西陣、室町って、そういうことだったのか

赤〇は西陣小、室町通

 

先日、BSスペシャルで「応仁の乱」を
専門家の皆さんが語っていました。

以前、「応仁の乱のブログ」を書いたこ
ともあって、ワタクシも興味シンシンで
見ました。

応仁の乱って、室町時代に京都を西と東
に分かれて守護大名たちが各々の思惑を
もって争った戦いです。

西側が山名宗全、東側が細川勝元を中心
とする陣営。

ワタクシも昔々、京都に住んでいたこと
があって、後で考えてみたら、応仁の乱
の主戦場をチャリンコでうろうろして
いました。

主戦場といっても、ネコの額みたいに狭
い所。

ここで10万人の兵が争ったと古文書には
書いてあるけど、ホントかなぁ。

京都に西陣織で有名な西陣という地名が
ありますが、アレ、どうやら西側の山名
宗全の屋敷と陣営があったからそう呼ぶ
らしい。

室町時代という名称も、足利将軍の住ん
でいた屋敷が西陣からそう遠くない室町
通りに面していたから、室町時代と呼ぶ
ようになったトカ。

専門家はそんなことを言っていた。

ワタクシも、京都時代、歴史のことに
全く関心がなかったものですから、そん
な素敵な場所に住んではいても「フ~ン
!」って感じでしたが、今住んでいたら
きっとハマルだろうな。

同じモノを見ても、その人がその時どん
な関心を持っているかで、見える世界が
変わりますもんね。

 

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