日本の中世では、身分の高い子・頭のいい子・お金持ちの子は僧侶になっていた。

 

中世では頭のいい子は僧侶になった。

江戸時代末期の頃は、全国に寺小屋が
15000もあったんです。寺小屋が重要な
点は庶民の教育。ヨーロッパでは確かに
エリートのスゴイ人達は沢山いるんです
けど、江戸時代には成人庶民の識字率は
4割くらい。よく世界一だと言う人がい
ますが、そこまではない。

江戸時代、寺小屋は全国に15000あった。

北欧は8割を超えていますから、ドイツ
・イギリスには識字率では勝てない。
イタリアの上、ベルギーの下くらいかが
江戸時代の日本の位置。チコラと言う人
がいて1850年頃、そういう識字率の研究
をしっかりしておられた。

江戸時代、識字率はまあまあ高かった。

じゃあ、寺小屋以前まではどうしていた
のかというと、例えば鞍馬山に入った
牛若丸(源義経・平安時代末期)を見ただ
けでワカルんですが、彼は子供の頃、お
寺に預けられるでしょ。そうすると、お
寺に預けられた階層だけが非常に高度な
今で言ったらラテン語までワカル程度の
教養を身につけているわけですよ。漢字
ばかりなのに、お経をすらすら読めるエ
リート、中世のエリートはすごいんです

鞍馬山に預けられて学問を修得していた牛若丸(源義経)。

その他の人達はどうかと言うと、識字率
が低いんですよ。紙なんか一生見たこと
のない庶民もいっぱいいた中で、寺院で
高度な教育を受けた人は哲学的な話を漢
字の状態で読んでそのまま理解した。こ
の段階で頭のいい子は次々と僧侶になっ
た。まあ、お金持ちの子しか学べない。
今なら頭のいい子は東大か医学部を目指
すんでしょうけどね。

家康も駿河の今川義元のもとで人質生活
をしていた時も確か、臨済寺の僧侶の
雪斎(せっさい)から学んでいた。この坊
さん、今川家の軍師・政治顧問・そして
有能な武将を兼ねていた。今川義元は幼
い家康を人質でありながら、大器の相を
見て取り、戦乱の世を救う人物に、ある
いは今川家の跡取りの軍師として育て上
げようとしたんでしょうね。

医学部

家康も天下を取るチャンスがなければ、
その辺の僧侶として一生を終えていての
かもしれません。

家康は今川義元のもと、僧侶雪斎に学んだ。

そう言えば、室町幕府13代将軍・足利
義輝の弟、義昭も興福寺の僧侶になっ
ていましたもんね。兄ちゃんが暗殺さ
れたら、次期将軍になってくれ、と引
っ張りだされた。お金持ちや身分の高
い人、つまりエリートは中世の頃は皆
、僧侶になってたんですよ。

僧侶で終わるつもりだったのに、いきなり将軍になってくれ、と引っ張り出された室町幕府最後の第15代将軍・足利義昭。

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