「京都はコワイ街や」

京都周辺

 

うちのスタッフがGoToトラベルでお正
月明けに京都に行くという。

ワタクシも昔、京都に住んでいた時期が
あります。

今日は「京都はコワイ街や」という話を
します。

中京区のごく狭い地域を洛中というので
すが、洛中の人々からは京都とみなされ
ない地域があります。

街をとりまく周辺部デス。

まぁ、洛外の地は昔から京都扱いされて
きませんでした。

「京都ぎらい」っていう本を書いた胃の
上章一さん(仮名)が言っていた話です。

胃の上さんは、京都郊外の嵯峨生まれ
嵯峨育ち。

ある時、建物の取材で京都西陣にある
杉本邸に行きました。

その邸主は胃の上さんのしゃべり方を聞
いて、「君、どこの子や?」。

「嵯峨です。後醍醐天皇のために建てら
れた天龍寺のあるアソコです。」

杉本氏、「昔あのあたりにいるお百姓さ
んがうちへよう肥(こえ)を汲みに来て
くれたんや」という。

彼は要するに、「嵯峨の子か、田舎の子
なんやな」とそう念を押したのだ。

つまり、洛中でない洛外の田舎者呼ばわ
りされたのです。

ええか、嵯峨は京都と違うんやで、とい
う意味。

胃の上さんの友人に、洛中の新町御池で
生まれ育った男がいます。

新町御池といえば、洛中にある天皇のい
らっしゃった御所のおひざ元だ。

その彼に今の話をしたところ、驚くべき
返答が返ってきた。

「京都を西陣のヤツが代表しとるんか。
西陣ふぜいのクセに、えらい生意気やな
ぁ」

西陣あたりの生まれのヤツがえらそうに
振る舞うのは、「かたはらいたい」とい
う。

胃の上さんは思った。
「京都はコワイ街や」

「この男、聞いたことはないけれど、
ワタクシの生まれ育った嵯峨をどう見て
るんだろう。」

 

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