1万円札の福沢諭吉
カナダ南国のランプ大統領(仮名)と韓国北
の将軍様(仮名)がベトナムで話し合いを
したというニュースでもちきりです。
何も決まらなかったようですけど。
新聞を見ていたら、おかしなことに気づき
ました。
あたり前のことなんですけど、それは国家、
信用、社会、権利、民族、国際、基準、教育、
資本、哲学、思想、意識等の漢字がずいぶん
使われているということ。
確かこんな言葉、平安時代にも江戸時代
にもなかったハズ。
いつ頃作られたんだろう。
調べてみたら、明治時代でした。
どうやら明治維新とともに日本にたくさん
の外来語の概念が大量になだれ込んできた
ようなのデス。
あの1万円札の福沢諭吉さんや、西周(に
しあまね)さんや、多くの学者の皆さん達
の功績。
一昔前、日本で学ぶアジアからの留学生は
日本語を習得して、岩波文庫なんかの古典を
読んでいた。
だって日本人は世界中の本を日本語に翻訳
してしまったんですから。
彼ら留学生の祖国には、祖国語で翻訳され
た世界レベルの本がなかったのデス。
「資本論」とか「君主論」とか。
でも日本に行けば世界中の本が読める。
それも日本語さえできれば。
そんでもってもっと驚いたのが、それらの
翻訳語がホント短い間につくられたのに、
日本人の皆さんほとんどがそれを「ああ、
そうなの?」「こう使うのね」といった
程度の感覚でフツーに受け入れてスムーズ
に使っているということ。
よくコマーシャルで、「ポン」「シュッ」
「ピカピカ」などのお手軽商品が売れて
いますが、当時の人たち、そんな感覚で
翻訳語を受け入れたのだと勝手に思いま
した。