アンデルセンは「みにくいアヒルの子」だった。

 

アンデルセンの童話で、「みにくいアヒ
ルの子」というのがあります。

このお話は、アンデルセン自身の子ども
の時のことをお話にしたもの。

彼は子どもの頃、まさか自分が白鳥の子
だったなんて思ってもみませんでした。

どうして自分だけがみんなと違うのかと
深く悩んだトカ。

アヒルの大人にとっては、フツーのアヒ
ルは扱いやすいもの。

でも白鳥の子どもはちょっと変わってい
るし、よくわからないので、扱いづらい。

たいていアンデルセンのように「変わっ
たヤツ」として扱われてしまう。

イヤなアヒルの大人なら、白鳥の子ども
をやっかいものだとしていじめる。

フツーのアヒルの大人なら、「この子は
よくわからないけれど、変わってんな」
と思い、できるだけフツーのアヒルの子
に合わせようとする。

デキるアヒルの大人なら、それはきっと
白鳥をよく知っているアヒル。

「ワタシにはよくわからないけど、ひょ
っとしたらこの子は将来スゴい子になる
かもしれない」と思ってこの子の声を
聞こうとします。

まぁ、大人の立場から考えたら、確かに
こういう子がいたらやりにくい。

そこで、「変わっていることはよくない
」ということにしておけば話は簡単。

そして、多数決の論理で「みんなでこう
決めました。みんなで決めたからには、
みんなで守りましょう。いいですね」と
いうことにする。

もし子どもの個性を伸ばすんだったら、
「変わったことはいいことだ」と認めて
やった方がいい。

でも、変わったのばかり出てきたら収拾
がつかないし、フリースクールになって
しまうしなぁ。

 

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