雨乞いの儀式の巻

マヤ文明の雨乞い儀式

 

札幌に暑い夏がやってきました。

札幌のような北国は、冬の間山の上に
雪の形で水を溜めているので、年間を
通して水不足の心配はありません。

ワタクシの育った広島は、年間を通じて
降水量が少ないので、ため池をつくり、
小出しに水を使っていました。

確か年に数回、断水もあった。

昔、間違った理解をする人達もいました。

「雨が降らないのは神様を怒らせたせい
じゃ。だから神様に許してもらうための
儀式をしよう」ということで、人柱や生
けにえを捧げていました。

それを彼らはよかれと思ってやっている
んですよ。間違ったことを。

生けにえを殺さなかったから雨が降らな
かったわけではなく、フツーの気象条件
でたまたま雨が降らなかったわけで、そ
の子を人柱にしようがしまいが雨が降ら
ないんですよ。

日本で何で雨乞いの儀式がこんなにいっ
ぱいあるかっていうと、雨乞いの儀式を
すると雨が降るから。

なぜかというと、雨が降るまで雨乞いの
儀式をやるから。

そりゃあ、いつかは雨降るよね、ってい
う話デス。

だから「雨乞いの儀式をすると雨が降る
」という因果関係は正しいんです。

雨が降るまでやるんだから。

理解の浅い人は、理解できないものに何
か理由をつけてしまうので、「雨乞いの
おかげで雨が降った」と間違った理解を
しちゃう。

「わからんものはわからん、誰か調べて
!」と、誰か賢い人が結論を出すまで
待ってやればいいんですが。

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