安田講堂紛争のこと(後編)

             【続きです】

当時、大学は権威主義で運営。
これに対して学生側は、大学の民主化
、授業料の値上げ反対を求め、各大学
で結成された全共闘(全学共闘会議)や
それに呼応した新左派の学生が闘争を
展開する大学紛争が起こった。

全共闘の学生たちは大学当局に自分たち
の主張を唱え、それが認められない場合
には、大学構内にバリケード封鎖という
手段で籠城した。

学生紛争は全国に波及し、最盛期には
東京都内だけで、55の大学が
バリケード封鎖に入り、
社会問題になったのです。

ワタクシのいたH大でも入学当初は
当時の面影がチラホラありました。
学生運動以降、大学では講義室の机が
床に固定されたり、地面のレンガを
アスファルトに替えることが多く
なった、という話を聞きました。

 

再び学生運動が起これば、
武器を持たない彼らは、長机や長イス
のような備品でバリケードを作ったり、
ほじくり返したレンガで投石します
からね。

そういえば、5階のエステの先生、
若い頃,H大の南側付近に住んでいて、
下宿のおばさんに、
『火焔ビンが飛んでくるから、命が欲し
けりゃ、家から出るんじゃないよ。』
と𠮟られたらしい。

ちなみに警察の発表では逮捕された
633人のうち東大生はわずか38名
紛争にかかわったそのほとんどが
他大学の学生だったというコトです。

『いちご白書をもう一度』の中にある
『僕は無精ヒゲと髪を伸ばして、
学生集会へときどき出かけた。』
というフレーズを聴いた時、
ワタクシの中に眠っている、
何か得体の知れないパワー
を呼び起こしてくれました。

それにしても1年近く続いた攻防戦。
この安田講堂紛争で死者はほとんど
出ませんでした。
これは日本の国の底力だと思う。

中国の天安門事件なんて数百人~
数万人の死傷者が出ましたからね。
それに何たって、日本の機動隊はヘル
メットと盾プラスこん棒なのに、中国
の機動隊は戦車に銃ですからねえ。

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