すてきな車内放送

ある新聞記事に、こんなお便りが載っていました。

東北に修学旅行に行っていた娘が、無事に帰宅しました。

JR北海道を利用したのですが、こんな嬉しい車内放送が流れたそうです。

「〇〇中学校の皆さん、お疲れ様でした。大変お疲れとは思いますが、おうちに帰るまでが修学旅行です。どうぞお気をつけてお帰り下さい。」子供たちを気遣っての放送。

娘が感動して、思わず泣きそうになりました。

DJポリスの出現、W杯後サポーターのゴミ拾い、そしてJR北海道の車内放送。

まわりを見渡せば、まだまだいっぱいいい話があります。

エレベーター保守会社から1本の電話が・・・・。

エレベーターの入り口昨日、うちのビルのエレベーター保守会社から、1本の電話がありました。

エレベーターに異常はありませんか、というモノ。

実は保守会社のコントロールセンターに、エレベーターの異常を知らせる警告灯がついていたらしいのデス。

そうです。

うちのエレベーターは最新の遠隔監視システムを導入してて、24時間体制で監視しております。

昨年リニューアルしたばかりです。

それで、現場に行って調べたら、1階でドアを開けたままエレベーターが停止していました。

その旨を保守会社に連絡したら、担当者がすぐにかけつけてくれました。

原因は、カサの先っぽが抜けて、エレベーターの外扉のレールのスミにはさまっていたからでした。

エレベーターがそれを感知して止めてくれたのデス。

ありがとう、エレベーター君、よくぞおしえてくれました。

三方よし

近江商人ブック・オフとかセカンド・ストリートとか、そういうリサイクル商品を売っているお店があります。

その商法を見ていると、まさに近江商人の「三方よし」だなぁと思います。

この近江商人って、天びん棒をかついで全国各地を行商してまわる。

そして、これはという土地を見つけるとそこに店を開いた。

まぁ、今で言うチェーン店です。

この近江商人が各地で成功した理由は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方よしの理念。

三方よしによって地域社会へ貢献したので、近江商人はその土地に受け入れられ、ますます店が栄えていきました。

売る人、買う人、世の中の皆さん,みんなが喜ぶモノは時代が変わっても受け入れられるのデス。

小保方さんの涙

これは、ある写真家の方が撮った小保方さんの会見写真です。

このヒトのエッセイも、なるほどなぁと思いました。

以下、抜粋。

「STAP細胞の熱狂が巻き起こったのは、熱狂劇の主人公が、女優的資質を持った若い女性だったことが大きい。

彼女は心が表情に直結する、珍しいタイプだった。

さらに彼女に注目したのは、表情のみならず身につけているアイテムにメッセージが感じられたこと。

割ぽう着だけでなく、左手中指にビビアン・ウエストウッドの指輪を輝かせていたこと。

ビビアンとは、70年代、ロンドンにおけるパンクの女王。当時のパンクは、体制的なものに対する謀反だった。

割ぽう着とビビアンの指輪に、祖母への愛、母に対する反動を勝手に想像してしまった。

しかし、大阪の記者会見では、思いもよらないどんでん返しが起こる。

彼女は彼女らしくない”正装”で現れたのだ。

なんと彼女の衣装は、保守ブランドの権化バーバリーのワンピース。

そのお行儀のよい保守ブランドを母親が選んだというところに、意味深長なものを感じた。

かつてパンクで母親とたもとを分かった(と想像させる)彼女は、この大きな受難において、母の懐に逃げ込んだのだ。

そして身に着けていたのは、真珠の首飾り。

真珠とは、貝の中に紛れ込んだ異物を無害に変えてできた真玉なのだが、その生産過程になぞらえて「受難と痛みの中から生まれ出る輝き」という暗喩がある。

私にはその首飾りが、彼女の流した涙とともに彼女自身に残された最後のメッセージのように思えたのであった。」

歯科医院のイメージカラー

うちの待合室まるやまファミリー歯科を設計する時、アンティークをテーマにしました。

そうすると、色は茶・黒、カタチは真ん丸なんかが主役になってしまう。

すると、診療室は時が止まったヨーロッパの中世のように、暗くなってしまう。

それで待合室はあえて、明るい色~オレンジ・黄色を取り入れました。

歯医者さんの玄関を開けて暗かったら、逃げ出しだくなりますものネ。

ヒグマin札幌

どうも最近、札幌ではクマとヒトとのキョリが縮まってきたようデス。

最近ウチの近くにも、朝方現れた。

明らかに、市街地に近づいている。

出没情報が入ると、現場確認が行われるんだけど、この作業を行うのは区役所の職員。

必ずしもクマの専門家ではないし、公務員なので、他の部署から異動してきたばかりというヒトもいます。

クマを、札幌がもつ自然の豊かさの象徴というヒトもいますが、それはそれとして、クマとヒト、お互い不幸な出会いは避けたいものデス。

バキュームカーにやられた

いちばん奥が院長室朝まるやまファミリー歯科に着いてまず最初にする仕事が、窓を開けて新鮮な空気を入れ、空気の入れ替えをすること。

で、今日もいつものように、窓・ドアを開けてこの準備をしていると、何やらプ~ンと異様な臭いが・・・・。

「なんだ、この臭いは!?」と外を見ると、バキュームカーが近くで作業をしている。

やられたと思い、大急ぎで窓を閉めたんだけど、待合室の中にその臭いが充満。

あと1時間で患者さんが来る!バキュームカーが遠くへ行ったので、窓・ドアありとあらゆるモノを全開。

換気扇も総動員して、やっと異臭が抜けた。

その経過時間、ざっと50分。

待合室・診療室は新鮮な空気に入れ替わったんだけど、いちばん奥にある私の部屋にはまだ悪臭が・・・・。

今朝は朝から参りました。

ミヒャエル・トーネットの椅子 「14番」

うちの待合室のイス名作の椅子といわれる作品のほとんどは20世紀に生まれているのですが、中でも、「これを越えるものはない」という椅子が1850年代に生まれました。

どんな椅子か。

デザイナーのミヒャエル・トーネットの「作品 14番」まるやまファミリー歯科の待合室にも同じようなイスがあって、確かにどこにでも見かけるタイプ。

これは、日本のメーカーがマネて作ったモノ。

トーネットの「作品14番」は、シンプルなデザインで誰にでも好まれて、1859年に発表されて以来、150年経った今でも製造され続けています。

当時のイスって、注文を受けてから職人が生産するのが主流だったのですが、産業革命で人口が都市に集中したので、トーネットは大量の既製品の家具が必要と考えた。

それで、誰も見向きもしなかったブナの木を細長い棒状にして、蒸気熱を加えて乾燥させることで、丈夫なパーツに変えた。

それをパーツに分けて大量輸送を可能にしたそうです。

ブログ一覧