
ロック・フェラー・センターから見たニューヨークの摩天楼。まるやまファミリー歯科の診療室にも貼ってあります。

今から40年前の1985年に、『失われた
30年』の遠因となるプラザ合意があった
んです。これは財政赤字と貿易赤字の双
赤字に直面したアメリカがドル高是正を
G5(米・英・仏・独・日)の国々に求めて
来たんです。その結果、円の対ドル相場
は240円台から1年で150円台に。1987年
には120円台まで急騰したんですよ。

プラザ合意(中曾根首相とレーガン大統領)
海外のものが安く買えるんで、猫も杓子
も皆、海外旅行に行くようになったんで
す。世の中の投資家は今日よりも明日の
ほうが家が高く売れるんで、銀行にカネ
を借りて、投資するようになった。

日本はバブルで札束が飛び交った
銀行もバンバン、高金利で金を貸すよう
になった。2年目社員よりも新入社員の
ほうが給料が高いというような逆転現象
もフツーに起こった。世の中はバブル経
済の真っただ中。

ニューヨークのセントラルパーク。お金は持ち回り。アメリカのお金が日本に引っ越して来た
三菱地所はニューヨークのロック・フェ
ラー・センタ―を買ったし、ソニーは
コロンビア映画を買収し、ジャパンマネ
ーが世界を席巻したんですよ。

三菱地所はニューヨークのロックフェラー・センターを買った。
当時、日本はアメリカの魂を買ったと非
難を受けました。ちょうどゴルフとスキ
ーをはじめとするリゾート事業が急激的
に拡大した頃です。当時、松任谷由実の
アルバム『SURF&SNOW』が大ヒット
していました。

ソニーはコロンビア映画を買収した
まあ、1989年、三菱地所がロックフェラ
ー・センターを所有するロックフェラー
グループの株式51%を取得して、1200億
円で買収したわけですが、突然のバブル
の崩壊で1995年、三菱地所が買収した
14棟のうち12棟は売却され、現在は2棟
のみが三菱地所の所有ということになっ
たんです。

ロックフェラー・センターのコムキャストビル70階にある『トップ・オブ・ザ・ロック』からの絶景。
ワタクシも1988年に交換留学生として、
たまたまアメリカの西海岸のオレゴン・
ヘルス・サイエンス・ユニバーシティに
いましたものですから、当時キャノンな
どジャパンマネーの勢いが凄まじかった
のを覚えています。

日本人がニューヨークのビル群を買うなんて思いもよりませんでした。そしてアメリカの土を踏んだ瞬間、こりゃ、戦争で日本はアメリカに勝てるワケねえな、と直感しました。
次の年に三菱地所がロックフェラー・セ
ンターを買ったんですよ。何か知らない
けれど、日本人として嬉しかったなあ。
そして不動産屋の三菱地所ってスゲーと
思いました。そして多感なこの頃、

アメリカ西海岸のシアトルにあるオレゴン・ヘルス・サイエンス・ユニバーシティ
オレゴン・ヘルス・サイエンスでアメリ
カの歯学部大学病院やアメリカの事情を
この目でしっかり見たんですよ。これは
後に大いに役に立ちました。プラザ合意
がもたらしたバブル経済のお陰です。ま
たアメリカの土を踏んだ瞬間、こりゃ、
日本はアメリカと戦争をして勝てるわけ
ねえな、と直感しました。