京都にあった伝説の予備校(近畿予備校) ー前半ー

近畿予備校

 

もう30年も40年も前の話ですが、あの
ころ京都の烏丸今出川に、京大・国公立
医学部に毎年300人以上の合格者を出す
予備校がありました。

それが近畿予備校。

ワタクシは当時、二条城のほとりのS台
予備校にいたのですが、そのウワサは
ワタクシの耳にも届いていました。

その予備校、机は30㎝の板。
1クラスに260名の浪人生がすし詰め
状態で座る。

現代版寺子屋だ。

旺文社模試を1度やったことがあるら
しいけど、成績優秀者欄をほぼ独占し
ていた。

近畿予備校は、医科1クラス、文科1ク
ラス、理科3クラスの合計5クラスの
1300人。

授業内容も講師陣も皆同じだった。

世界の数学者広中平祐も京大院生だった
時、数学を教えていた。

近畿はほとんどが旧帝大か国公立医に
最終的に入っていますが、志望校に合格
するまで受験し続けたのも、その理由の
一つ。

3浪以上すると就職がなくなるので、
文科クラスから医学部に行ったツワモノ
もいた。

「オマエ4浪の〇〇か。オレは5浪の〇
〇だ。よろしく」

数字が上がれば上がるほど偉い?

彼らは浪人生だったけど、近畿生である
事に誇りを持って受験生活を送っていた。

自分の出身校よりはるかに全国的に有名
だったので、誇らしかったのだ。

近畿は、京大医学部に入るまで浪人を
続けていた多浪生が半分近くいた。

13浪して京医へ行ったアンビリーバブル
なツワモノもいた。

浪人生で多かったのは、兵庫・大阪の
公立出身者。

私立中高一貫進学校の授業進度の遅れを
近畿で埋め合わせていたのだ。

京都の公立出身者は少なかった。
京都の子は勉強しないので、お隣の同志
社大学へ入れても、近畿予備校には受か
らなかった。(続く)

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