【続きです】
あなたはまだ自分の足でしっかり歩けて
いますか?もしもそうなら、まずはその
ことに感謝して下さい。足のウラがしっ
かり地面を感じ取り、自然にカラダを支
えてくれる。

階段を1段ずつ上がる時、自然に曲がるヒザの動き、イスからすっと立ち上がれる筋肉の動きをあなたは当たり前だと思うかもしれません。
そしてイスからすっと立ち上がれる筋力
、カイダンを1段ずつ上がる時に自然に
曲がるヒザの動き、玄関のドアを開けて
自分の力で外へ出て行ける自立した行動
、きっとそれらは今のあなたにとっては
、当たり前のことかもしれません。でも
私はその当たり前がどれほど貴重で有難
いものだったかを、この年になって、骨
身にしみて実感しているのです。

自分の足で歩けているなら、そのことに感謝して下さい。
私は運動を習慣にしなかった。それが今
の私の足元に残酷なまでに現れています
。今の私は杖をついて一人歩くと、通り
行く人が優しく避けてくれます。一つ一
つの動作に時間がかかり体力を消耗しま
す。なぜもっと歩いておかなかったんだ
ろうという後悔をしています。

今の私は杖をついて一人で歩くと、通り行く人が優しく避けてくれます。
私が本当に後悔しているのは、運動その
ものを怠ったこと以上に、それを生活の
一部にしようとしなかったことでした。
もしあの時毎朝たった10分でも、風呂上
がりの足首のストレッチでも習慣にでき
ていてら、今頃私は違う景色を見ていた
でしょう。カラダは小さな積み重ねにも
誠実に答えてくれるものなのです。

もしあの時毎朝たった10分でも風呂上りのストレッチを習慣にできていたら、今頃は違う景色を見ていたハズ。
歩けなくなるというのは、単に不便にな
るというだけの話ではありません。行動
範囲がドンドン狭くなり、自分の意志で
は行きたい場所にも行けず、やがては会
いたい人に会いに行くことすら出来ない
状態になってしまいます。

歩けなくなるというのは、自分の意志で行きたい所へも行けず、会いたい人にも会えない。行動範囲がドンドン狭くなります。
運動とは筋肉や関節を鍛えるコトだけを
意味するのではありません。外の空気を
感じながら歩き、誰かと笑顔を交わすこ
と。すれ違う人におはようございますと
声をかけるコト、空の色の変化に目を止
め、風の匂いを感じるコト。

運動とは筋肉・関節を鍛えるコトだけではありません。外の空気を感じながら歩き、誰かと笑顔を交わしたり、すれ違う人におはようございますと声をかけたりできます。
そんなささやかな刺激がどれほど人を前
向きにしてくれるか、私は身をもってそ
の大切さを知りました。人とのかかわり
を失うと、自分という存在さえも薄れて
いきます。だから運動はただの健康維持
ではなく、心の支えなのです。

歩けると、自由に人と関わることができる。
歩けるうちは人生にはまだ自由がありま
す。その自由があるうちに、どうかあな
た自身の世界をもっと広げて下さい。
【続く】