶になるわ
けではありません。さなぎの中で少しず
つ変態が進んでいるんですよ。羽化はそ
の最終段階の一瞬にすぎません。

いきなり蝶にはなりません。さなぎの中で、少しずつ変態が進んでいる。

ある日突然変わるってのは、実は変化で
はなくて、他人の意見を受け入れたに過
ぎません。まあ、日常こそがその人を造
っているので、日常の行動を記録するこ
とが重要なんですよ。だから、日記をつ
けることをお勧めします。

       おしまい

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