(1月30日のブログに事のなりゆきが書いてあります。)2013年2月20日水曜日 北海道新聞・夕刊・掲載 いきいきゼミナール
ゲスト/まるやまファミリー歯科 小川 拡成 院長
今回は歯周病の歴史について触れようと思います。ヨーロッパでもアメリカでも日本でも歯周疾患といえば、虫歯と並ぶ歯科の二大疾患にもかかわらず、昔はこの病気は難治、不治の疾患で、究極の治療法は抜歯のほかにないと思われていました。
しかし、アメリカは19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、見事にその治療や予防を可能にしました。そもそも、19世紀前半のヨーロッパでは、歯周疾患の原因については、局所説と全身説が入り乱れ、スケーリング(歯石取り)や手術、固定などの局所療法に努めてもすぐ再発するので、体質というような未知の全身因子があるのではないかと考えられていました。ですが、今から150年前の1867年、アメリカのリッグス氏が、この歯周疾患の特徴として、まず歯肉に炎症が起こり、次第に歯槽骨吸収が進行して歯の動揺が起こることを報告しました。また彼は局所療法の重要性を説き、スケーラーでポケット内の汚染された部分や炎症を起こした歯肉をかき取るばかりでなく、患者さんにブラッシング指導を行うことによって、大きな成果が得られることも併せて報告しました。それでこの歯周疾患は「リッグス病」と呼ばれましたが、彼が学会に加入しなかったことなどで、この名称は消えてしまいました。
しかし、その考え方はその後の臨床へ大きな影響を与えました。また、細菌学の立場からメスを入れたのがミュラー氏でした。彼はドイツ系アメリカ人で、コッホの下で細菌学の研究に情熱を注ぎ、歯周疾患はどこにでもいる口腔常在菌の混合感染であるという考え方を明確にしました。つまり原因は口の中にいるばい菌ということです。このようにしてアメリカ東海岸付近では、ブラッシングやスケーリングを中心とした予防活動が日常的なものとなり、不治と言われた歯周疾患も自信をもって治癒に導けるようになりました。局所説が勝利を収めたのです。
口の中のばい菌が歯周病の原因である以上、どのような時代がきてもヒトは歯ブラシを捨てることはできません。歯周病で悩んでいる皆さんは、今すぐお近くの歯医者さんでアドバイスを受けられることをお勧めします。